無重力監獄
金魚鉢のような巨大球体の中に竜胆と金剛の姿が見えた。
他にも人間標本として捕まった人々の姿が五名ほどいる。
「ふたりが映ったのですぅ!!」
「なんか、宙に浮いているぞぉ!?」
「もしかして、水槽に入れられているのですか?」
「まさか……」
「いえ……これは岩魔の『無重力監獄』です。この中の方々は睡眠状態で保存されているだけです」
金星天狗イーマが鏡の映像を覗きこんで解説し、黄蝶と紅羽が胸をなでおろす。
「ほっ……無事なのですね……」
「良かった……だけど、そのムジューリョクってのは何なんだい、イーマ?」
「そうですねえ……たとえば、紅羽さまが手に持ってるお箸を手から放したら、どうなりますか?」
「そりゃあ……畳に落ちるさ」
「物が地面に落ちるのは、『重力』という『力』が地面に引っ張る現象のことです」
「えっ!? 物が落ちるなんて、当たり前だと思っていたけど、『重力』というのかい?」
「はい……『無重力』とは重力がない状態のことで、あの無重力監獄の中では、特殊装置によって、人体が地面に引っ張られないので、竜胆さまや金剛さまは宙に浮いているのです」
「う~~ん……難しくてさっぱりわからないのですぅ……」
「あたしもだよ……」
「イーマさん、その『重力』を自在に操る仕掛けを岩魔たちは持っているということですか?」
「そうです、秋芳尼さま……金星王国でも物質に加わる重力を調節することで、空を飛ぶ舟などを使っておりました……」
「まあ……空を飛ぶ舟だとは……素敵ですねえ……」
「しかし、金星王国よりも岩魔の遊星兵団のほうが何倍のうえの科学力でした……」
イーマが首をうつむいた。
「いやはや……信じがたい話じゃが、実際に竜胆と金剛が鳥岩魔に宙を浮かばせられ誘拐されたのを見ましたからなあ……」
「では、天明丸甲板で、急に体重くなった『妖術・隠し枷』も、その『重力』を操った技だったのでしょうね……」
「はい……光の護法陣が描かれた場所の重力を大きくして、身体を重くさせたのです」
「じゃあさあ……鳥岩魔があたしの火炎鷹をはね返した『妖術・楯無』ってのも、その重力の技か?」
「いえ……あれは反物質バリアだと思われます」
「はんぶんぶっさき……なんだってぇ?」
「反物質バリアです……たとえば、ある物質の質量および、スピン角運動量がすべて同じでありながら、素粒子や電荷が……」
金星犬イーマの説明に紅羽と黄蝶は頭を抱えてつっぷした。
秋芳尼と伴内も顔を見合わせ困り顔だ。
「ああ……もう、いいよ……イーマ……頭が痛くなってきた……」
「黄蝶もですぅ……」
「そうですか……」
「イーマさん、岩魔のジュウリョク妖術などに対抗する術はないのでしょうか?」
「それは……重力攻撃などが行われる前に、その現象を発生させる装置……おそらく、鳥岩魔の足にあった銀の輪を壊すことができれば可能だと思われます」
「おおっ!! 奴らが術を発動する前に、銀の腕輪の機巧をぶっ壊せばいいんだな!!」
「希望の光が見えてきたのですぅ!!」
盛り上がる娘たちをよそに、伴内が腕をくんで手鏡の映像を凝視し、
「しかし……この監獄がある洞窟は……どこなんじゃろうなあ……」
「少し……視点を拡大してみましょう……」
尼僧の手鏡の映像が暗くなって消えた。
そして、次に別のものが見える。
ゴツゴツした岩肌……遠くに白波が打ち寄せる岩場の磯が見える。
遠くに見える山の稜線がギザギザに露出していているのが見えた。
「なんだこりゃ……ノコギリの歯みたいな山だなあ……」
「これはひょっとして、石切場として有名な鋸山じゃないかい?」
「鋸山……ほんとうの名前は乾坤山といって、日本寺の境内にある山のことですね……」
「左様ですわい……鋸山から切り出される石は房州石、または金谷石といって、加工しやすく、城や屋敷の石垣などに重宝され、洞窟なども多いと聞きおよびまする」
「さすが秋芳尼様も小頭も物識りだねえ……」
浄玻璃鏡の映像は消え、伴内が紙に鋸山の情景を描きだした。
「ですが、いちおう念のため……土地の者に訊いてみましょう……」
紅羽が襖をあけ、廊下で膳を運ぶ女中をみかけ、声をかけた。
「おおっ、女中さん、ちょうどいいや……この絵みたいな山を知らないかい?」
「山ですか?」
女中は伴内の描いたギザギザの山肌の絵を見て、
「ああ……これは昔から房州石を切りだし続けてこうなってしまった、安房の鋸山ですよ」
「やっぱり鋸山かっ!!」
女中に礼をいって、襖をしめた。
「どうやら、そこに岩魔のネグラがあるようじゃい……」
「さっそく、二人を救いに行かないと!」
「じゃがのう、木更津から南へ、佐貫、竹岡を通り、金谷宿のさき、鋸山手前にある明鐘岬まで距離がある……木更津からはおよそ九里(35・5キロメートル)……歩けば三刻半(七時間)の距離がある」
伴内が畳に安房の地図をひろげ、木更津を指さした。
秋芳尼と黄蝶、紅羽が覗き込む。
「あたしたち天摩忍群なら、そんな距離、早駆けで……」
「待てい、紅羽……しかし、明鐘岬は関東でも有数の難所、山越えは険路じゃい、秋芳尼さまもおわすしな……」
「そうかぁ……」
「じゃがのう……木更津から明鐘岬に石積場の船着き場があり、そこから最速で鋸山へ行けるわい……」
「船か、なるほど!!」
「いくら天摩忍群とて、体力は温存しておくに越した事はない。明日、朝いちばんで船を雇って行こう。最速の押送船なら、風が良ければ一刻半(三時間)かニ刻(四時間)で到着できるはずじゃい!!」
押送船とは、全長三十八尺(約11・7メートル)、幅八尺二寸(2・5メートル)の船体に三本の帆柱、帆六反、七丁の櫓がある小型海船のことだ。
漕走・帆走を両方つかい、一般の船と違って、風のない時も櫓を漕ぐ快速船であり、江戸周辺で獲れた塩魚・干鰯などを素早く輸送する高速の鮮魚船として使われた。
押送船はその高速機動力をかわれ、浦賀奉行所でも巡視船・連絡船としてつかわれ、黒船来航時には、アメリカ船のカッターボートよりも優れていたという。
「船かあ……ケチな小頭にしては太っ腹だ……」
「金は使う時に使わなくてわな……」
「船……ですか……今はしかたがありませんね……」
秋芳尼が船酔いを思い出し、少し蒼褪める。
「秋芳尼さまは、こちらに残っていただいた方がよいのではないですか?」
秋芳尼は黄蝶の頭をなで、
「いいえ……わたくしも行かねばなりません。さあ、そうと決まれば、みなさん……きちんと食事をとって、体を休めないと……」
「はい、秋芳尼さま! よし、今は食べて力をつけよう、黄蝶」
「わかったのですぅ!!」
紅羽と黄蝶は勢いよく食べ出し、美貌の尼僧はほほ笑ましく見守った。
そのとき、急に浜菊の間の襖が開いて、何者かが現れた。




