悪魔の芽吹き
王子稲荷神社の広い境内で落ち葉を掃きながら、老神主は秘密の御穴様に消えた妖怪退治人の娘たちと若い寺社役同心の顔を思い出した。
「はて……妖怪退治人の方々は無事に狐御殿とやらにたどりつけたかいのう……」
そこへ馴染みの参拝客である廻船問屋の主人・下総屋太郎右衛門とその娘の姉妹、奉公人ふたりがやってきて、挨拶した。
「これはこれは、下総屋の御主人……日本橋からわざわざお越しとは……」
「なに、わしが店を持てたのもお稲荷大明神さまのお陰さ……元気なうちは、王子まで年に数度はお詣りに行かないとねえ……しかし、今日は参拝する人が少ないねえ……」
「ええ……まあ……」
「実は来る途中、休憩した茶店で小耳にはさんだのだが、扇屋さんで奉公人が妙な病にかかったとか……しかも、人間が木になるだなんて現実離れした……まさかと思ったが、実際に行ってみたら今日は店じまいだったよ……」
ふくよかな体つきの下総屋主人が溜め息をつく。
横には大輪の花のように美しく、島田髷に珊瑚の簪、華麗な江戸小紋を着たおもん・おちかの美人姉妹がいた。
それを守る用心棒の奉公人・辰次と音松は荷揚げで鍛えたたくましい体つきの若者だ。
「あたし、参拝の帰りに扇屋さんで御料理を食べるの、楽しみにしていたのに……特に卵焼きが甘くてフワフワで上品なお味よ」
「まあ、おちかちゃんたら……そんなに食べてばかりだと、また目方が増えたと大騒ぎしますわよ……」
「まあ、お姉さまのイジワル……知らないっ!!」
ぷいと膨れた妹のおちかであったが、コロコロと鈴を転がしたように笑う姉のおもんに釣られて、同じように笑い出した。箸が転がってもおかしな年頃である。
「仕方がないよ、おもん、おちか……別の料亭に行こう……しかし、扇屋さんは無事に店を開くことができるかねえ……」
「なあに、江戸から寺社役同心が妖怪退治人の方々を引き連れてやってきましたからねえ……そのうち解決するでしょうよ……」
「妖怪退治人? なんですか、それは?」
「きっと、日本各地の山で修行したたくましい山伏よ、お父様!」
「違うわ、お姉さま……きっと、高野山で修行したお坊様さまよ」
「いやあ……それがですなあ……」
神主がエヘンと咳払いして、口上をしようと思った矢先、足元がよろけた。地面が盛り上がり、土砂をかきわけ、なにか細長いものがムクリと顔を出したのだ。
「なんじゃい……これは!?」
それは土砂にまみれた大蛇のように太い根っ子であった。
それが生き物のように蠢き、人の背より高く伸びた。
皆は慌てて離れ、庭木の後ろに隠れる。
「きゃあああああああっ!!」
が、逃げ遅れたおもんとおちかが怪生命体に捕まった。
おもんとおちかの体に触手根がからみ、蛇のように這いまわり、幾重にも縛り上げ、肌理のこまかい肉に食い込んだ。
「おもん、おちかぁぁぁ!!」
「お嬢さん!!」
悲鳴をあげて腰を抜かす主人にかわり、辰次と音松が駈け寄って姉妹を緊縛する根を引きはがそうとする。
彼らは米俵を両肩に持って荷運びできる力自慢で、主人や娘が出かける時には用心棒としてついていき、因縁をつけるチンピラを撃退した武勇伝がある。
そんな彼らが力瘤をつくり、汗を流してはがそうとするが、妖根は強靭なつくりでビクともしなかった。
そして、別に這いだしてきた根に絡め取られてしまう。
太い筋肉の腕や胸板に食い込んだ蔦は強健な肉体をもつ若者でも抜け出すことができない。
すると、太い根から芽が生え、若葉となり、見る間に成長して蔦となって四人の若者の肢体を包み込んでいった。
やがて四名の若者の肌は見る間に青白くなって、しおれていく。生気を吸われているのだ。
横から顔を出して様子をうかがう主人と神主。
「神主さん、あれはいったいなんですか!?」
「はて、わしも長年ここに暮らしておるが、あんなものは初めて見たですじゃ!!」
「だ、だれか……娘たちを助けてくだされぇぇ!!」
さらに同じ穴から五本の蔦まで這いだしてきた。
下総屋主人と神主たちめがけてウネウネと襲いかかってきた。
その眼前に影が差しこんだ。
逆光で見えないが、大柄な男が美人姉妹たちを縛り上げる怪植物の根元の蔦を、刃物を使わず、なんと手刀で伐り裂いたようだった。
伐られた怪生命体の触手根は驚いたのか地の底へ撤退した。
血の気を失った姉妹二人を両手に抱き上げた巨漢が、二人を下総屋主人の前に運ぶ。
「おお……おもん、おちか……誰かは存じぬがありがとう……ありがとう……」
「いや、良いのです……災難でしたな……」
そういって、巨漢……金剛は辰次と音松を緊縛する怪植物の根元を伐りに戻った。
が、地の底に消えたはずの根が金剛の背後に土砂を吹き上げて出現し、その根の先に赤い花が咲いた。
その毒々しい花の雌蕊から黄色い花粉が金剛に吹かれた。
「ぐっ……」
その黄色い花粉は痺れ薬の効果があり、巨漢忍者の動きが止まる。
花粉を手で払ったが、まだ痺れが残る。
「油断大敵じゃぞ、金剛」
「まったくで……小頭」
作務衣を着た初老の男が息杖を払った。
その杖は仕込み杖であり、先端から機巧仕掛けで飛び出た刃が赤い花の根元を切断した。
さらに、辰次と音松を拘束する怪植物の根元も伐採し、残った怪異は樹液を巻き散らし地の底に逃げ去った。
「どうやら、今度ばかりは紅羽たちには荷が重い事件のようですね……」
声のした方には駕籠がおいてあり、垂れ幕をまくって、中から白衣に墨染めの法衣を着た尼頭巾の僧侶がでてきた。
美人姉妹も足元に及ばない麗貌の尼僧である。
まぶたを閉じたような笑みの表情で、観音菩薩のように慈愛あふれる女性であった。
左の目尻にホクロがあり、スラリと背が高く細身だが、胸部は豊満なふくらみがある。
「秋芳尼さま……では、私たちも手助けを」
「そうじゃな……まずは、紅羽達の行方を捜すかい……ここは銀星丸の出番じゃな……」
そういって、松影伴内は大地に片膝ついて、右の掌を地についた。掌が光り輝き、周囲に光の筋が走った。
「大地に宿る形無き土塊どもよ……現世に出でて歩み従う影となれ……天摩流神気法・銀星丸召喚!」
掌の周囲に光る円陣が生じ、土砂をかきわけ、燐光する物体がでてきた。
土砂の塊は四足獣の形となり、耳がピンと尖り、ふさふさの尻尾のある黄土色の毛並の狐となった。
これは本物の狐でも妖怪狐でもなく、伴内が土塊に己の〈神気〉を与えてつくった〈神気獣〉という人工精霊である。
陰陽師のつかう式神や西洋魔術師のつかう使い魔などのようなものだ。
額から鼻先にかけて流れ星のような銀毛が生えていることから、銀星丸と名付けられた。
ちなみに古代中国の世界観『陰陽五行説』では、狐はその毛並の色からを〈土〉であると考えられた。
「銀星丸、紅羽たちの行方を捜すんじゃい!」
銀星丸は周囲の地面をあちこち嗅ぎまわった。それを見て、神主が声をかける。
「不思議な術の使い手……もしや、あなた方はさきほど参られた寺社役同心の松田様たちの関係者ではないですか?」
「はい……いかにもそうですよ」
美貌の尼僧がニコリと返事をする。
「おお、ならば話が早い……実はさきほど四人は秘密の『御穴様』で妖狐の巣へ……」
そのとき、銀星丸が「コォ~~ン」と鳴いて駆けだした。
無論、紅羽たちの通った『御穴様』へ続く道へ。




