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妖霊退治忍!くノ一妖斬帖  作者: 辻風一
第十二話 岩魔!外宇宙から来た妖怪
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水晶の猿の手

 松田半九郎と竜胆は神田馬喰町一丁目の旅籠から宿屋に逗留した旅人で伊豆出身の者や、怪しい者がいないかどうか調べ始めた。


 馬喰町一丁目は伊勢商人の木綿問屋が軒をつらね、その周辺には塩河岸・米河岸・魚河岸などがあって、江戸に住む人々の衣食住をまかなっている。


 ほかにも馬喰稼業や郡代屋敷に公事訴訟をするために江戸にきた地方の者たちが多く、それらを宿泊させるための宿屋が多い。


「う~~む……一丁目の旅籠には、伊豆から来た商人はいたが、四十代や五十年の男で、該当しなかったなあ」


「はい……しかし、馬喰町の宿屋はまだ四丁目まだあります……気長に探しましょうぞ」


「そうだなぁ……」


 懐手にして長い息を吐く寺社方同心と、何か考え事をする薙刀を持った巫女。

 そんな目立つ二人を見かけて、声をかける者がいた。


「おう、半九郎じゃアねえか? それにいつぞやの谷中の巫女さんだな……」


「あっ、岸兄きしにい…いや、岸田殿ではありませんか! こんなところで逢うとは……」 


 松田同心と同じく黒羽織同心姿で、面長痩身の三十歳の男だ。

 

 南町奉行所の見廻り同心・岸田修理亮きしだしゅりのすけという。


 松田と岸田は同じく、下谷の中西道場で一刀流中西派を学んだ仲であり、ともに免許皆伝の腕前の剣豪同心である。


 色白で狷介けんかいな学者然とした風貌だが、面倒見がよく、同僚や弟弟子おとうとでしたちからも慕われている。


「なにいってやがる……牧野藩上屋敷と町奉行所のある八丁堀は、眼と鼻のさきにあるじゃねえか……」


「そうでしたね……そういえば、七月は南町奉行所の月番でしたね……いや、この間は、系図買いの件で協力していただき、ありがとうございます」


「なあに、いいってことよ……御寺社も御町も持ちつ持たれつさ……だが、結局、宝物殿の御宝は、谷中の嬢ちゃんたちが、荒れ寺で偶然、見つけたというじゃねえか……」


 岸田同心がチラリと巫女をみやると、竜胆はコホンと咳払いをして、


「ええ……結局、貉小僧の仕業ではなく、正体不明の泥棒の仕業のようでした……」


「まあ……下手人が見つからないのは残念だが、これも捕物にはつきものよ……」


 岸田修理亮は妖怪幽霊の類いを信じない現実主義者なので、猫又が御宝を盗んだといっても信じてもらえないので、面倒を避けてこういう事にしてある。


「ところで、おめえたち。昨夜の岩石顔のお化けの事件を追っているようだな……」


「察しがいいですね……その通りです」


「ちょうどいい。あの事件は俺も聞き取り捜査をしたが、お化けを見たというだけじゃアな……事件性は感じられないので、町方は手を引き、寺社奉行所の妖霊退治人にゆずった……表向きは、な」


「えっ、表向きということは、裏に何かあるので?」


 松田同心がギョッとして町方同心を見つめる。


「ああ……小三次をはじめ、誰も岩の顔をした怪人物が、直接、妖術で犬を水晶に変えたという現場を見ていない……」


「はい……まあ、確かに……」


「するとだ……水晶の像と岩石お化けの件は別件とも考えられねえか?」


「えっ!?」


「あそこで誰かが水晶の犬の像を落とした……そして、別の奴が、岩のお化けは誰かがお面を被って小三治を脅かしたイタズラをした……これらは別の事件かもしれねえって事だ……」


「まさか、そんな事が偶然かさなるなんて……」


「しかし……可能性として、偶然というものは……決して無いとはいいきれませぬ、松田殿……」


「竜胆、お前まで……」


 岸田同心はニヤリと笑い、


「そっちの巫女さんは察しがいいな……そんな偶然が、犬を水晶に変える妖怪話を生み出したかもしれん、ということさ」


「いや、ですが……」


「その件でな、お前達に見てもらいたいものがある……」


「えっ!? もしや……」


 そういって、岸田同心は半九郎と竜胆を南町奉行所に連れていった。


 裏門をくぐり、盗品等を保管している蔵へ案内する。

 薄暗がりのなかで、岸田同心が灯りをつけた。


「まずは、これを見てくれ……これは抜荷買ぬけにがい……つまりは密貿易みつぼうえきの品だ。俺たち町方は、抜荷買い一味が事件の裏に入るとみて、極秘裏に調査しているんだ」


「抜荷ですって!?」


「ああ……先日、佃村の漁師が海岸に漂着した荷物から見つけた中にあったんだ……この間の嵐で船が難破したんだろう……」


 岸田修理同心は、盗品を並べた棚から小さな行李こうりを取り出し、ふたをあけた。


「これは!?」


 それは、実に精巧な、水晶でできたさるの像であった。


 歯をむいた顔の表情、驚いて樹上に登ろうとする姿勢、毛先の先まで巧みに再現されて、今にも動き出しそうだ。


 まるで本物の猿が、生きたまま水晶にされてしまったかのような、鬼気迫る作品である。


 猿の彫刻といえば、幕末明治の動乱期を生きた木彫家の高村光雲の『老猿』を思い出す方もおられるだろう。


 娘を失った光雲が、哀しみを克服しようと、一刀一刀精魂とめて彫った『老猿』は、シカゴの万国博覧会に出展され、日本の工芸品の見事さを世界に知らしめ、優等賞をとった。


 時代は違うが、この水晶の猿の製作者も、またそれに勝るとも劣らない技倆うでを持った者と思われる。


 その見事な水晶像が、灯明に照らされ、石英のプリズムと通しておぼろに輝き、陽がささない晦冥かいめいの世界で、希望のごとき光輝が湧き出す噴水にも思えた。


「いやあ、実に見事な猿の像ですね……しかも、水晶を削ってつくったようだ……」


「さぞ……名の有る彫金師の仕事なのでしょうね」


 寺社同心と天摩巫女も息を飲んで水晶の猿を観察する。


 行灯の光が、水晶の猿のプリズムを通して反対側の壁に光の灯影を描いた。




 日本の水晶細工の歴史は江戸幕府がはじまった頃から始まる。


 御岳昇仙峡の奥地・金峰山で水晶の原石が発見され、甲府で水晶細工がはじまったとされる。


 初期のころは、水晶を原石のまま床の間などに飾ったという。


 のちに京都より玉造りの職人を招き、鉄板の上で金剛砂をまき、水晶を磨く方法が考案された。


 いらい、水晶や翡翠を細工した数珠・根付・帯留めなどの装身具や美術工芸品がつくられるようになった。


 日本の水晶彫刻研磨の技術はのちに第一回パリ万国博覧会にも出され、世界中で注目をあび、水晶の工芸品は世界に輸出された。


「だろうな……俺も水晶細工はいくつか見た事があるが、これほど見事な物はなかった……いまだ名の知れない天才の名工の作なのだろう……ぞっとするほど、上手い……まるで生きている猿を魔法か妖術で、水晶にしたかのようにな……」


 岸田同心の含んだ言い方に、ぞっとする凄味を感じた松田半九郎と竜胆。


「二人とも、水晶の猿の指をよく見てみな……」


「指ですって?」


 松田と竜胆が屈んで卓の上の水晶像の猿の手の平をよく見る。

 その指先にはなんと、指紋まで再現させていた。


「指紋まで……気の遠くなるほど時間をかけて彫ったのでしょうな……」


「私もくわしくありませんが、数年……五、六年……いや、十年以上かけて造ったのではありませぬか?」


 水晶の硬度はガラスに比べて倍以上も硬く、加工はひじょうに困難であり、細工には莫大な時間がかかるのだ。


「だろうなぁ……水晶の細工物はかなり難しい……だが、こんな天才工芸職人の作品が、リスや山犬、百合や牡丹の花など……十体も見つかった」


「そんなにですか、岸田殿……」


「十体も……それは一人の職人の技ではないですな……」


 さしもの竜胆と半九郎も絶句した。


 岸田修理亮が別の行李から犬の水晶像を見せた。


 逆毛が立ち、牙をむき、恐怖に怯える犬の表情は生きているように見事が。

 毛並みの筋の彫金も数年以上かかる細工である。


「これが……昨夜見つかった、水晶の犬の像……似ている……猿の像に……」


「天才的かつ、名の知れてない水晶の細工職人が江戸のどこか……いや、日本のどこかにいるかもしれんと思い、甲府の土屋家に問い合わせたが、ここまで大きな水晶を細工できる職人などいないという……で、昨夜のお化け騒動で見つかったこれだ……」


「もしや……」


 松田半九郎は、『もしや、妖怪・妖術師の仕業ではないのか?』という疑念が頭によぎる。


 謎の妖怪が猿などを生きたまま水晶に変えてしまったのではないか?


「日本の職人じゃ無理だが、清国か朝鮮国、あるいは南蛮人は日本より進んだ技術者がいる……そんな名工達がつくった水晶像を、抜荷買い一味が大量に日本に仕入れたのかもしれない……」


「あっ……海外の……」


 松田と竜胆は拍子抜けしたが、それが道理――当然の推理であろう。


 江戸幕府は徳川家だけが、長崎の出島で阿蘭陀人と清国人と輸出入を許されている。


 日本国から外国へ輸出するのは、金・銀・銅やあわび海鼠なまこなどの乾燥食材である。


 外国から日本国へ輸入されるものは、生糸・織物・砂糖・書物、そして珍しい品物が喜ばれた。


 漢方薬種や毛織物、鼈甲、象牙、犀角、磁器、美術品や装身具などだ。


「江戸の豪商や豪農、裕福な大名旗本などが、珍しい外国の密貿易品を密輸組織から手にいれているかもしれねえ……抜荷買いを許していちゃ、幕府の屋台骨がぐらつく……密貿易品が寺社地の裕福な坊主や商人にも出回っていないか、注意をしてくれ」


「はい……心に留めおきます」


 松田がゴクリと咽喉を鳴らす。


 町奉行所を出た松田同心と竜胆は再び馬喰町二丁目へ向かった。


「参ったな……妖霊退治の事件が、実は抜荷買い事件とは……宿改めは無駄で、妖霊退治人の出番は無くなりそうだ……今の話、どう思う、竜胆?」


「はっ……たしかに抜荷買い一味がいて暗躍しているのは確かなようです……ですが、稲荷神社に残留妖気がありました。妖怪が関係しているのは確かです……すると……」


「むっ……なんだ?」


「佃島に流れ着いた密貿易品自体が、岩石妖怪が本物の猿を水晶に変えた、という可能性もあるのでは……それをどこかで見つけた抜荷買い一味が密輸品として売り買いしているという可能性もあるはずです」


 この言葉に、眼からウロコが落ちた。


「ふぅ~~む……なるほど……さすが、竜胆だ……やはり、馬喰町の宿屋をさぐってみよう!!」


「はいっ!!」



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