暗闇坂の辻斬り
「急な坂ゆえ足元に気をつけろよ」
「わかっとるわい……」
「しかし、冷えこんできたのお……」
「熱燗でキュッといきたいところだが……」
「よせよせ、太刀筋がにぶる……辻斬りの下手人を捕まえればたらふく飲めるわい」
「それもそうだな……」
鋭い眼光の小太りの男と無精ひげのやせぎすの男が湾曲した急な坂をくだっていく。
上から見て左側が崖になっていて、木々の枝が覆いかぶさるようになって月の光も届きにくい。
二人は与太夫と作左衛門といって親の代から浪人者だ。地味な木綿の着物に、月代をのび放題にしている。
時刻は暮六つ近く、まだ四月中旬ゆえ日が沈むと急に冷えこむ。
ここはその名も「暗闇坂」という不気味な名の場所だ。別称は「くらがり坂」。
暗闇坂といわれる地は日本各地にあるが、ここは現在でいえば東京都港区麻布十番二丁目から、元麻布三丁目方面にかけてのぼる坂である。本来は麻生宮村町にあるので「宮村坂」とよばれたが、暗闇坂の名の方が有名となった。
真っ昼間でも坂には樹木の枝と葉がおいしげって坂道をつつみこみ、日がささず視界が悪い。
夜ともなれば月の光もささない。
そのためこの暗闇坂には幽霊が出没するともいわれたため、別名を「幽霊坂」と呼ばれた。
与太夫が持参した提灯に明かりを点す。
「くるなら来い、辻斬りめ……」
「返り討ちにしてくれるわい」
時代は天明(1781)元年四月中旬、徳川の世も十代目となり、天下は泰平である。
浪人が仕官したくとも、なかなかうまくはいかない。
それでも浪人のなかには勉学や武芸に励んで大名家の目にとまろうと必死な者もいた。
与太夫と作左衛門は剣術にそれなりの腕の自信があったが、仕官の口はみつからない……
そこに、与太夫が暗闇坂に辻斬りが出たという話をききつけた。
長屋で提灯張りの内職をしていた友人の作左衛門をさそい、さっそく日暮時の暗闇坂へ足をのばした。
「いまどき辻斬りなんぞ、珍しいのお、与太夫……」
「たしかに……辻斬りといえば、戦国から幕府が開かれた初めのころはよくあったというが、太平の世になにを血迷ったか……」
「やはり、刀の試し斬りが目的かな?」
「ふむ、金持ちの旗本が新しい刀を手に入れ、切れ味をみるために町民を実験台にしているかもしれんなあ……高そうな服をきた侍ならば殺すな。捕えて脅しつければ口留代をせしめることができる」
「おおう、大金が手に入るか……しかし、ただの追剥ぎや、俺達みたいな浪人者が金品を奪うために強盗しているかもしれんぞ……」
「ならば容赦なく斬り捨てろ! たとえ境遇がおなじでも、人殺しは三尺高い獄門台行きじゃ。それに、辻斬り退治で我らの名があがるぞ」
「ふふん、有名になるか? 堀部安兵衛のように?」
「婿養子とまでいかなくとも、仕官のきっかけになるやもしれんぞ……」
有名な堀部安兵衛といえば、今からおおそ百年前、元禄時代の赤穂浪士のひとりだ。
元禄時代も太平の世で、浪人の仕官が難しい時代であったが、堀部安兵衛は高田馬場の決闘で、菅野六郎左衛門の助太刀をし、評判となった。
この武名を知った赤穂浅野家の家臣・堀部弥兵衛が気に入り、婿養子とした。
暗闇坂の辻斬りを倒せば、無名の浪人者である与太夫と作左衛門も有名となり、堀部安兵衛のように大名家に仕官の口がひらけるかもしれない……そんな夢をいだいて二人は坂を降りていく。
「むむむ……」
「なんじゃ……この音は?」
坂の真下からゴオゴオと唸り声が聞こえてきた。みれば枯葉が巻きあがって宙に浮かんでいる。
「これは……つむじ風か?」
落ち葉やゴミが渦巻き状に回転して暗闇坂をこちらにのぼってきた……
この第二部は、2016年2月から、3月にかけて連載したものを、こちらに再掲載したものです。
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