天摩の流星刀
「地球か……たしか、南蛮人によると、我々の住む日本や他の国がある大地のことじゃ……この大地は、丸い球体の土の上に海や大陸、島々があるという……」
「えええ~~…そうなんですかぁ!?」
地球という言葉は、江戸時代の百科事典『和漢三才図会』で紹介されていて、江戸中期、1712年頃から日本の学者などは知っていたようだ。
それまで地球平面説が主流の考えであったが、古代ギリシアのピュタゴラスが地球球体説を初めて唱えたという。
日本には戦国時代にヨーロッパ人宣教師の来日ではじめて紹介された。
最初に地球が丸いことを理解した初めての日本人は、織田信長だといわれている。
信長は宣教師ルイス・フロイスに逢い、どうやって日本に来たのかと訊ね、地球儀を使って航海ルートを教わり、理解を示したとフロイスの『日本史』にある。
しかし、その後日本は鎖国し、一般には広まらない。
「えっ……この世界は平面の上にあるに決まっているだろうが。ねえ、秋芳尼さま」
紅羽がうさんくさそうに眉をひそめて、天摩忍群頭目に視線をうつした。
「たしかに……仏教の教えでは、世界の中心に須弥山があり、九山八海……七つの金の山、哲囲山が取り巻き、そのはざまに八つの海があると教えます。その最も外側、須弥山の南、南閻浮提に我々人間の住む大地があるのです」
庶民たちにとっては、いまだ地上平面説が主流の時代である。
西洋の天文学がはいる前の日本の宇宙観は、中国伝来の『蓋天説』や、仏教の地平説『須弥界説』であった。
「秋芳尼さまのおっしゃる通り、この大地は平面と信じられてきた……じゃが、西洋人によってもたらされた世界地図、航海の記録、天文学や科学の発達で、その常識もゆらいできておるのじゃ……」
享保十五(1730)年に西川正休が『天経或問』で中国天文学と西洋天文学を紹介し、天動説と地動説を折衷したティコ・ブラーエの宇宙観が記載されており、ベストセラーとなった。
1700年代にやっと日本人学者の間で大地が球形をしていると認知されるようになった。
だが、地球説は仏教界から強く反対され、この世界は四角い須弥山から成り立つ、須弥山説が根強かった。
学問として小中学校で地球説を教えるのは明治時代に入ってからである。
天動説とは、宇宙の中心に地球があり、その周りに太陽や月、水星・金星・火星・木星・土星などが廻るとされたものだ。
コペルニクスの地動説は、寛政四(1792)年の本木良英の『太陽窮理了解説』で初めて紹介された。
「たしかに、人の世が移り変わるように、この世の常識も、時に合わせて移り変わっていくかもしれませんね……」
仏教の尼僧である秋芳尼と神道の巫女である竜胆のほうが、西洋の学問に理解をしめすというのも妙な話ではある。
が、なにもかも教義を盲信せず、理があるのならば、耳をかたむける度量と頭のやわらかさが二人にはあった。
しかし、紅羽と黄蝶はそれまで信じてきた常識がひっくり返されるようで、納得がいかない。
「だけどさぁ……急に大地が丸いといわれてもなあ……あたしたち摩利支天尊を信仰する者には、南蛮人の戯言にも聞こえるけどなあ……証拠があるのか?」
「それはじゃなあ……海で、船を観察すれば、大地が丸いという、地球説も一理あるとわかるのじゃ」
「海? 船? なんじゃそりゃ?」
読書好きの竜胆が紅羽と黄蝶にわかりやすく解説する。
「紅羽と黄蝶、お互いに二丈(約六メートル)以上離れてみるのじゃ」
さっそく二人は実行してみる。
「ああ……それがどうした」
「お互いがどう見える?」
「前より小さく見えるですよ」
「遠く離れれば、小さく見える……港で船が遠い沖まで離れてみると、ただ船が小さく見えるだけじゃ……しかし、実際は、船の下の部分が隠れて見えなくなっていく……これは水平線が湾曲に見える……つまり大地が湾曲しておるからじゃ」
「えっ? そうだっけ?」
「今度、海の船着き場に入ったら、観察してみるのですぅ!」
「ほかにも、月食のときに円形の影が映るのは、地球が丸いからという説や……」
紅羽と黄蝶が左手で額をおさえ、右手を振ってさえぎった。
「ああ……もういいよ。一度に難しいことをたくさん言われると、知恵熱がでそうだ……」
「黄蝶もごちそうさまなのですぅ……」
「ううむそうか……」
語り足らぬ巫女に対し、紅羽と黄蝶はゲンナリ顔。
かしましい娘忍者三人衆をよそに、秋芳尼は銀色の球体をじっと見つめ、人差し指を鉤型にまげて朱唇にのせる。
「金星の王朝……イナンナ女王……それに、恐るべき侵略者とは、何のことなのでしょう……天狗は不吉な報せをするといいますが……江戸で何かが起きそうですね」
この謎の銀色の球体と二つに割れた隕石は、報告を受けた金剛が大八車で回収し、金剛が住む境内裏手の森の中にある炭焼き小屋で調査をはじめた。
彼は天摩忍群の鍛冶方であり、こういった金属関係に詳しい。
近くの尼寺……鳳空院から酉刻半(午後七時)をつげる鐘の音が聞こえた。
秋芳尼が境内にある鐘撞き堂で小さな鐘を撞いている。
夕餉をすませた三女忍が、隕石と銀色の球体となった天狗を調査する金剛を訪ねた。
「この流れ星はただの岩石ではない、隕鉄が含まれているぞ……」
「金剛兄……隕鉄ってなんだ?」
「ああ……隕石に含まれる金属のことだ。お前も持っているぞ」
「ええっ!! まさか……」
紅羽が腰にさした二刀……比翼剣を見やる。
赤い鞘に収まった三尺二寸の二振りの日本刀を引き抜いてみせる。
二振りの剣を両手に持ち、左右に翼のように持ち上げた。
霊刀である『赤鳳』と『紅凰』が地肌の文様にそって、赤い神気で煌めいた。
天摩流忍群の武器忍具開発・刀鍛冶方である金剛の入魂の作刀である。
「そう、比翼剣にも含まれている。刀剣は玉鋼を主成分につくられるが、天摩流鍛冶術では、それに『霊地鉄』が加わる……我ら天摩忍群の術者が神気をそそいで完成させるが、実はそれだけではない」
金剛が隕石に視線をうつす。
「その秘密がこの隕鉄だ。これこそが、天摩忍群の秘中の秘である『霊地鉄』を形つくるのだ。霊地鉄と玉鋼をあわせた天摩流の武具が、神気を高め、力を収斂し、神通力を操り、力を最大限に発揮させることもできるのだ」
「ちょっと、待って……隕鉄だんなんて……そんな珍しいものをどこで手に入れたんだ?」
「……大昔に豊後国の天摩の隠れ里に巨大な隕石が落下し、我らの先祖が発見した。その隕鉄をつかって武具を作ったのが、天摩流鍛冶術のはじまりだ」
「そうだったのかあ……」
「隕鉄はこの日ノ本、いや世界中探しも見つからない未知の天界の金属が含まれている。天摩忍群に限らず、古来より、隕鉄を使用して鍛え上げた刀剣武具は『流星刀』または『隕鉄刀』などと呼ばれ、不思議な神通力や妖力を宿した武器ができるといわれているのだ」
「霊地鉄……隕鉄が、我ら天摩忍群の忍法を支え、強化し、助けてくれたのじゃのう……」
「ありがたい事なのですぅ……」
金剛はこの金星から来た隕石に興奮しきりで、
「これぞ、天より与えられた千載一遇の好機! この隕鉄ふたつをつかって竜胆と黄蝶の新忍具を作ろうではないか!!」
鼻息あらく息巻く金剛。
「ええ!! 本当ですか……紅羽ちゃんの比翼剣のような武器が黄蝶たちにも……」
黄蝶は紅羽が腰にさす二刀をうらやましげに見やる。
だが、巫女忍者が眉をよせ、
「いや、金剛兄……天狗はまだ死んだとは思われぬのじゃ……霊地鉄にするわけにはいかぬのじゃ」
「そうだったですぅ……残念ですが、諦めるのですよ……」
「そうか……では、天狗が乗ってきたという隕石のほうをつかって……」
「それもダメですよ!! 天狗のワンちゃんがお空に帰れなくなるかもしれないですよ!!」
「う、う~~む……しかし……」
天摩流の鍛冶方にとって、垂涎の的である隕鉄を目の前にし、唸るしかない金剛であった。
「……金剛兄、いちおう新武器構想の覚書を書かれてはいかがですかのう?」
「おう、なるほど……それだ、竜胆!! わきあがる創作の情熱を筆と硯で紙に叩きつけよう!!」
ともかく、天狗と隕鉄の調査は金剛にまかせ、三女忍は森の木々の枝を飛び渡り、鳳空院へ戻って行った。
いまは、天明元年七月はじめ、西暦でいえば1781年。
徳川家の将軍も十代目家治のころ――俗にいう老中田沼時代の話である。




