死の大蟷螂
「……おのれぇぇぇ……妖怪退治人どもぉぉぉ……妖術をつかいおってぇぇぇ……」
「妖術じゃなくて、忍法よ!」
樹上の紅羽が大蟷螂の鎌之助に訂正する。
暗闇坂、その名の由縁となるほど木々が覆いかぶさって月の光もさえぎっていたが、それを利用して鉤縄が巨大昆虫妖怪を封じたのだ。
「カマキリがクモの巣にかかっていては世話がないのう……」
「いい気味なのですぅ……」
同じく樹上の別の枝に立つ竜胆と黄蝶も一息つく。
「あっ! あぶないっちゃ……そこから離れるっちゃ!」
又二郎の声にハッとする一同。みれば、大蟷螂の後肢と中肢を地面に縫い付けていた氷がシュウシュウと音を立てて消えていく。それは蒸発するのではなく、妖怪の足に吸収されていったのだ。
「鎌之助は草木を枯らせる秋の気・『粛殺』が鎌切坂の下の吹きだまりで妖怪となったもの……冷気や風を妖力として吸収することができるっちゃ!」
「なんだってぇぇぇ!」
――ギシギシギシギシ……
網の目のように絡めた縄が次々と音を立てて引き抜いていく……パワーを得た大蟷螂は渾身の力をふるって鉤縄で雁字搦めになった身体を解放した。そして、背中の薄幕の翅を羽ばたかせた。また砂塵攻撃かと、紅羽たちは逆襲に構えた。
が、巨大妖怪は体躯につむじ風をまとわせて足が浮き、巨体が宙に浮かぶ。
「まずい、逃走する気だっ!」
「空を飛んで逃げられては追いつけぬ……ここ、暗闇坂で仕留めなくては……」
「待てぇぇぇぇ! ムシッケラぁぁぁぁぁぁ!」
だが、くノ一たちの声も空しく、大蟷螂は木々の葉や枝を引き抜き、月夜の空へ飛翔していく――
麻布暗闇坂から少しはなれた所に有名な十番馬場があった――
麻布の火の見櫓で、日暮とともに交代でのぼった伝吉が春の夜の寒さに愚痴をいいながらも、煙はないかと周辺を見回す。
伝吉は麻生十番町の町火消だ。江戸の町は木造建設が中心で、火事になったら大災害になってしまう。そこで、町が組合をつくり、町火消を結成し、番屋に見張り台をつくって番人が24時間体制で警戒していた。
この見張り台を火の見櫓という。
麻布はもともと、空海によって建てられた善福寺や氷川神社などの寺社と農村の門前町であったが、江戸時代になると武家屋敷が立ち並び、1729年には馬場が開かれ十番馬場と呼ばれた。麻生十番町の名前のもとになったという。
また、仙台藩が近いことから仙台駒の市も開かれ、馬方の宿屋や飯屋、茶屋などが立てられ、頻繁に馬市がたつようになると町人も増えて発展していった。
伝吉の耳に野鳥の鳴き声が聞こえた。ふと見上げると、空の彼方に渡り鳥がV字型に隊列を組んで移動するさまが見えた。見慣れた光景だが、異様なほどに早く飛んでいる。鳥の群れが過ぎ去ったあとを見ると大きな鳥影が見えた。こんな江戸の町中に鷹か鷲が彷徨いこんだのであろうか?
よく鳥類は鳥目といって夜は目が見えないというが、これは俗説。ほとんどの鳥は人間の目と同じくらいの視力を持ち、薄闇のなかを飛ぶことが出来る。人間の飼育するニワトリなどは家畜として視力が退化してほとんど夜中に見えなくなるので、鳥はすべて夜は視力が落ちるという間違った認識が生まれたのだ。
伝吉がその黒い鳥影を見つめていると、グングン近づいてきた。しかも巨大になっていき、ヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴ……という異様な羽音が聞こえた。鳥ではなく虫の羽音のようだ……伝吉が信じられない顔で目を開き、アゴが外れるほどに開かれた。
「あ……ありゃぁ……鳥じゃねえ……カマキリだ……化け物みたいにデカいカマキリだっ!!!」
伝吉が半鐘を狂ったように打ち鳴らす。夕飯を食べていた住民たちが火事はどこだと家屋敷や長屋から顔を出す。
超巨大なカマキリが半鐘を鳴らす伝吉の火の見櫓の上部に肢で張りついた。半鐘を鳴らす伝吉は櫓の屋根と見張り台の間からのぞく巨大なカマキリの顔を間近に見てびっくり仰天。
子供のころ、野原で捕まえた小さなカマキリを思い出した。ハエやチョウ、バッタなどを捕食した肉食性昆虫。それと同じく餌となるのは自分だと気がつき血の気が引いていく。大蟷螂の興奮が上下左右四方に開き、唾液をしたたらせて迫ってくる。鎌之助としては、厄介な力を持つ妖怪退治人と戦うよりも、『食』という生物的欲求を優先的にみたすためにここまで飛来したのだ。
「うわあああああああああああああああああああああああああああっ!!!」
そのとき火の見櫓がミシッミシッと音を立てて斜めに傾いでいき、通りにむけて倒壊した。巨大昆虫の体重に耐えられなかったのだ。伝吉は見張り台から宙を飛んで地面に落下する。
あわや大惨事……と、思いきや馬市につかう大量の干し草を積んだ荷車があり、伝吉はその上に頭から突っ込んで大怪我をまぬがれた。だが、やっとありつけると思った餌を逃して鎌之助はお冠だ。だが、麻布十番町の住人が火事はどこだと案じ顔で外へ出て来て、巨大肉食昆虫を目撃して悲鳴をあげた。大人も子供も年よりも、根源的恐怖を感じ、何ももたず家を飛び出して逃げていく。
「……キリキリキリ……エサだ……エサだ……エサだ……キリキリキリ……」
大量の生餌が逃げ惑うさまに、喜色満面となる風妖怪鎌之助。鎌状前肢を伸ばして、転んで逃げ遅れた女の子を捕えようとする。その子は紅羽たちが狸坂ですれ違った赤い着物を着た女の子だった。
「えぇぇぇ~~~~んっ!」
恐怖で腰が抜けてへたり込んだ女の子。パニックから火のついたように泣きじゃくっている。巨大カマキリがズシンッズシンッと歩み寄り、邪魔な建物を大鎌で切り裂き破壊した。瓦が吹き飛び、木材が欠片となって散乱する。女の子はこのまま妖怪に食べられてしまうのか――
「待てぇぇぇぇぇぇぇ!!! 天摩忍法・火鼠!」
そこへ横から火の玉が飛んで怪物の顔面に当たり、火の粉が飛ぶ。
「……うがぁぁぁぁ!」
背後から大きなつむじ風が追いかけてきた。倒壊した火の見櫓の前に旋風は止まり、回転をとめていく。風の中心に三人のくノ一がいた。三人の肩には小獣姿の鎌鼬三兄弟が乗っている。
鎌鼬の風妖術で空を飛んで移動したのだ。黄蝶が泣いている女の子に駆けより、抱き起す。
「……また……貴様らか……キリキリキリキリ……」




