坂の上の猫
三人の娘忍びは麻生にある宮村坂、通称『暗闇坂』へ足をのばした。
「なるほどここは木々が生い茂り、昼間でも薄暗く寂しい坂だね」
春なので木々に新芽が息吹いているが、クスノキやユズリハなどは古い葉が落ち葉となって若葉に座をゆずっていた。木の下闇の道は影が落ちて不気味な感じがただよう。
「なんだか、こわいですぅ~~」
「こういう場所を江戸の人は単純に暗闇坂と名づけたようじゃ」
「うわっ、単純……」
「なので、同じ名前の『暗闇坂』は日本各地にあり、江戸八百八町だけでも十二か所あるそうな」
「へ~~……あっ、あっちで人があつまっているのですよ……」
黄蝶が指さす先の、坂の中ほどに人だかりがあった。
ふだんは人通りが少ない坂だが、辻斬り騒動があって野次馬が集まったようだ。
朝早く、夜釣り帰りの男が道端の草むらからのぞく血の気の無い足を見つけ、二人の浪人者の死体を発見したのだ。
番所に知らせて、八丁堀にある町奉行所から同心と岡っ引きがやってきて遺体検分をしている。
北町奉行所同心の田亀武兵衛と岡っ引きの赤鼻の源五郎親分である。
人波をかきわけて紅羽が、
「八丁堀の旦那、斬られた人の仏さんを見せてください」
「ん? なんだおめえ……仏の知り合いか?」
鬼瓦みたいにいかつい顔をした同心がギロリと若侍姿の紅羽に顔をむける。
「実は……噂にきいた人相風体が知り合いの浪人に似ているもので、確かめたくて……」
もう一人の巫女姿の竜胆が言葉をそえる。
「ほう……なら、仏はあっちだ、とくと確かめな……だが、むごくて卒倒しちまうかもな……」
鬼瓦同心が嘲笑するが、その顔がまた怖い。
三人目の町娘姿の黄蝶がおびえた。
「ぴえ~~ん、御遺体みるの怖いですぅ……」
「仏の検分はあたし達がするよ……黄蝶はちかくで待っていな……」
「うん……」
紅羽と竜胆が莚をかけられた浪人者の死体を調べにいった。
田亀同心と源五郎が顔をあわせて難しい顔をする。
「それにしても、田亀の旦那ア、こいつはなんとも不気味な事件ですねえ……」
「うむ、……先日の辻斬りに続き、血を抜き取られたみていにカラカラの屍体よ」
「ほんに木乃伊っていうのは、このことで……」
『木乃伊』とは英語みたいだが、実はれっきとした日本語である。“木乃伊”という言葉は中国の文字から借りてきて、音はポルトガル語の“ミルラ”からとった言葉である。
ミルラとは、北アフリカ原産のゴム樹脂のことで、エジプトのミイラ作りに使われた。
英語ではミイラをマミーというが、これはエジプトのミイラを作るさいに、表面にぬったアスファルトをアラビヤ語で“ムミヤ”といい、これが変化して『マミー(MUMMY)』という英単語になった。
ちなみに本場のエジプトでは、身分の高い王族しかミイラになれなかったために“高貴な人”をさす言葉『サーエフ』と呼ばれている。
「源五郎、下手人てのは不思議なもので、よせばいいのに、また犯行現場を見にくるっていう癖があるらしい……」
「へい、するってえと、この見物人のなかにもしかしたら……」
ざっと、野次馬を見渡すと通りすがりの町人、行商人、魚売り、丁稚、飛脚……といった連中がいた。
「田亀の旦那あ、どいつもこいつも人が好さそうな町民ばかりで、辻斬りなんぞしそうにないですぜ?」
「う~~む、やはり武士が下手人だろうなあ……浪人ならお縄にできるが、旗本の道楽息子が刀の試し切りをしてたんじゃ、町方のでる幕じゃねえしなあ……」
町奉行所の同心は町人の犯罪捜査にだけ手が出せる。
寺院や神社がらみは寺社奉行、武士の犯罪は目付の仕事だった。
町奉行所は武士の犯罪を吟味して、目付にまわすことしかできない。
なので、町方同心の田亀武兵衛は己の手柄に直結しないから、なんとなく乗り気ではない。
「しかし、浪人でも、武家のボンボンの仕業だとしても、血を抜き取るなんて猟奇的なことをしますかねえ……」
「う~~~む、まあ、そいつは下手人を捕えて事情を吐かせればいいわい」
「さいですか……」
「とにかく、怪しい奴を数人引っぱって牢にぶちこむんだ」
「へ、へい!」
どうやらこの同心と岡っ引きは典型的なヘボ同心とヘボ岡っ引きのようだ……
一方、紅羽と竜胆の検分を待っていた黄蝶は坂の草むらから飛び出してきた太った野良猫を見つけた。
黒と赤のモザイク模様のサビ猫で、海外では珍しいが、日本ではありふれた種類だ、ちなみに三毛猫と同じでメスしかいない。
「あっ、にゃんこ♪」
とてとてと追いかけて、坂の上の一本松まできた。
この松は麻生一本坂という名前で、暗闇坂・一本松坂・大黒坂・狸坂という四つの坂の交差点で有名で、『江戸名所図会』にも載っている。
黄蝶は頭を撫でようとした。
しかし、警戒心の強い野良サビ猫は鋭い視線を黄蝶に飛ばし、撫でようとした手の平を爪で引っかいて松の下の草むらに逃げた。
「いた~~い! ぐすん、嫌われちゃったですぅ……」
「どうしたが、お嬢ちゃん。おっと、いけねえなあ、血が出ているじゃねえか……」
黄蝶の叫び声に、菅笠に大きな風呂敷包を背負った、平凡な顔つきだが優しい面構えの男が黄蝶に駆けよってきた。
「大丈夫ですぅ……唾でもつけときゃ治るですう」
「いけねえよ、嬢ちゃん。ちゃんと消毒しなくちゃ破傷風になるかもしれねえちゃよ……」
と、男がキレイな端切れで傷口の汚れをふきとり、風呂敷包の薬箱から貝殻にはいった膏薬を傷口に塗った。
「お兄さん、慣れてますね。薬屋さんですか?」
「ああ、越中富山の薬売りで、又三郎ってんだ」
「わたしは黄蝶ですぅ」
「キチョウっていうと、戦国時代の信長公の奥方と同じ名前だっちゃねえ……」
「あちらは帰る蝶々と書きますけど、わたしは黄色い蝶々と書くのですぅ」
「紋黄蝶かあ……黄八丈まで着て蝶々の妖精みたいに可愛いちゃよ」
「えぇぇぇぇぇ……」
黄蝶が耳まで赤くなった間に右手の平に包帯がまかれた。
「それじゃ、気をつけんだよ……」
「は、はい……」
ふしゅう~~と、へたりこむ黄蝶。
「おっ、黄蝶こんなとこにいたのか……」
「近くにいなきゃダメじゃぞ」
紅羽と竜胆が坂の上の一本松までのぼってきた。
「ごめんさいですぅ……猫ちゃんを追いかけてたら、怪我しちゃって……」
「おいおい、大丈夫か? って、しっかり包帯を巻いているな」
「親切な薬屋さんに手当してもらったのですぅ」
「むむっ……黄蝶、顔が赤……」
竜胆のセリフを黄蝶が慌てて割って入った。
「あっ、そうそう! 亡くなった浪人さん達の遺体の状況はどうだったですか!」
「そうそう、それなんだけどね……全身切り刻まれた傷口があるけど、血が一滴も残ってないんだよねえ……」
紅羽が渋い顔しをして顎を人指し指と親指で支える。
「やっぱり、妖怪の仕業ですか?」
「おそらくね……死体に妖気がプンプンが残ってたよ……」
「すると、この坂に辻斬り妖怪が潜伏しているのですね」
「先日の辻斬りも日暮から夜中にかけてじゃった……この坂にいるとみて間違いないのう……」
竜胆が坂の下を見渡した。
この木の下闇の木々か草むらに凶悪な物の怪が潜んでいるかと思うと、不気味だった。




