金星天狗きたる
谷中の田園地帯の中に、道灌山があった。
山といっても高さ二十二メートルで、お椀型のなだらかな台地が正しい場所だ。
江戸幕府ができる以前、室町のころ大田道灌の出城があったといわれている。
近在の者や江戸の庶民たちが観光をし、山草や薬草取りにくる場所だ。
そこに鳳空院のおなじみの面々……住持の尼僧・秋芳尼、巫女剣士の竜胆、茶汲み娘の黄蝶、忍び剣士の紅羽が、籠をしょって山菜取りに精を出していた。
たらの芽、山ウド、わらび、ぜんまい、青こごみ、せり、行者にんにくなどを尼寺の厨房で皮をむいて調理する予定だ。
「あっ、一番星なのです!」
ふと、藍色に暮れていく薄闇空を見上げた黄蝶が叫んだ。
「宵の明星じゃの……そろそろ鳳空院に帰りましょうか……」
「そうですね……」
竜胆と秋芳尼も微笑んで同意した。
「あっ、流れ星なのですよ!!」
「よぉ~~し、お願い事をするかぁ……」
紅羽がニッと笑って、そんなことを言いだす。
「猫ちゃんともっと仲良くなれるようにお願いします……」
「あたしはお汁粉をお腹いっぱい食べられますように……」
そうこう言っているうちに、流れ星は道灌山のこちらまでにやってきた。
これは大きな火球のようである。
火球は雷鳴のような轟音をあげ、長い尾を引いて、天摩衆の近くまでやってきた。
閃光が周囲を包み込み、世界は白く染め上げられた。
「ええええっ……こっちまで来なくても!!」
「ぴええええええええっ!!!」
竜胆が秋芳尼の手を引き、
「秋芳尼さま、御避難を!!」
「待ってください竜胆……流れ星の様子が変ですよ」
「えっ!!!」
一同がふり向くと、光り輝く物体は地表に落下せず、速度を落とし、上空でふわふわと浮いている。
それは直径七尺(約二・一メートル)ほどの光る球体状隕石であった。
「隕石が……宙に浮いているぞ!?」
「ぴええええっ!?」
「なんと、奇っ怪な光景じゃ!」
天摩衆の面々はじとりと汗をかきながら、空中に漂う光体を凝視していた。
すると、隕石はゆっくりと地面に着地し、輝きを停止。
その隕石は二つに割れ、中から銀色に輝くものがズルリと這い出てきた。
「なんですかこれぇぇ!!」
それは水銀のようにドロリとした液体金属で、やがて、四本足の獣のように変化していく。
「ワンちゃんみたくなったのですぅぅ!!!」
「こりゃあ……宵の明星から、流れ星に乗ってやってきた生き物か?」
「あらまあ……なにかの獣のようですねえ……」
光体はふるふると震え、横に伸び、本当に白い犬のような姿となった。
犬のような生命体は耳をそばたて、紅羽たちの話をじっと聞いているようだ。
竜胆は凝と検分し、
「これは……おそらく、唐土の伝説にある天狗に違いないのじゃ!!」
「テンコウ?」
「なるほど……わたくしも訊いた事があります……天の狗と書いて、『天狗』という、中国の伝説の妖怪ですよ。アマキツネともいいますが、こちらは犬の姿ですね……」
日本書記などにも、637年に大空から天狗、つまり火球が目撃され、雷のような物音を発したとある。
「えっ? 鼻の長い天狗さんとは違うのですか?」
「そうですね……日本の天狗の名の由来となったようですが、まったく別物の妖怪のことですよ」
「ややこしいのですぅぅ……」
流れ星はたいがい大気圏で燃え尽きるが、地表まで落下した火球は時に空中爆発をし、電磁波音をたてる。
そんな天体現象を昔の人が目撃して、咆哮をあげて天から駆け降りた狗だと思い、『天狗』と呼んだのだ。
「古来より、『天狗』は災いを知らせる凶星という……なにか江戸に災禍が起きる前兆ではあるまいか……」
「ぴええええっ!! おっかないワンちゃんなのですぅ!!」
くだんの天狗は、やがておもむろに口を開いた。
「ウォォォォ~~~ン……」と、犬か狼のような吠え声をあげ、一同を見つめる。
その瞳には賢者のごとき知性が感じられ、じっと、四人の娘たちを見つめていた。
「ごくり……こっちを見ているぞ……この天狗……」
「敵対する素振りはないようじゃが……」
「ワンちゃん……こんばんはなのですよ……」
おそるそおる黄蝶が話しかけると、白い犬のような生き物は口を開け、
「ワォォォ……クゥゥン……キュイィィィ~~ン……」
と、甲高い声で鳴き続け、それがやがて人語のようになった。
「……みなさん……こんばんは……」
と、落ち着いた男性の声で挨拶をした。
「犬がしゃべったのですぅ!!!」
「犬がしゃべるだとぉ!? そ~んな莫迦なぁぁぁぁ……」
「私の……主人の言付けをお聞きください……」
「御主人さま?」
天狗の両眼がキラリと光りだし、犬の姿が崩れ、銀色の液体金属となり、ふたたび盛り上がって、女人の姿になっていった。
彼女は額が広く、やや吊り眼で灰緑色の瞳を持つ、褐色肌の美しい女性である。
貫頭衣に八芒星が描かれた王冠を被り、槌矛をもっていた。
「こんどは女人に化けたァァ!?」
「この姿は……天界に住むという、天人かのう?」
「乙姫様か弁天様みたいなのです」
「……わたしは……金星のイシュタル王朝……最期の統治者……イナンナ……地球に危機が迫っています……恐るべき侵略者が……」
そう言いかけて、身体が崩れ、地面に溶け落ちていく。
「どうしたのですか、ワンちゃん!!」
黄蝶と紅羽が駈け寄るが、女人像がドロドロに崩れ、液体金属の水溜りになってしまった。
だが、最後の力をふりしぼったように、液体金属が一ヶ所に集まり、銀色の球体になる。
その後、なんの反応もない。
「なんだぁ!? 夜空から来たワン公は死んでしまったのか?」
「いや……ただ、力が尽きたのかもしれん……休眠しているのではあるまいか?」
「……ともかく、この天狗は何かを知らせようと、ここへ来たようですね……」
「ところで、天狗ちゃんはチキュウといってたですけど、何のことですかねえ?」
黄蝶がふしぎそうに竜胆を見上げた。




