あとがき
はい、どうも、辻風一です。
ここまで読んでいただいて、ありがとうございました。
紅羽・竜胆・黄蝶にくわえ、今回はゲストキャラの阿茶、秋芳尼たちも少し活躍します。
地底にある狐の国で、彼女達はさまざまな冒険を繰り広げます。
今回は妖狐の話です。
さいきんでもアニメや漫画、ゲームなどのサブカルチャーでは狐耳少女が一定の人気がありますが、元々日本の民話や昔話にも登場するキャラクターでもあります。
最古の狐女の話とされているのが、平安時代に書かれた『日本霊異記』に掲載されている話で、現在でいう岐阜県に住んでいた男が、野原で美しい女性に出会い、仲良くなって結ばれ、子供が生まれました。
しかし、ある日、犬が吠えて、女房に咬みつこうとした。
追われた女房は逃げるうちに正体をあらわし、狐の姿へと変じました。
こういう風に変化していた妖怪が正体を現すことを「尻尾を出す」といって、現在でも使われている言葉でもあります。
冒頭の阿茶と鶴吉の話は、落語の『王子の狐』が元ネタでもあります。
つまりこの話は『王子の狐』の後日談ともいえるわけですね。
もっとも、王子稲荷神社の鎮守の森の地下に狐の国があるというのは、作者のモーソーの産物であり、フィクションですよ、念のため。
くノ一妖斬帖第一話では落語の『野ざらし』をネタにしましたし、これからも落語ネタはいれていこうと思います。
作中で大工の鶴吉が経験した狐返りは作者が実際に経験したことをもとに書いています。
田舎育ちで、都会で働き、また田舎に戻りまして、堤防なんぞを散歩していると背後から狐がヒタヒタと歩いてきて、鶴吉が経験したようなことがあったのですよ。
昔は狐狩りや罠などを仕掛けたので、狐の数は少なかったようですが、鳥獣保護法で野生動物が狩られなくなり、数が増えて人里まで食べ物をあさりにきたようです。
狐は肉食で野ネズミや野生の鳥を捕まえて食べますが、農家の育てるトウモロコシが大好物であり、忍びこんで食い荒らします。
トウモロコシはハイカロリー食品で、イノシシやクマなども匂いにひかれて来るみたいです。
この話を書き溜めて、投稿を始めたらゴーン容疑者の事件が報道されてしまい、裁判ネタなのでまいっちゃったなあ……
あちらはゴーンだけど、こちらはコーンの話で関係ないんだけどね。
一ヶ月くらい開けて発表したほうがいいかと思いましたが、山田風太郎先生なら、パロディ好きで時事ネタを作中に盛り込む方なので、有かなと思って投稿を続けました。
山田風太郎先生は学生運動が盛んな頃に書いた「彦左衛門忍法盥」で、ヒッピーを飛屁組、ゲバ棒を下馬坊組、ノンポリを呑堀組なんて、もじった遊びをしてたしねえ。
他にも「忍法笑い陰陽師」では江戸の戯作者として、当時の人気作家・松本清張をもじって松本張亭なんて人物を出したり、作品自体も山手樹一郎の「江戸名物からす堂」のパロディであったりする。
おいらも箱隠れ権蔵とか、ネタしてに盛り込もうかと思ったけど、まあいいか。
今や新型肺炎騒動でそれどころじゃないし……
この小説を書いていて、小学生のころ、教科書で読んだ宮沢賢治の「雪わたり」を思い出しました。
少年と少女の兄妹が冬に野原でしゃべる狐に出会い、幻燈会に誘われる話だというのは覚えているけど、後はさっぱり覚えていない。
そこで、図書館で借りて読んでみました。
宮沢賢治特有の擬音「きっくきっくとんとん……」など懐かしい。
「雪わたり」の世界では、狐は人を化かさない事になっていて、人間が酔っぱらって肥溜めをお風呂と勘違いしたり、馬糞をおまんじゅうと間違えたりしたことを狐や狸のせいにしたというのが真相だといのうですよ。
狐や狸がだますのは冤罪で、彼らは憤慨していると……
まあ、そうなんだけど、こういう世界観で今回の話を書いても良かったかなと思ったけど、よく考えれば今作の狐は妖術や幻術を使うので、使えないネタであった。
それにしても、「雪わたり」の世界の狐たちが野原に住んでいるのに、なんで幻燈や写真を持っているのか、あと、酔っ払いがウサギの○○を食べるのを写真に撮ってないで、止めてあげろよ、なんてつまらない突っ込みをいれたくなった。
でも、こういうつまらないツッコミ入れたくなると、児童物の話って、つまらなくなるんだよなあ……
ドラえもんやクレヨンしんちゃんが毎年映画で子供達だけで大人の悪者や怪物と戦う話も、子供が戦っちゃ危ないでしょ!
というつまらないツッコミと同じような気がする。
昔の少年探偵団や鉄人28号など、少年が犯罪事件に大人のように首をつっこんで解決するのも、荒唐無稽だからこそ、子供は楽しいんだけどね。
大人になると、忘れてしまって、つまらないことを言いだす。
あと題名も作者も忘れたけど、狐狩りを描いた文学短編を思い出した。田舎に住む少年の家で鶏小屋が狐に襲われてしまい、父親と仲間たちが怒って狐狩りをする。
そして、狐を殺したあとで、祝杯に鶏を絞めて、ご馳走にするという話があり、少年は鶏の仇に出たはずなのに、最後は鶏を殺して食べるのはヒドイという……
世の中は矛盾するもので、十代ならではのモヤモヤ、潔癖性を描いた話で、妙に印象に残っています。
次回は少しずつ書き溜め、春頃に投稿できれば良いかなと思います。それではまた。




