怪談!狸囃子(たぬきばやし)
月の光が煌々と照らす闇夜。
大きな寺院の一角とおぼしき宝物殿の前で、篝火を焚き、背中にカスガイ山を染め抜いた浅黄の法被に、たっつけ袴をはき、腰に木刀と十手を差した武士がふたり、不寝番をしていた。
「それにしても、黄金の木魚とは豪儀なものを寄進されたなあ……」
「ああ……京橋の仏具問屋・如来堂といえば、将軍家はもとより、大名旗本にお得意様がいるという大店だからな……金が蔵にうなっているんだろ」
近くの植え込みからヤブ蚊が飛んできて、武士が己の頬をパシリと叩いた。
「しかし、確かに金製で価値があるが、見張りをするほうは大変だわい」
「しかし、寛永寺まで忍び込んで木魚を盗もうという盗賊などいるかなあ? その辺の商家の蔵を狙ったほうが楽だと思わんか?」
「いやいや……さいきん江戸の街に貉小僧という怪盗が出るというではないか」
「おおっ、あれか……千両箱や金の延べ棒など狙わず、書画骨董のたぐいばかり盗みだすという盗賊のことか?」
「それよ、それ。品川の寺や赤坂の商家が狙われたとえらい騒ぎじゃい」
貉小僧とは、そのころ江戸の町で噂の謎の怪盗のことである。
室町時代の仏画や明王朝の香炉など、高価な美術品ばかりがいつの間にか盗まれ、決して姿を見せないことから不思議な盗賊として有名でした。
顔がわからないので、人相書きもつくられていない、謎の怪盗だ。
ただ、貉の絵札を残していくことから、人呼んで貉小僧という。
「たとえ、怪盗が来ても、わしは剣術・槍術・柔術・十手術・捕縄術の達人だ。まかせんかい!」
そういって、エラの張った武士は木刀を構えて、「エイヤ、トウ!」と素振りをした。
「おおっ、頼もしいぞ、勝尾氏!」
エラの張った偉丈夫の武士は勝尾武四郎といい、細身の武士は二星大助という。
「へっくしょい!」
「なんだい、風邪か二星氏?」
「いや……ちょいと冷えただけだ……それにしても梅雨晴れで蒸していたのに、今夜に限ってやけに冷えるなあ……ずびび……」
「ならばいいものがあるぞ!」
そういって勝尾文四郎は夜食を入れた風呂敷包みから酒徳利と欠けた茶碗をだした。
「ややややのや! おぬし、警備中に酒はまずいだろう……」
「なあに、酒では無いぞ、坊主流にいえば般若湯よ。少しぐらいなら、温石代わりにちょうどよいわい」
「むむむ……ずびびび……温石代わりか……そうだな、風邪をひいては御役目もままならん……」
洟水をすすりあげる二星大助は同僚の誘惑にまけて濁酒を一杯ひっかけた。
「うほぉぉぉ……胃の中から温まるなあ……」
「そうだろ、そうだろ……上役の田村殿は今頃、寝所で高いびきの最中だ、これぐらいの役得があってもよいではないか……」
「さようさの……いつ来るともわからん怪盗の心配など、取り越し苦労というものだわい……ひっく」
莞爾と笑って勝尾文四郎は手酌で三杯もひっかけた。
このいささか不真面目な二人はれっきとした幕臣であり、東叡山寛永寺を警備する山同心という寺役人である。
夜間定時巡廻の仕事の他に目代の田村権右衛門からの下知で、昼間に寄進されて宝物殿に収めた黄金の木魚の見張りをすることになったのだ。
と、見張りそっちのけで手ごろな石を椅子がわりに引き寄せて座り込み、酒盛りを始めた二人の山同心の耳に不思議な音曲がどこからか聞こえてきた。
〽ピッ、ピッ、ピーヒャラララ……ポンポンポコポン、ポンポンポン……
「むむむ……酔ったかな……お囃子が聞こえてくるような……」
「俺の耳にも聞こえるぞ……狸囃子ではないか?」
「莫迦な……ここは上野だぞ……本所七不思議からは遠いではないか……」
「しかし、狸坂の狸がここまで来たのかもしれんぞ?」
「なるほど……いやしかし、寛永寺に忍び込むとは、けしからん! わしが捕まえて狸汁にしてやる!」
「おい、待てっ!」
勝尾武四郎が真っ赤な顔をして、立ち上がり、腕をまくり上げ、木刀を引っこ抜き、囃子の音がするほうに駆けだした。
音曲は山同心から逃げるように遠ざかり、聞こえなくなった。
口をへの字に曲げて戻った勝尾武四郎が酒を飲もうとすると、また聞こえて来る。
狸囃子とは、近くで聴こえたと思えば、遠くで聴こえ、遠くで鳴った思えば、近くで聴こえる……いったいどこで御囃子が演奏されているか分からない怪現象である。
「わしを莫迦にしおって!」
「よせよせ……化け狸の思うつぼだぞ。マヤカシなど無視じゃ、無視……それより、宝物殿を守らにゃ……」
「ぬうう……そうであった……」
二人が狸囃子を無視して酒をあおる。
すると、近くの植え込みから小さな影が飛び出してきた。
それは膝より高いほどの小さな影で、二本足でヒョコヒョコと歩いている。
「やややっ……わしは酔ったかな、二星氏……妙なものが見えるぞ……」
「いや、それがしにも見えるぞ……あれは……猫だ!」
小さな影は、二星大助のいうとおり、茶トラ毛の猫であった。
だが、手拭いを頭にかぶり、後足でたちあがり、両手を前に出している。
植え込みの影から人間のように二本足で立って歩く猫が次々と飛び出し、二十数匹の猫が勝尾と二星の周囲をぐるぐるとまわる。
やがて狸囃子にあわせて陽気に踊り出した。
「二星氏……わしには猫が踊っているように見えるのだが……」
「これは酒の酔いが見せる幻……幻覚だ……無視せよ、無視じゃ……」
二人とも無視して酒杯をあおる。
だが、勝尾武四郎が「ええい、莫迦にしおって!!」と、杯を踊る猫に投げつけると、猫たちは蜘蛛の子を散らすように四つん這いになって逃げ去った。
「これこれ……猫をいじめるでない……一寸の虫にも五分の魂……猫だとて生きておるのだぞ」
突如、二人の前に野太い声がかかった。
ふたりとも慌てて酒徳利を背後にかくす。前にいたのは提灯をもち、網代笠をかぶった墨染の法衣をきた僧侶であった。
しかし、背丈が子供ほどしかない。
「なんだ、小僧か……」
「銭をやるから、この事は黙っていろい」
と、山同心は小僧の眼のあたりを見た。
網代笠の奥の影の目玉が、急に光った気がしてぞっとした。が、篝火の反射であろうと考え直して小僧を見つめる。
すると、網代笠の小僧の姿が急に一回り大きくなった気がした。
驚いた二人は眼を凝らして見つめると、さらに体が大きくなり、大人の僧侶となった。
これは、酒に酔って、大人の僧侶を小僧と見間違えたのだろうと、思い直す。
「ややや……これは失礼……みっともないところをお見せいたしました……御坊」
「見かけぬ方ですが、あなた様は寛永寺に逗留されたお坊様ですかな?」
「ほっほっほっ……」
石に腰掛けた山同心が見上げた僧侶の体はさらに大きくなり、宝物殿の屋根より大きくなってしまった。
人間をつかめそうな大きな手で宝物殿の擬宝珠をつかんだ。
「ぎゃあああああっ!!」
「大入道だあぁぁぁ!!」
勝尾武四郎と二星大助は驚愕のあまり、泡をふいて気絶してしまった。大入道はゲラゲラと笑い出す。
〽ピッ、ピッ、ピーヒャラララ……ポンポンポコポン、ポンポンポン……
遠くから狸囃子の音曲が聴こえ続ける……
いまは、天明元年六月末、西暦でいえば1781年。
徳川家の将軍も十代目・家治のころ――俗にいう老中・田沼意次時代の話であった。
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