ポッペンを吹く侍
才槌長屋を出ると、真昼の鐘が鳴り、松田は久右衛門町の表通りにある蕎麦屋・常盤屋で天摩三人娘とお昼を食べた。
「やっぱり江戸のお蕎麦は美味しいねえ……ずるずる……」
「本当ですぅ……ずるずる……」
「これ、店で騒ぐではない、二人とも……ずるずる……」
「ほ~~い……」
「ともかく、だ……午後は二手に分かれて怪しい者がいないか、宿屋を調べよう。俺が一筆紙に書くから、それを持て」
「はいよぉぉ……なんて書くの?」
「寺社奉行の御用のものであるとの証明だ……岡っ引きが持つ十手と手札の代わりみたいなものだな」
「ほほぉぉ……ずるずる……」
「御用だ、御用だぁ……の、岡っ引きですね」
竜胆と松田半九郎は元浜町稲荷神社に近い、馬喰町の宿屋街を調べにいった。
紅羽と黄蝶は和泉橋をわたり、外神田にある旅籠町の宿屋を調べにいく。
神田という町は、鍛治町・塗師町・鍋町・竪大工町といった名前が残るように、江戸初期は職人の町であった。
が、江戸中期になると青物市場・水菓子市場・古着市場などがつくられ、日本橋北側に次ぐ商人の町に発展していく。
人の流れが多い関係から、旅籠が増え、それらが集まった宿屋街が形成されていった。
松田半九郎と竜胆は神田馬喰町一丁目の旅籠から宿屋に逗留した旅人で伊豆出身の者や、怪しい者がいないかどうか調べ始めた。
馬喰町一丁目は伊勢商人の木綿問屋が軒をつらね、その周辺には塩河岸・米河岸・魚河岸などがあって、江戸に住む人々の衣食住をまかなっている。
ほかにも馬喰稼業や郡代屋敷に公事訴訟をするために江戸にきた地方の者たちが多く、それらを宿泊させるための宿屋が多い。
外神田の旅籠町の宿屋を調べにいった紅羽と黄蝶は、一丁目にある旅籠・淡路屋の帳場にはいった。やせた手代が愛想よく応対する。
「いらっしゃいまし……お武家さまとお連れの方ですかな? まずはおみ足を洗ってから、宿帳に名前と生まれ在所を記入してくださいな」
「いや……違うよ、あたしたちは泊まりにきたんじゃない」
「はあ……では手前の宿客に御用でも?」
「あたし達は怪しい男を探しているんだ。宿帳を見せてくれ」
「そう、いわれましても……おいそれと見せるわけには……」
「これがあるのですよ」
黄蝶が襟元から松田の書いた書付をだし、手代に見せた。
「……これは……寺社奉行所の使いの御方でしたか……」
手代から宿帳を借りて名前と在所を調べる。
「手代さん、宿屋に怪しい人はこなかったかい?」
「伊豆出身の若い旅人でもいいですよ」
「さて……さいきん泊まった方に怪しい者も、伊豆の方もいませんが……いったい、何を調べていなさるんで?」
「昨夜の岩石お化けの事件を調べているんだよ」
「ああ……あの……酔っ払いが見たというお化け……本当にいるんですか、そんなお化け?」
「たぶんね……妖怪が旅人に化けているかもしれないから、調べているんだ」
「妖怪が人間に化けて、宿屋に泊っていると? ぶるる……縁起でもない」
宿帳に伊豆出身の者はいない。
「ここには目ぼしい奴はいなさそうだ……次へ行くぞ、黄蝶」
「はいなのです」
旅籠町一丁目にある宿屋をしらみつぶしに捜すが、該当する怪しい者はなかなか見つからない。
そうこうしていると、紅羽と黄蝶の前に、御茶屋の路地裏から法被をはおり、赤銅色に日焼けした男が二人現れた。
「お前さんたちかい? 昨夜の稲荷神社の件を調べているっていう怪しい奴は?」
剣呑な雰囲気をかもしだす男たちに、黄蝶が紅羽の背中にかくれた。
「ああ……そうだけど、怪しい奴ってのは、そっちじゃないかい?」
「なんだとぉ!!」
「なにかようですか、小父さんたち?」
「ああ……ちょいと顔を貸してくんな……」
「おいおい……おだやかじゃないなあ……あたし達をどうしようってんだ?」
「なあに、ちょいと話を訊くだけさ……大人しくついてこないと、痛い眼をみるぜ」
髭面の男が指をバキバキと鳴らした。
そうとう荒事になれた破落戸のようだ。
「いやだといったら?」
「来いといったら、大人しく従えばいいんだよ!!」
髭面が紅羽の手を取ろうとした。
が、半身で避けられ、空をきった。
紅羽は音もなく摺足で近づき、男の右手首をつかみ、逆捩じに捻った。
「ギャア!! あいたたた……」
「野郎!!」
もう一人の禿頭の男が懐から匕首を出して紅羽の背後から斬りつける。
が、眼の前の視界に小さな影がよぎり、右手の匕首が蹴り飛ばされた。
「ぎゃん!!」
忍者装束の黄蝶が眼にも止まらぬ飛び蹴りを食らわしたのだ。もう一人の男が右手を押さえてうめく。
「刃物なんて物騒なのですよ!!」
「くそォォォ……」
路を通りかかった通行人たちが何事かと遠巻きにうかがう。
そのとき、どこからか、「コッ……キン!」というような、奇妙な音が聞えた。
「なんでい、お前達……情けねえなぁ……」
「ほかにもいたのか?」
日焼け男ふたりが出てきたと同じ路地裏から、赤と白の市松模様の着物を羽織った、黄蝶や紅羽と同い年くらいの若侍が出てきた。
月代が伸び放題なのは、元服前か、浪人ではあるまいか。
右手に細い管のついた丸いフラスコのようなガラス玩具を持っている。
若侍が細口を加えて息を吹き込むと、フラスコの底がへこんで、「コッ……キン!」という奇妙な音がする。
ポッぺンという正月などで厄払いに吹いたり、玩具として吹いたりするガラス製玩具だ。
ポピン、長崎ビードロともいう。
「おお、左七郎……お前の出番だ。こいつら案外、武芸の達人だぞ」
「お前の腕を見せてやれ!!」
「うるせえなア……おいらはこれでも二本差しでい……町人ごときが俺様に指図するない!!」
一回りも年上の破落戸に怒鳴り返した。
かなり尊大な性格の若侍のようである。
「なんだとぉぉ……お前は博打でスッテンテンとなり、借金のカタで用心棒をやっているのを忘れたか!!」
「ちぇっ……それを言われるとつらい……」
若侍が苦虫をかみつぶしたような顔で紅羽と黄蝶に向き直った。
「けっ!! なあおい、そこのお前。可愛い女の子としゃれ込んでいるところ悪いが、ちょいと顔を貸してもらうぜ」
「可愛いだなんて、そんな……」
黄蝶が両手を頬にあてて照れる。
「おいおい、黄蝶……喜んでいる場合か……それよりも、左七郎とかいったな……こんな所で刀を抜く気か? 神田は八丁堀と眼と鼻の先だぞ?」
「はん! 関係ないね!!」
左七郎が濃口を切って、刀を抜いた。
陽にあたった真剣がギラリと反射する。
狂犬のように危険な男だ。
逆手に持ち返し、右手一本で紅羽に向けた。
「さっさとしねえと、痛い眼見るぜ。」
「………………」
遠巻きに見物していた通行人が悲鳴をあげて逃げ去り、店から様子を窺っていた者たちが引っ込んだ。
紅羽が右手を太刀の柄を握り、左七郎の表情と太刀先、両の拳を見据えた。
剣法者はこの三つをとくと観察し、行動予測をするのだ。
「あっ……向こうから、岡っ引きが来るのですよ!!」
黄蝶が叫び、やくざ者が背後をみやると、誰かが走ってくるのが見えた。
「まずいぞ、左七郎……刀を納めろ!!」
だが、左七郎はいうことをきかず、紅羽に太刀先を向けたままだ。
紅羽も太刀の柄を握ったまま動けない。
「待ちなさい……お前たち、乱暴なことはよしなさい」
そこへ、茶屋の暖簾をくぐり、上等な着物を着た四十男が出てきた。
商人風だが、若い頃に鍛えたのか、がっちりした体形で、精悍な面構えである。
日焼けしているのは、船乗りであったからであろう。
「けっ……」
若侍が唾を吐いて、刀を鞘に戻し、ふらりと背中を向け、裏路地へ立ち去る。
「あなたは?」
「渡海屋繁蔵と申します……ああ、手前は廻船問屋でしてね」
「そう、主人は、江戸でも十指に入る店だぞ!」
「これこれ……うちの若い衆が失礼をいたしました。こつらは忠実だが、荒っぽいのが欠点でしてねえ……」
そういって、渡海屋繁蔵は深々と頭を下げた。
「お前の手下だったのか……あたしは紅羽だ……いったい、あたし達に何のようだい」
「なあに……手前も昨夜の事件には興味がございましてね」
「石のお化けの件がかい?」
「いえ、水晶にされたという犬のことでして……手前もさまざまな品を卸しておりますが、水晶の犬の像だなんて初めて訊きましたのでね。商売柄、興味がございましてねえ……ふふふ」
「たしか、町方奉行所が証拠品としてどこかへ持っていったはずだ……あたしは知らないよ」
「さようですか……それは残念だ……一度見てみたかったのですが……」
そこへ神田を縄張りにする岡っ引きと手下がやってきた。
渡海屋繁蔵は「侍同士のちょっとした喧嘩のようです……たいした事はありませんよ……」と、いいくるめ、花紙につつまれた御鳥目を岡っ引きの袖に入れて事をおさめた。
「紋次、捨松……店に帰るよ……」
奉公人であった荒くれ男二人が「へい!!」といって、踵を返した渡海屋繁蔵についていった。
「ふぅぅ……怖かったですぅ……」
「怖いという割には、見事な飛び蹴りだったけどな」
「えへへへ……そう、褒めないでくださいですぅ……」
「幸せなやっちゃな……それより、あいつら、怪しいなあ……尾行るか?」
「えっ!? 旅籠町の宿屋を調べないのですか?」
「そうだったな……あとで松田の旦那に報告しとくか……」




