妖術・黒炎魔吸羅!
「うぬぅぅぅ……どちらが本物じゃ……」
まったく同じ顔・体型・声・匂いの忍者剣士を見分けるのは至難であった。
「ふふふふふ……本物の紅羽は術で操られている……」
「どちらが本物かわかるでござるかな……ふふふふふ」」
後方の紅羽が太刀で斬りつけてきた。
巫女忍者は薙刀を回転させてはね返す。
その背中を前方の紅羽が刺突の構えで走り寄り、竜胆は返す薙刀の石突で太刀を返し、横に飛んで避けた。
「確かに本物の太刀の手応え……どうやら、霧分身の幻ではなく、両者とも実体……」
――ならば、三日月狐が紅羽に化け、何かの術で紅羽を操っているか。あるいは三日月狐と月明狐が両方とも紅羽に化けて惑わしているのか。その場合、紅羽はどこに……あるいはすでに……
「くっ……ともかく、忍者狐の変化術を見破らねば……」
そのとき、竜胆がハッと気がつく。
「そうじゃ、『狐の窓』……小頭がいっていた御呪いを使うときじゃ……忍法『凍霧』!」
臍下丹田にためていた神気を薙刀の剣尖から放出。
青い神気が凍りつきそうな冬の霧を発生させた。
忍者松明の煙ではなく、神気術による霧隠れの術だ。
「おのれ……霧隠の術とは……」
「伊賀忍狐の十八番を取られたか……」
追撃する二人の紅羽に対し、竜胆は鍔元の近くを握り、墓搭に向って走る。
薙刀の石突部分を地に立て、棒高跳びの要領で屋根庇に飛び乗った。
「りやああああああっ!!!」
そして、薙刀を屋根瓦に置いた。
わずかの隙をつくったとはいえ、徒手空拳になるとは、戦闘中では命取りになりかねない。
しかし、幻惑の術を破るためには必要であった。
竜胆は素早く『狐の窓』の結印法を展開させた。
『狐の窓』とは、日本古来より狐や狸が人を化かすイタズラを防ぐおまじないである。
やり方は、まず両手の親指に中指と薬指をつけ、他の指をピンと立てて狐の形をつくる。
そして、胸前にだし、左右の人差し指と小指が触れる状態にし、右手を180度ひねって、右掌を上に向ける。
右手の小指を左手人差し指に、左手の小指を右手の人差し指に重ね、ほかの指をすべて開く。
左手の小指が右手の人差し指を押さこみ、右手の人差し指が左手の薬指と中指の上に乗せる。
右手の薬指と中指は左手の人差し指に乗り、親指で押さえられる。
すると、中指と薬指の間に隙間が生じる……この隙間が『狐の窓』である。
「化生者か、魔障者か、正体を現せ……」
竜胆が腹筋に力を入れて、はっきりと呪文を三回唱えた。
化生は妖怪、魔障は仏教用語での悪魔のことである。
そして、『狐の窓』から覗くと、人の化けた狐や妖怪の真の姿が見えるのだ。
ただし、指の手組みが違ったり、指が短すぎたり、隙間が狭すぎると呪文が効かないので、練習が必要である。
ただし、この御呪いは手軽な初級霊術であるが、狐や妖怪などに妖術を見破ると同時に、妖怪に見破られると気が付かれることであり、術を看破された妖怪が襲ってくる危険もあるという事を付け加えておく。
ともかく、狐の窓の隙間から霧の向こうから跳躍してくる二人の紅羽を捕えた。
左の紅羽はそのままの姿。
右の紅羽は黒装束の三日月狐の姿であった。
「偽物はそちらじゃ!!」
「うぎゃあああっ!!」
竜胆は振り返りざま、右の紅羽の脾腹に薙刀の石突を突く。
ニセ紅羽はドロロンと白煙をあげて、伊賀専女の三日月の姿を現し、地面に落下して気絶。
三日月狐の催眠術が破られ、左の紅羽もハッと正気に目覚め、屋根でたたらを踏んで立ち止まる。
「むにゃあ……あたしは……一体……」
寝ぼけ眼の仲間にふっと口の端をあげ、決然と言い放った。
「起きろ、紅羽!!」
「うわっ!! うるさいよ……竜胆……鼓膜が……」
「これで、目覚めたじゃろう……お主は化け狐に瞬間催眠術で操られていたのじゃ……」
「えっ……うそぉぉ……そういや、月明と戦っている最中に三日月狐が割って入り、奴の瞳がギラリと光って、気を失ったような……」
「そのときに術中に落ちたのであろう……」
「くぅぅ~~…屈辱だあ……」
悔しがる紅羽に対して、竜胆が腰に手を当て、
「それより、私に礼をいわぬか……」
「うぅぅぅぅぅぅぅぅ…………ありがとう……竜胆……」
「なんじゃ、やけに素直じゃな……本当に紅羽か?」
「あたしは本物だよ!! ……感謝はしているんだ、本当に……」
真っ赤になって照れる紅羽に、なぜか竜胆も頬を上気させた。
ふと目をやると地面で気絶していた伊賀専女の三日月が見当たらない。
「あっ、三日月狐がいないぞっ!」
「コンコンコン……三日月の術を破るとは中々やるでござるな……かくなる上は最後の手段でござ~~る!」
中天から黒狐の月明の声がした。
そして、何か異様な気配がどこからか感じられる。
「いくぞ、三日月ぃぃぃ~~!!」
「わかりました、月明兄者ぁぁ~~~!!」
遠くで二匹の忍狐の叫びが聞こえ、一瞬、まぶしい光輝が霧を包んだ。
「紅羽……なにか来るぞ……凍霧が晴れるまで時がかかる……」
「ああ、マジでヤバそうだ……」
轟っと、強風が巻き起こり、霧を乱して巨大な爪が二人を襲いかかった。
ハッと気合をあげて跳躍する二女忍。
二人がいた屋根瓦を巨大な黒狐の腕が破壊し、割れた瓦が飛散。
霧の向こうに巨大な獣の影が映った。
ピンと尖った耳、ほっそりとした体、ふさふさの尻尾。
それは墓搭より大きな狐の輪郭であった。
「コォ~~~ン……見たか、我ら忍狐の合体妖術・巨大黒狐変化の術を……お前たちはもう地上へは帰れぬでござる!」
墓搭の上の庇に飛び乗った竜胆と紅羽の目の前に霧をかけわけ、巨大狐の尖った口が見えた。
それが口を開いて、奥から真っ赤に燃え上がる火焔を吐き出した。
ゴゴゴゴゴゴッと燃え上がる火炎放射が墓搭に命中。
二女忍は間一髪、下の屋根庇に飛んで回避した。
それを巨大黒狐獣が右に回り、尻尾で叩きつけた。
巨大な質量に、墓搭の煉瓦壁が轟音を立てて崩れ落ちた。
「うわあぁぁ……デカぁぁ……だけど、狐の国の慰霊碑を破壊するなんて滅茶苦茶な奴だ……」
「しょせん、雇われ忍者狐じゃからのう……」
難を避け、瓦礫の散乱する地上に降り立った竜胆と紅羽が愚痴る。
霧の中から左右に巨大な影が生じ、こちらへやってきた。
それは巨大黒狐であった……しかももう二体……いや、背後からさらに三体……合計六対の巨大黒狐獣に囲まれてしまった。
「コンコンコン……六体の我らに敵うかな?」
「くっ……凄まじい圧だ……」
二本足で立ち、巨体をゆるがし、舎利塔群を破壊しつつ、黒狐妖獣が竜胆と紅羽を追いかける。
苛烈な猛攻に逃げるしかない二女忍。
よくみれば、墓搭を壊しているのは本体だけで、幻の巨獣が墓搭に触れても、ホログラフィの映像にように搭をすり抜けるだけであった。
「そういう事か……天摩忍法・火焔つつじ!」
ふたたび紅羽が刀身から躑躅の花弁を生じ、赤い風が巨獣群の視界を一時的に塞いだ。
「うぐぅぅ……くそぉぉ、どこへ行ったぁぁ……小娘どもぉぉぉ……」
目を覆う花弁をこすり取り、あちこちを探す妖獣たち。
紅羽と竜胆は墓搭のひとつの影に隠れていた。
「やはり、他の五体は幻影のようだ……だけど、こうも矢継ぎ早じゃあ、見極められない……」
「ならば『狐の窓』で正体を探ろう……」
竜胆が両手を狐の形にして、初級霊術の結印法をはじめた。
「いや、もっと手っ取り早い方法があるよ……」
と、紅羽が竜胆の眼前に近づく。
整った顔が近づき、思わず頬を上気させる竜胆。
紅羽は人差し指と親指で竜胆の眉毛をつかみ、ブチッと数本引き抜いた。
「いたぁぁぁ!! なにをするのじゃっ!!! 乱暴な奴め……」
「これで眉毛の数が変わった……化け狐にばかされないよ。さあ、本物の月明狐はどれか見てくれ……」
竜胆が無言で紅羽に近き、彼女の眉毛をブチッと数本引き抜き返した。
「あいたぁぁ……眉毛を抜くのは一人でいいだろうに……」
「ふんっ! これでお相子じゃ!!」
涙目の二人は薬指で唾を眉毛に塗って眉毛の数を見破られないよう予防した。
本来、『眉に唾をつける』のは、狐狸の妖術を見破るおまじないであったものが、のちに『眉唾』、『眉唾もの』といって、騙されないよう用心することや、信用できないものという言い回しになったのだ。
二人は物陰から六体の巨獣を観察。
「あの右から二番目の奴が本体だっ……天摩忍法・火鷹!」
紅羽の掌から火焔の神気で形成された鷹が生まれ、宙に飛翔し、猛禽のごとき素早さで月明の両目の間に激突。
黒狐獣は片手で目前を押さえたが、爆裂した黒煙が眼球に入ったようだ。
幻術の狐巨獣たちが幻となって消えゆく。
「ぐわああああああっ!! 目がぁぁぁ……」
「やったね!!」
「おのれぇぇ……かくなる上は奥の手だ……」
黒狐妖獣が四つん這いになり、呪文を唱え始めた。
墓地洞の大気や地面から陽炎のごとき妖気が湧きだし、月明本体の体に吸収されていく。
墓搭に飾られた生け花や土壁のヒカリゴケが枯れていった。
「あれは……墓地洞の大気や大地……森羅万象にただよう〈神気〉を吸収しておるのじゃ……」
〈神気〉とは、万物の元になる気のことだ。
〈神気〉は人間をはじめ、あらゆる生命体や自然物が持つエネルギーである。
それを強制吸収し、体内で〈妖気〉に変え、暗黒の〈邪気〉に練成しているのだ。
「マジでやばそう……」
「狐妖術奥義・黒炎魔吸羅!!」
大妖狐の姿が光り輝き、口から漆黒の火焔を放出した。
暗黒の邪気を燃料とする炎は遠くにいても触れた者を病気とし、直接触れると生命力を奪われて燃え上がってしまう、恐ろしい魔炎であった。
黒炎魔吸羅の通った後の地面や墓搭がボロボロに崩れ、蚊や地虫などがもがき死んでいく。
墓地洞全体を暗黒の炎で攻撃し、紅羽と竜胆をあぶり出す心算だ。
「なんて恐ろしい妖術だ……」
「よしっ、私にまかせるのじゃ!!」
竜胆は脳内心象の世界で、体内をのどかな田園と山岳が広がる風景画として思い描いた。
心象世界の尾骶骨で、横棒につかまり、足踏み式の水車を踏む二人の童子を思い浮かべる。
〈神気〉が水流となって小川を通り、おへその下にある田園、つまり下丹田に送られた。
下丹田は、いわば、燃える炉である。練り上げられ、下丹田に蓄積された〈神気〉は、下丹田から中丹田(心臓)、上丹田(脳)の泥丸宮へ送られ小川、つまり十二本の神気の通路〈径脈〉から、全身に〈神気〉がみなぎっていった。
上に昇るほど、心象世界が田園から山岳へと移り変わる。
そして、集めた神気を竜胆の愛用の薙刀へと送り込んだ。
「天摩流氷術・雪狼!!」
竜胆の薙刀から青白い神気があふれ、氷雪の冷気と変じ、さらに五頭の雪狼の姿形となって巨大黒狐獣に襲いかかった。
雪狼を見た途端、居丈高だった黒狐の月明が身を縮めて震えあがった。
「ぎょええええっ……狼っ!! 狐は犬と狼が大の苦手でござるよ!!」
「雪狼たちよ……結集して力を合わせよ……氷術奥義・青狼牙!!」
五頭の雪狼が白い航跡をひいて宙で集結し、大きな青い体毛に腹と脚の内側が白い巨狼の姿になった。
氷原の王者が牙を打ち鳴らし、鋭い爪が黒狐獣の体を斬り裂き、黒狐の巨体を氷漬けにしていく。
「やったな、竜胆!!」
その巨体にひびが入って全身が崩れ落ちた。
その中から、黒狐の月明と伊賀専女の三日月が這いだしてきた。
そこを、二女忍が太刀と薙刀を突き出した。
「まだやるか!?」
「いや……我らの完敗でござる……」
「いや、まだだ……最後の手段がある……」
キッと立ち上がった三日月狐が懐から短筒火縄銃を取り出そうとし、月明狐に腕を押さえられた。
首を振る兄狐に、妹狐はシュンと耳と尻尾がうなだれ、降参した。
「事が済むまで、ここで大人しくしてもらうぞ……」
紅羽が縄を出して、縛ろうとすると、
「兄者……我らは伊賀国姥隠れ谷へ帰って、修行をやり直しましょうぞ……」
「そうだな……しからば、失礼して……これにて、ドロン!」
月明狐と三日月狐が懐から煙玉を出し、煙幕をはって消え去った。
「けほっ、けほっ……くそっ、逃がしたか……最後まではた迷惑な奴らだ……」
「奴ら、本当に伊賀国に帰ったかのう?」
「まあ、敗北したうえに、狐の国の墓地洞をこんなにしたからなあ……」
見回せば、墓搭が無惨に破損し、周囲には瓦礫が散乱している。
「ともかく、小茶ちゃんを助けて、狐御殿に向かうのじゃ」
「……だなっ」
かくて二人は小茶を助け出し、後続の黄蝶と半九郎のために十字手裏剣の目印を土壁に刺し、墓地洞から地下通路へ向かった。




