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妖霊退治忍!くノ一妖斬帖  作者: 辻風一
第八話 驚異!地底の妖狐魔殿
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お稲荷さま縁起

 かくて紅羽・竜胆・黄蝶は寺社役同心である松田半九郎と王子稲荷神社へ赴いた。

 参道は日が差し、左右に田畑が広がり、百姓が雑草を抜く作業をしていた。

 トンビがピ~~ヒョロロと鳴き、妖怪の事件が嘘のように朗らかな昼下がりであった。


「しかし……人が樹にされるは、大入道狐妖怪が現れるは、狐妖怪が昼間から人をさらうとは、信じられん出来事が次々とおこるなあ……」


「なにいってんの、旦那ぁ……今までもっと不思議な事件に立ち会ってきたでしょうが……」


「むう……そりゃそうだな……江戸で寺社役同心の御役目についてから、怪事件になれてきたかもしれん……」


 参道の遠くに、木々の隙間から赤い鳥居が見えた。

 王子稲荷神社が近い証拠だ。

 紅羽達は妖術で地底に閉じ込められ、忍者装束が泥だらけになったので、いつもの若侍菅谷、巫女姿、町娘姿に着替えている。


「そういや、京も稲荷神社が多かったが、江戸もお稲荷さんが多いなあ……寺社廻りがたいへんだと伯父上も愚痴っていたなあ……」


「ああ……坂口さまらしいなあ……なんせ江戸のはやり言葉にも、『火事 ケンカ 伊勢屋 稲荷 犬の糞』なんてあるからなあ……」


「ちょっと、紅羽ちゃんお下品ですよ……」


 黄蝶が注意し、紅羽が「てへへへ……」とごまかす。

 竜胆が真面目な顔で、


「松田殿、稲荷神社は日本各地に主祭神として祀るものは三千近く、境内社・合祀などの分祀社もいれると三万社以上もあるといわれています。さらに屋敷神として祀る長屋から商家の小祠をいれると数えきれません……」


「なに、そんなにか!」


「ちょっと、ちょっと……松田の旦那は寺社役同心でしょ。新米同心だからって、驚いている場合じゃないでしょ……」


「神道系のことは現役巫女の竜胆ちゃんに訊くとよいのですよ」


 お稲荷様を信仰するのはほとんどが商人と百姓であるから、武士の松田新九郎にはあまり縁がないのだ。

 もっとも、徳川家などは例外的王子神社を祈願所にしている。


「う、う~~む……二人のいう通りだ……不勉強であった……もっと稲荷社について教えてくれ、竜胆」


「はい、わかりました。まず、稲荷神社の本尊は稲荷神いなりのかみであり、稲荷神いなりしんともいいます。そしてこの神はその名のごとく稲を司る穀物と農耕の神様です。『古事記』でいうと宇迦之御魂神ウカノミタマノカミという女神ですね」


 ちなみに『日本書紀』では倉稲魂命うかのみたまのみことと書く。


「たしか、京都の伏見稲荷ふしみいなりがそもそもの発祥地だったなあ……」


「おお~~~…松田の旦那ぁ……そういうのはご存じで?」


「茶化すな、紅羽……ああ……俺は丹後国の出ゆえ、京に近い。それくらいなら知っている」


 伏見稲荷大社の主祭神である稲荷大明神こそが、宇迦之御魂神ウカノミタマノカミであり、日本各地の三万以上あるという稲荷神社や合祀、境内社などはすべて分祀社である。


「では、稲荷社のなりたちはいかがですか、松田殿?」


「いや、さすがにそこまでは……」


「では、かいつまんで……大昔、京の豪族に秦氏はたうじがあり、その祖先に秦伊呂具はたのいろぐという男がおりました。

 その者がまるいもちを的にみたてて、弓矢を射かけました。

 すると、不思議なことに餅が白鳥に変わって飛んで行ってしまい、今の伏見稲荷大社のある稲荷山に羽を休めました。

 追いかけた伊呂具はその地で稲穂がたわわに実っていることを発見しました。

 これは神の奇瑞と感じた伊呂具は、その地に穀物の神を祀る『伊奈利社いなりしゃ』を建てました。

 記録によるとそれは和銅四(711)年二月初午の日といわれ、五穀豊穣ごこくほうじょうの稲荷信仰の元となっております」


「ああ……だから、おおくの稲荷神社の祭礼は二月の初午におこなうのだな……」


 という、言い伝え話があるが、歴史的にみると稲荷神は秦氏が賀茂氏かもうじから引き継いだ氏神であり、秦氏の勢力が高まるにつれてぐんと信仰が増えたようである。


「だが、そもそも、昔から人を騙したりする化け狐やいたずら狐が、なにゆえ稲荷神社の使いでもあるのだろうな?」


「それはですねえ……もともと日本人が稲作を始めた神代の昔から田の神が祀られていました。秋になり、稲穂の収穫期になると鼠が増え穀物を食い荒らします。それを狐は山の棲家すみかから、ねずみを食べに人里に降りてきます」


「そういや、狐は秋から冬ごろによく見かけるなあ……」


「はい、農家百姓にとってありがたい生き物なので、田の神が稲の実りを知らせる神聖な使いだと考えられたようです」


「昔から田の神の使いとして神聖視されていたのだな……」


 日本人は古代から稲作を始めたが、それは穀物を荒らすネズミや、田の土手に穴をつくって水を出すハタネズミによる害との戦いでもあった。

 猫を輸入する以前から、狐がネズミの天敵であることを知った古代日本人は、田のそばに狐を餌付けして、狐塚をつくって田の守りにしていたという説がある。

 それが狐の巣穴に食べ物をお供えする風習として、今も残っているようだ。


 それゆえ、あるいは古代の農耕民族は狐を、農耕神の狐神として信仰していたとも考えられている。

 狐神、もしくは田の神の使いであった狐が、やがて稲荷信仰と結びつき、稲荷神の眷属となったのだ。

 さらに仏教伝来により、稲荷神は荼枳尼天だきにてんとも結びついた。


 日本の長い長い歴史の中で有為転変していったのである。


 感慨深げに田畑の青い稲をながめる松田同心の横に、長い二つ結びをピョンピョンと揺らして、黄蝶が横にやってきた。


「ところで、松田のお兄ちゃん、田の神様は山の神様でもあるのですよ」


「ん? 田の神と山の神がいっしょだと? どういうことだ、黄蝶」


「春になると山の神様は人里に降りてきて、田圃の神様になり、稲刈りが無事に終わるとまた山に戻って、山の神様になるといわれているのです」


「季節によって変身する神様かあ……そういや、夫婦のうち、奥さん、女房をなぜか『山の神』というなあ……」


「ぷぷぷぷ……黄蝶は知っているですよ……山の神は女神で、怖い存在といわれているのです。だから夫は口やかましい奥さんのことを『山の神』と昔からよんだらしですよ。それが段々、親しみある『カミさん』になったのです」


 少女忍者がドヤ顔で手を腰にやり、胸を張った。


「ほう……黄蝶にもよいことを教わったぞ……」


「えへへへ……なのです」


「おい、黄蝶。それって、竜胆か秋芳尼さまの受け売りじゃないのか?」


「ぎくっ!!」


「まあ、よいではないか……黄蝶が日ノ本の神に興味をもつのは嬉しいことじゃ」


 豊かな自然とともに生きてきた日本人は、『山』を神聖視し、田畑が豊作になるのも、洪水や土砂崩れなどの災害は山の神を怒らせたものだと考え、神道や仏教以前の、古来より山神は信仰されてきた。


 これは山の栄養のある土を川から運んでくれる事が神格化されたのではないかと思われる。


「ちなみにそのとき山の神様をふもとの田圃へ案内してくれるのが、『神使しんし』である狐だと云われております」


「シンシ? 聞きなれぬ言葉だな……」


「『神使』とは、『神の使い』と書き、『御先みさき』、『つかわしめ』ともいいます。

 神道において神の使者としてその意向を伝えます。

 春日大社や鹿島神宮の鹿、熊野三山のからす、天満宮の牛、日吉大社のさる、毘沙門天のムカデなどが神意をつたえる使いとして有名ですね。

 神社の境内で飼われることもあります」


「しかし、農耕の神である稲荷神をなぜ、商人たちも祀るようになったのだ?」


「それは、王朝時代から武家社会、戦乱の時代を経た今(江戸時代)の平和な時世となり、百姓や豪農から商売をはじめる者が増え、そのとき祀っていた稲荷神を商人となった時も店の庭に祠をつくって祀ったことから、商人にも稲荷神を信仰するのが広まったといわれております」


 もともと日本には商業の神様というものがなく、商人が経済力で武士を圧倒するほどになるにつれ、稲荷神は五穀豊穣のほかに日本初の商業の神様としても信仰が広まっていったのである。



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