上がりは猫又の湯
次第高が巨大な足を持ち上げ、三女忍を踏みつぶそうとする。
だが、そのとき……
「ちょっと、待ってください、次第高さんにゃ……あなた凄い妖術をもつ猫又なのはわかったのですが、猫魈だというのは盛り過ぎでにゃいですか!?」
「にゃんだとぉぉ!? わしは本当に猫魈じゃらほい!!」
黄蝶が妙なことをしゃべりだし、紅羽が「何だ急に?」とつぶやくが、竜胆が目配せをし、「ははん……」という顔つきになる。
「でも、巨大化するくらいなら、他の猫又妖怪にもできるのですにゃ……大入道に化ける事はできるのですかにゃ?」
「にゃふふふふ……そんなもんはカンタン、カンタン!!」
そういって、次第高は「にゃんころりんの、すっとんとん!!」と変身呪文を唱えると、身の丈はそのまま、墨染めの法衣と袈裟を着込んだ大入道に変化した。
「おおっ!? これが山同心たちの見たという大入道かにゃ!!」
「変化術もうまいものじゃにゃ……猟ある猫は爪を隠すとはこの事じゃにゃ」
大入道となった猫又大尽は、三女忍の御世辞に、まんざらでもない様子。
「にゃふふふふふ……そうだろ、そうだろうにゃ……」
「でも、象に(ぞう)には化けられないですよねえ?」
「象にだって化けられるじゃらほい!」
そういって次第高は陸上最大の哺乳類である象に変化し、長い鼻をもつ灰色の肌の象がパオ~~ンと鳴いた。
八代将軍吉宗が享保十三(1728)年に広南(現在のベトナム)から中国の貿易商・鄭大成を通じて象を輸入したことがあり、江戸では象ブームがあったのである。
「おおぉぉ~でかい……」
「これが浮世絵などで見た象という生き物かのう……」
「すごいのですぅ……でも、鯨には化けられないですよねえ……」
「わしをなめんにゃよ! 鯨神さまにも化けられるじゃらほい!」
調子にのった次第高が巨大なシロナガスクジラに変身して、頭頂部の噴気孔から潮を吹いた。
「凄いですにゃぁ……でも、大きなモノには化けられても、小さな小僧さんには化けられにゃいですよねえ……」
「にゃんだとぉぉぉ!? わしは何にだって化けられるじゃらほい!! 見てみい……にゃんころりんの、すっとんとん!!」」
次第高は呪文を唱え、子供ほどの大きさの小僧さんに化けた。
「おお……凄いですにゃあぁ……」
「にゃふふふふ……見たかわしの実力を!?」
「でも、それ以上小さい……ふつうの猫とかに化けられにゃいですよね?」
「にゃんだとぉぉ!! わしに化けられんものはないにゃ!!」
そういって、膝ほどの大きさの白猫に化け、「にゃお~~ん」と鳴いた。
「おおっ……やるのですにゃあ……でも、それくらいなら、他の猫又でも出来るですにゃ……豆のように小さくはなれにゃいですよね?」
「このわしに不可能はないにゃ!!」
そういって、次第高は豆粒ほどの大きさの猫に変化した。
「見たか、わしの変化の妖術を……」
そこを黄蝶が背中から取り出した瓢箪の呑み口から、豆粒猫を中に入れて、栓をしてしまった。
「にゃぎゃああああああっ!? なにをするにゃ!!」
豆粒猫となった次第高が大きくなって瓢箪の外皮を破ろうとするが、硬くて破れない。
それもそのはず、龍女公主にもらった極楽水の入れ物は、神仙の力が宿るからだ。
「調子にのったようじゃにゃ、次第高……窮鼠猫を噛むという……お主は黄蝶の計略にひっかかったのじゃにゃ!」
「にゃんだとぉぉぉ!?」
瓢箪にはいった次第高を腰に下げた黄蝶たちが坂をのぼる。
「次第高……もの凄い妖術をつかうが、阿呆猫だったにゃ……」
「それにしても、よく瓢箪に閉じ込める奇策を思いついたのじゃにゃ、黄蝶」
「ず~っと、なぞなぞばかりして、頭が頓智でいっぱいだったからですにゃ!」
「こりゃあ、黄蝶に一本とられたぞにゃ」
「みんなで上がりに行くのですにゃ!!」
「おう、にゃ!!」
「今回は黄蝶の大手柄じゃにゃ!」
「えへへへへ……だにゃあ」
猫と化しつつある三人は坂の上に昇る。
築地が破れ、屋根瓦が欠け、壁にひびがはいり、庭の木々は手入れされず、草が茫々と生え、夜ともなると幽霊の出そうな荒れたる古御所があった。
その正門に豪奢な着物をまとった女性が佇んでいて、ニッと笑うとお歯黒が見えた。
そして、顔に毛が生え、頭頂に三角の耳が生え、お尻の上から尻尾が生えて、化け猫に変形していく。
「わらわは『古御所の妖猫』であるぞよ……よくそわここまで来た……あがりぃぃぃ!!」
と叫ぶと、門から頭に手拭いを被った猫たちが飛び出してきて、黄蝶たちの周囲で祝いの踊りをはじめた。
「きゃはぁ!! 踊る猫ちゃんたち、可愛いのですぅ……」
黄蝶たちが多幸感に包まれているうちに、三人は元の特大絵双六の盤面に戻った。
「おめでとう!! 猫又街道妖物双六の勝者は黄蝶ちゃんたちですよぉ!!」
やっと酔いから目覚めた龍女公主と、黒蘭と千代松の猫又兄妹が祝福してくれた。
「ありがとうにゃのですぅ!! 龍女公主さま」
「これで黒蘭たちも借金から解放されるにゃ」
よよよ……と、男泣きに泣く千代松。
「いいのですよ……」
「でも、人間に戻れなくなったのじゃにゃ……」
「なら、猫又大尽を瓢箪から出す条件にするのはどうだにゃ?」
相談する黄蝶たちをよそに、竜女公主が、
「ほほほほほ……それくらいなら、わたしにもできますよ……」
「えっ! ぜひ、お願いしますにゃ!!」
「これを呑むと猫人間化の薬効は消えますよ……仙術・神聖水!!」
龍女公主が両手から噴水のように吹き出した恵みの水を飲むと、猫又温泉の猫化させる薬効は浄化され、三女忍は元の人間の姿に戻った。
「おおっ!! 元の人間に戻ったぁぁ!?」
「……ありがとうございます、龍女公主さま……」
「だけど、人間に戻せるなら、最初からしてくれればいいのに……」
「ほほほほほ……ごめんなさい。人間と次第高の双六勝負が面白そうだったのでね、ほほほほほ……そうそう、次第高に用があります」
瓢箪から出された次第高は、龍女公主の前に平伏した。
「次第高……双六試合はズルをしないという約束を破ってしまいましたね……」
「もうしわけありませぬ、龍女公主さまぁぁ……」
「それに、黒蘭ちゃんや千代松ちゃんを始め、双六の賭けで負けた猫又たちを、温泉宿でタダ働きさせていたとか……」
「ぎくぅぅぅぅ!?」
「妖怪はいたずらや多少の悪さをするのが本性であるから、多少は仕方がありませぬが、これは少々やりすぎです!!」
龍女公主の周囲に怒りの妖気が噴きだし、小さな雷が鳴った。
「へへへへへぇ~~、申しわけありません!!」
「賭けの約束通り、温泉宿で一年間下働きをして根性を治してもらいます。その間、わたしが温泉宿の経営を務めましょう……」
「しょんなぁぁ~~…とほほほぉぉ……スゴロクはもう、コリゴリじゃらほい……」
ズルに加担した番頭猫と幇間猫、見て見ぬふりをした狸坂の長と狐坂の長も同様に一年間下働きをすることになった。
「あっしもですかにゃあ?」
「飛んだことになったでげすにゃあ……」
「しょんなぁぁ……長として面子丸つぶれだポン……」
「あなたたちは権力をかさに、思い上がりすぎたようです……初心にかえって修行しなさい!」
「わかったにゃあ……」
「一兵卒からやり直しますコン……」
「ほほほほほ……温泉とは、くつろぎの場、誰もが気持ち良くなる憩いの場でありたいものです……わたくしが『猫又の湯』の若女将として、しばらく見守りましょう」
「えっ……若……女将ですかにゃ? 公主さまはわしより年上……」
龍女公主はにこにこと笑みを浮かべ、
「……もう一年、奉公期間を伸ばしましょうか、次第高さん?」
「なんでもないですにゃあ!!」
かくして、猫又温泉の膿は出され、ただ働きをさせられていた黒蘭たち猫又たちは解放された。
もしかしたら、龍女公主は、黄蝶たちの双六試合をきっかけに、猫町温泉の清浄化を狙っていたのかもしれない……
「ありがとうございます、天摩衆のみなさま方……あっしもこれに懲りて、賭け事なんぞにうつつを抜かさず、妹猫を大事にいたします……」
「あにさん……ぐすん……本当にありがとうございましたにゃ、黄蝶さん、竜胆さん、紅羽さん……」
千代松黒蘭兄妹猫が涙を浮かべ、黄蝶たちもうるっとくる。
「いいってことなのですよ……」
「ちぇっ、眼に汗をかいちゃったよ……あたしは湿っぽいのが苦手なんだ……」
「素直に涙といわぬか……兄妹仲良く暮らすのじゃぞ……」
「ところで、千代松ちゃんは丁子屋さんには帰ってくれるのですか?」
「へい……あっしは家猫として育ちましたんで、その方が性にあってまさあ……」
「黒蘭ちゃんは?」
「あちきも一週間ぶりに踊りの師匠の家に帰るにゃ……」
「きっと、首を長くして待っているですよ」
猫町温泉のある裏の世界と、表の世界をつなぐ出入口は猫又橋の下の他にもあり、猫又坂と水田の間にある森の洞から、表の世界に帰った。
三女忍は千代松を丁子屋に返し、丁子屋の御内儀は元気を取り戻す。
寛永寺宝物殿に『黄金の木魚』が返還され、山同心の勝尾武四郎と二星大助の免職もつながった。
さて……あの不思議な猫町温泉はその後、どうなったのか……
……カポン
「まあ、素敵な温泉ですねえ……」
「この湯は人間が入っても猫にならないのですよ、秋芳尼さま」
「まあ……猫ちゃんにった黄蝶たちも見てみたかったですが……」
「いやあ……猫になるのはもう、コリゴリだよぉ……」
「それは紅羽に同感じゃな……」
天摩忍群の者たちは、ときおり、猫又の湯に訪れて、温泉を楽しんでいるようですよ……
さて、それでは、今回のお話はこれまで。次回はどんな事件が待っているのか……それはまた、次回の講釈で……
おしまい




