狐娘の阿茶
鶴吉は向こう見ずで喧嘩っ早いが、腕のいい二十二歳の大工。
急に頼まれ仕事があって、はじめて王子村まで足を伸ばし、五日間泊まり込みで仕事をすませて、帰りに行楽がてら有名な王子稲荷神社にお参りにいった。
そのとき有名な火伏の凧を土産に買った。
町火消を模した奴凧である。
同じ長屋に住む五歳の惣太に土産だ。
惣太は鶴吉の子供ではなく、大工の先輩で兄貴分の長次と女房おしのの子どもだ。
丈夫だった長次も昨年不慮の事故で亡くなり、おしのと仙太が不憫でなにかと世話をやく内に、よんどころ無い仲となっていった。
惣太などは鶴吉に「おいらの父ちゃんになっておくれよ」などといってくるが、おしのは長次がまだ忘れられず、鶴吉が意を決して所帯を持たないかと話しかけると、巧みに察して言葉をにごす。
世話好きで仲人になろうという大家の金助がおしのに鶴吉と再婚しないかと切り出そうとしても同じだった。
「だけどねえ……あたしの見たところ、満更でもないと思うんだけどねえ……やっぱり、まだ亭主のことが忘れられないのと、年上なのを気にしている風だねえ……」
「そんなあ……姉さん女房なんて、よくある話なのに……」
ともかく、大家はもう少し頃合いをみたほうが良いと諭した。
――俺はいつまでも待っているぜ、おしのちゃん……
ともかく、もうお昼近いので、鶴吉はどこかで茶漬けでもいっぱい食うかと思案しながら歩いていた。
当時の参道は見当たらず、草ぼうぼうの森の中にあった。
小川近くの葦のほうから妙な鳴き声が聞こえた。
「はて、犬の鳴き声かな?」
それはワ~~~ンと妙に間延びした鳴き声で、よくよく耳をすますとコォ~~ンと鳴いているようだ。
「こりゃあ、犬じゃなくて狐ってやつの鳴き声というやつだな、きっと……」
なんせ鶴吉はお江戸深川材木町の生まれで、水道の水を産湯につかったのが自慢の下町っ子で、大工見習いになったのちも、江戸から出たことがないものだから、目にした生き物は野良犬、野良猫、ドブネズミが関の山ってんだから、狐なんて物珍しい。
耳をすませて聞きいった。
すると、背後からヒタヒタと走ってくる足音と気配を感じた。
――さては、野良犬かな?
横を振り向くと、それは野良犬ではなく、黄土色の毛並があざやかな狐であった。
額に喧嘩傷が見える。
絵では見たことがあったが、本物は初めての鶴吉。
しげしげと観察したものだ。狐は人を怖れるでもなく、スタスタと先を歩いていった。
ちょいと悪戯心の生じた彼は狐を早足で追いかけた。
すると、狐は大工の気配を感じたのか、足を速めていく。
そして、クルリと時々、振り返った。
「なるほど、これが粂婆さんのいっていた『狐返り』ってやつか……」
粂婆さんは同じ長屋に住む産婆で拝み屋もやっている老婆だ。
鶴吉はこの老婆から子供の時分、昔話やいろいろな話を聞いていて、その中に狐の話もあった。
狐はとても用心深いが、頭のいい生き物で、人に慣れると大胆な行動をするという。
また、猟師をあざむいて逃亡することもできる狡猾さもある。
王子稲荷神社の狐は神の使いということだから、近在の住民や参拝客も狐を罠にかけたり、捕まえたりしないから人に慣れているのかもしれない。
それにしても、振り返る仕草が妙に人間っぽく、人間なみに賢いのではと思ってしまう。
だが、急に横跳びに草むらの中にはいっていき、姿をくらました。
急にいなくなって、鶴吉は文字通りキツネに顔をつままれたような顔をしたが、気を取り直して長屋へ帰ることにした。
すると今度は、丈の高い草叢の茂る参道の途中で妙な話声を聞きつけた。
空耳かもしれないが、「やめるでしゅ」「いや、やってやる」といった感じの、若い娘と女童の会話のようだ。
――なんでい、こんなヘンピな所で子供が喧嘩か?
好奇心にかられた鶴吉は草をわけいって声の出どころである、樫の古木の下を垣間見た。
すると、そこには二匹の狐がいるのが見える。
木の根元の洞が地下の巣穴になっているようだ。
さきほど鶴吉の前を歩いていた狐とは別の狐だ。
黄土色の毛皮が美しい狐とやや小ぶりな狐である。
他に人の気配はないようだ。
「やめるでしゅよ、阿茶ねぇね……人間をだましゅなんてことは……」
「なにをいってんだい、小茶。狐は人をだますのが当たり前なんだよ」
なんとその狐が人語をしゃべっているのだ。
鶴吉は驚いて言葉が出ない。
しかし、大きい狐が姉の阿茶で、小さい狐が妹の小茶という事は会話でわかった。
「あたいももう五十歳で妖術が使えるようになったんだよ……」
「そうでしゅけど……」
鶴吉は、拝み屋のお粂婆さんが、普通の狐は寿命が長くて十年くらいだが、五十歳から百歳になると妖力があがり、何かに化けて人を驚かせたり、まぼろしを見せて化かしたりする妖術を身につけるといったことを思い出す。
普通の狐と区別して、『化け狐』または『妖狐』という。
とくに人間に対してイタズラや悪事をする狐を『野狐』ともいった。
「見ておいで、小茶……コンコン、ココンコンコン、アタリキシャリキノコンコンチキ! 人間の娘になあれ……ドロリンパッ!」
姉の阿茶狐が額に木の葉をのせ、両手で印を結び、なんだか江戸っ子みたいな呪文を唱え、グルリと宙に一回転した。
すると、木の葉からモクモクと白煙が生じ、姉狐を包み込み、地面に着地すると同時に阿茶狐は、江戸小紋の着物の襟から赤い襦袢がのぞき、紫の帯をしめた若い娘に変身していた。
着物柄は黄朽葉色生地に『キツネにアラレ』という、霰がふって、白狐が大きな尻尾をふって飛び回るという洒落た文様の江戸小紋だ。
「どうだい、小茶……あたいの妖術の冴えは?」
「阿茶ねぇね……頭に耳とお尻にしっぽがついてましゅよ」
「えっ!? コホン……まあ、まだ変身術を覚えたてだから……」
腹をかかえてケラケラと笑う小茶狐に、阿茶狐は赤面してもう一度、呪文を唱え、振袖をひらめかして一回転し、頭に耳、お尻に尻尾がないか確認。
今度はうまくいったようだ。
「よぉし、今度こそどこかの間抜けな人間をだまして、化け狐の面目をみせてやるんだから。さてと……」
若い娘に化けた阿茶狐が袖を揺らしてシャナリシャナリと草叢をかきわけ、道のほうへ……目撃していた鶴吉のほうへ歩いていきます。
周囲を見渡しても道には鶴吉ひとりしかいません。
「ややや……こっちに来る……しかしだな、もしかして、だまそうっていうどこかの間抜けな人間ってのはおいらのことかい?」
こう考えると鶴吉はむかっ腹がたってきました。
「そうだ、化かされるくらいなら、いっそのこと化け狐をあべこべに化かしてやろうじゃねえか!」
草叢から出た狐娘に大工が声をかける。
「お玉ちゃん!」
「わっ、びっくりした。なんだい、あんたは?」
「あんたはひどいなあ……お玉ちゃん、おいらだよおいら、大工の鶴吉だよ」
と、鶴吉が阿茶狐を知り合いだというフリをして話しかける。
――なんだいこの男は、あたいは知り合いのお玉じゃなくて阿茶だよ。
失礼しちゃうわねえ……こんな勘違い野郎に関わっているヒマはないのに……いや、待てよ……どうせなら、このままお玉とやらいう娘に成りすまして、だまくらかしてやろうじゃないの!
と、阿茶狐は機転をきかせた。
「ええ~~っと、ああ……そうそう、大工の鶴吉さんね。久しぶりじゃない。元気してた?」
当初は驚いていた阿茶狐も、鶴吉の話にあわせて騙してやろうと、お玉に成りすますことにした。
ふたりは王子稲荷神社の参道から南西にむかい、いきつけの料理屋で食事をしようということになった。
草叢からガサゴソと妹狐の小茶が顔をだして、心配そうに見送りました。
阿茶狐のお玉と大工の鶴吉は料亭・扇屋の二階の座敷にあがりこみ、天ぷら料理を注文。
鶴吉が徳利をお玉のお猪口にそそぎ、狐娘がくいっと飲み干す。
「ぷはぁ~~! こりゃあ、樹液酒よりうまいねえ……濁酒ってやつかい?」
「いよっ、お玉ちゃん成る口だねえ! こいつは灘の下り酒だ、真っ白だろ?」
「なるほろ……白狐の毛並みたいに真っ白だねえ……」
日本酒で差しつ差されつやりだし、盛り上がって、御猪口を箸で叩いて太鼓にし、小唄をうたい、舞い踊りはじめた。
〽逢うて別れて
別れてあうて
千切れちぎれの雲見れば
恋し床しの一聲は
わたしゃ松虫主はまた
空吹く風の呑気さよ
男心はむごらしい
憎うなるほど憎いぞぇ
……と、くらあ……
上等なお酒を飲んですっかり酔っぱらった阿茶狐のお玉ちゃんは、イビキをかいて眠りだした。
いい気分の鶴吉は注文にきた仲居のおいねに、もう帰ると告げ、
「うぃ~~、いい気分だ。お勘定はこっちの女、お玉ちゃんが払うから、土産に扇屋の玉子焼きを包んでおくれ」
「あいよ、毎度ありぃ」
赤ら顔の鶴吉が玉子焼きの包みをぶら下げ、阿茶狐を置いてけぼりにして、千鳥足で長屋へ帰っていった。
もう、烏の群れが巣に戻る時刻で、あたりは夕焼け色に染められている。
さあて、仲居のおいねがそろそろいいだろうと、頃合いをみて、二階にあがり、阿茶狐のお玉を揺り動かした。
「お客さん、お玉さん……起きてくださいな」
「むにゃあぁ……誰だい、あんたは……いい気分なのに……」
「誰って、仲居のおいねですよ。そろそろお帰りの時刻ですよ。お勘定をお願いしますよ」
「えっ、お勘定って……鶴吉さんは?」
「お先に帰られましたよ。お勘定はお玉ちゃんが払うって……」
「えっ、ええええええええええええええええええっ!!!」
作画・ヨモギモチ