天摩忍群推参!
辰ノ刻朝五ツ(朝8時ごろ)、卵焼きが名物の料亭・扇屋は、まだ店を開いていないのに野次馬の人だかりがあった。
王子稲荷神社にきた参拝客が、近在の者らしき職人に話をきく。
「もうし、いったいここで何があったんですか? 盗みがあったとか、人殺しでも……」
「いや、違うよ。それがねえ……扇屋さんとこの板前さんや女中さんたちが木にされちまったらしいぜ」
職人は近くに生えている道端の楓の木を指さす。
「へっ……木? 木って、あの木? そんな莫迦な……」
「まあ、そういう噂で、誰も見てねえけどなぁ……」
「なんでい、おどかすねえ……」
王子神社で有名な王子村の中心には、日光御成街道があり、江戸の町と直通し、八代将軍吉宗の時代に飛鳥山に桜が植樹されたことから、江戸市民に人気の行楽地となった。
花見のついでにと、東国三十三ヶ国の稲荷神社の頭領と称される王子稲荷神社の参拝客も多い。
そんな有名行楽地の門前町にある人気の料亭・扇屋の怪事件はあっという間に噂になった。
親戚の家へ所用で出かけていた扇屋主人と内儀は帰ってみると料亭が大騒動で、困惑顔で自室にひかえていた。
そこへ、女中が顔をだし、寺社奉行の役人様がきたと告げた。
さっそく、裏口から中へ通す。
若いが眼光するどい、三白眼の同心で迫力があった。
「これはこれは……御寺社の御役人様で?」
「ああ……寺社奉行・牧野豊前守さま配下の同心で、松田半九郎という。こたびは災難だったようだな……」
「はい……昨夜は所用で店を開けていて、手前もなにがなんだか……店に突然現れたあの気味の悪い木々は、いったい、なんなんでしょう?」
「店の者たちに似ているというが……」
「まさか……しかし、似ております。板前の源三、与平、女中頭のおいね、そして、若狭屋の若旦那に……まさか、まさか、本当に人間が一夜で樹になってしまうものなのでしょうか……」
扇屋主人は顔面に汗を垂らして、顔面蒼白だ。
内儀は恐ろしさのあまり、奥で寝込んでいる。
「ふむ、さすがに俺も人間樹だなんて……こんな奇怪な話は聞いたことがない。そこで、怪事件専門の妖怪退治人を呼んできた……」
「妖怪退治人? お坊様か宮司さま、または拝み屋ですか?」
「いや……まあ、じっさいに会ってもらおう……すでに人間樹のある玄関や厨房、客間を調べている……」
「おお……話がはやい、さっそくお会いしたいです」
主人が先立ち、料亭の表玄関へ向かった。すると、三人の年若い娘が三人見えた。
「はあぁぁ……こりゃあ、ひどいなあ……いっそのこと、木の蔓と葉を切り落としてみようか?」
若侍姿に長い髪をうしろで朱色の丸打ち紐でくくった、現代でいうポニーテールというべき総髪の、凛々しい美少女剣士・紅羽が乱暴なことをいう。
「いや、肉体の半分は樹になっておるようじゃ……それはまずいぞ」
神秘的で切れ長の瞳、額の前髪を切りそろえた目刺し髪、横髪をアゴのあたりで切りそろえた鬢削ぎ、長い黒髪を背中に垂らした巫女剣士・竜胆が人間樹をよく観察して反対した。
「やっぱり祟りか呪術で樹にされたのですかねえ……」
長い髪を二つ結びにし、通常と異なり結ぶ位置が耳の上で、現代のツインテールのような髪型をした、小柄で元気な黄八丈の着物の町娘風の黄蝶が首をかしげて意見をのべる。
「祟りだとしたら、このあたりで有名な王子稲荷神社の祟りか?」
「たしかに稲荷神の神使である狐を害すると祟りにあうといわれるが、樹にされたなど、聞いたことが無いのじゃ……」
「では、妖怪の仕業でしょうか?」
「こりゃあ、神社を中心に訊き込みに回るしかないなあ……」
「そうじゃなあ……」
扇屋主人は目を白黒させて三人娘をみやり、松田同心に振り返り、二度見した。
彼は霊山で長年修行した僧侶か、山伏、宮司を想像していたのだ。
「あのう……松田さま……この娘さんがたは、妖怪退治人のお弟子さんか何かですか?」
「むっ……いや……その……コホン。彼女達はまだ若いが、優秀な妖怪退治人である!」
「はっ? はあ……左様ですか……えっ! えええええええっ!!!」
「ほほほほほ……扇屋さん、松田殿の言う通り、彼女たちは若くとも実績のある妖怪退治人ですわ」
玄関口から黒い法衣を着こみ、白い尼頭巾をかぶった、美貌の尼僧が顔を見せた。
左の目尻にホクロがあり、背が高く細身だが、胸部と臀部は豊満である。だが、そういう彼女も十八、九くらいの若さだ。
彼女達はおなじみの妖怪退治屋をいとなむ天摩忍群の面々だ。
瑞雲山鳳空院のある谷中から、隅田川を渡って王子村まではおよそ一里半(6キロ余り)徒歩で半刻(一時間)と少しばかりの距離。
秋芳尼は忍群小頭である松影伴内と巨漢忍者の金剛のかつぐ駕籠にのってここまで出張ってきた。
忍びのかつぐ駕籠だから早いが、人目がつくので、常人の早駕籠ほどしか速度がだせない。
しかし、くノ一である紅羽・竜胆・黄蝶は人気のない場所を見極め、屋根瓦を駆け抜け、森の木の枝を飛猿のごとく跳んできた。
歩けば半刻(一時間)の距離を、忍び走りと跳躍術で、四分の一で走破してきたのだ。
「どうやら、強力な呪術・妖術のたぐいで人間の肉体を樹木に変えたようですねえ……解呪できないかやってみましょう……」
「おおっ!!! さすがは秋芳尼さまっ!」
「観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空 度一切苦厄 舎利子 色不異空 空不異色 色即是空……」
秋芳尼が般若心経を唱え、両の掌を人間樹にかざす。
すると両手が淡く緑色にひかりだした。
般若心経とは、釈迦の真言であり、これを唱えると病気が治癒されるといわている言霊である。
秋芳尼はおのれの霊能力を両手にこめて解呪と浄化の神気を送った。
人間樹の体内から邪気が押しだされ、木の蔓や葉がしおれ、小さくなっていく。
樹木の外皮が人の肌色にかわり、血の気がさしてきた。
「お、おおおおおおおお……これは凄い法力だ……秋芳尼さまとは、凄い霊能力者なのですねえ……松田さまっ!!」
「ああ……そこらの妖怪退治人とは一味も二味も違うぞ」
人間樹の顔の部分も木肌からピンク色の皮膚へかわり、仲居のおいねの顔が判別できるようになった。
「う、うぅぅぅ~~…」
物言わぬ人間樹が呻き声を出し、主人が歓喜の声をあげる。
さらに時間をかけて治療していくと、女中を覆っていた木の蔓は枯れ落ち、おいねが膝から崩れ落ちそうになった。
それを紅羽と竜胆が両隣から支え、床に座らせた。
秋芳尼はふ~~っと、一息つき、豊かな胸がたゆんと揺れる。
「おいねさん、正気にもどったかい?」
扇屋主人がおいねに語りかけると、彼女は目を開いた。
「あっ……旦那さま……わたしはいったい……」
「悪い夢を見ていたんだよ……元に戻れて良かった……良かった……」
「さっそくで悪いけど、おいねさん、いったい何があったんだい?」
紅羽がおいねの手をとって、尋ねた。そして、昨夜の店じまいに起きた怪異の顛末を語り、狐の鳴き声を聞いたこと。
そして、昼間に狐娘が二階にあがりこみ、追い出したこと、その後、一緒にいた大工風の男も来たが、これも棒で追い払った事を語った。
「きっと、棒で叩いて追っ払ったから、罰が当たったんですよ……ここは王子稲荷神社の門前町で商いをしているというのに、お稲荷さまの使いである狐をいじめたから、稲荷大明神さまに祟られたんですよ、きっと……」
おいねは歯の根をがたがた揺らして、念仏を唱え始めた。
「ふ~~む……ところでおいねさん、狐娘と狐男の名前はわかるかい?」
「たしか、娘はお玉で十五、六の年頃、男は大工風のいでたちで二十二、三でしたよ……」
紅羽達はそれを聞いて、近所に訊き込みにまわり、鳳空院住持は他の人間樹たちにも般若心経の言霊と浄化の神気を与え、浄化治療に専念する。
その頃、人間を樹木に変える妖怪の魔の手が、鶴吉に向っていた……




