黒髪悲恋
「吉兵衛……お勢とは何者だ? まずはことの始まりを教えてよ……」
葦の原のなかで、紅羽が吉兵衛に真相をといただす。
「へい、実は一週間前ほどのことですが……」
吉兵衛は一週間前、鐘ヶ淵ちかくを釣り船で釣りをしていたが、魚ではなく野晒しのシャレコウベを引き上げてしまった……
怖くなり捨てようと思ったが、哀れにおもってシャレコウベに酒をふりかけて、お経をとなえて、ちかくの無縁墓地に弔った。
すると、その夜、吉兵衛がすむ長屋に女の幽霊があらわれた。
白い小袖をきて、長い髪を海草のように垂らした不気味な姿だ。
「……私は……隅田川に身投げした……お勢ともうします……助けてもらったお礼にきました……」
「ぎょえええええええええっ!」
自他ともに認める女たらしの吉兵衛であるが、幽霊やお化けにはてんで弱い。
がちがち震えてお引き取りを願った。
しかし、女幽霊はしつこく吉兵衛につきまとう。
吉兵衛は自分には許婚のおるいという娘がいて、彼女以外のものとは結ばれたくないとわめいた。
やがて、朝日がさしてきて、幽霊は去った。
それ以来、幽霊は現れず安堵する。
吉兵衛は酒を飲み、あれは悪夢だと自分にいいきかせた。
しかし、恐ろしさはまだ消えない。
その後は、隅田川でおるいが誘拐されるまで何もなかった。
「おるいさん、お勢の記憶を見たって言ったよね……どういう事なの?」
「はい、実は悲しいお話が……」
お勢は今から百年も前の延宝年間、五代将軍・徳川綱吉の時代に生まれた人間だった――
彼女は三ノ輪の貧乏長屋に育ち、廻船問屋・西海屋で女中奉公していたが、そこの若旦那がお勢になにくれとなく優しくしてくれた。
ほだされた純朴なお勢はたちまち若旦那の嘉助と深い仲になった。
しかし、若旦那の父親である西海屋主人がそれを知り、身分が違うと激怒した。
嘉助には大店の娘と許婚の仲であり、お勢に些少の金銀をあたえて店から追い出した。
長屋で泣きくれるお勢だったが、西海屋の丁稚がきてお勢に文を渡す。
嘉助が二人で家出をして、上方でかくれて暮らそうという文面だった、しかし、それには多額の金子が必要だという……
お勢は家出なんて恐ろしかったし、家族を捨てることなどできなかった。
しかし、純情だった彼女は恋に恋して正常な判断ができなかったのである。
なけなしのお金を集め、自慢の髪まで売ってしまい、借金までして人づてに嘉助にお金を渡した。
が、いつまでたっても迎えに来ない……
やがて、お勢の耳に嘉助が大店と娘と祝言をあげたことを聞く。
耳をうたがったお勢であったが、真実であった。
調べてみると嘉助はとんでもない悪い男で、お勢のほかにも女がいて、吉原通いまでして豪遊していた。
おそらく、お勢に借りた金子はそれに消えたのであろう……
打ちひしがれて、狂乱したお勢は橋から身を投げて隅田川へ身投げした……彼女の水死体は見つからず。
流れに流れ、鐘ヶ淵の川底で白骨化していた。
お勢は嘉助へを憎み、恨み骨髄に徹して成仏できず、地縛霊となって川の底にいた。
その間の百年間、怨念の力が澱のように遺骸に堆積され、恨みは渦をまき、妖力をつけていった……
そして百年後、お勢の頭蓋骨が吉兵衛の釣り針にとまり、吊り上げられた。
なんの因果か吉兵衛は嘉助に似た、なよなよした優男だった。
百年の怨念も忘れ、吉兵衛の仏心の供養にほだされた彼女は、恩人・吉兵衛にほれ込んだ。
しかし、幽霊となった彼女を彼はこばんだ。
かくてお勢の幽霊は恨みがつのり、妖怪・鬼髪と化した。
吉兵衛の許嫁のおるいを探し当ててさらい、他の娘もさらって髪の毛を喰らい、妖力を高めた。
女の髪には古来より不思議な力が宿るという。
怨念妖怪となったお勢はさらったおるいの肉体にとりつき、乗っ取った。
その先は鐘ヶ淵の洞窟の冒頭部につづく。
「くすん……そんな哀しい話を聞くと、お勢ちゃんに同情しちゃなあ……」
「ぴえ~~ん、可哀想ですぅ……」
「おいおい……命を狙われたのに、人が良すぎるぞお前たち……だが、その嘉助とやらいう奴は気に食わん!」
ちなみに、紅羽たちはあとで西海屋の嘉助のことをしらべたが、お勢の亡くなった数年後、天和大火で焼け死んだという……
「お話は聞きました……私が成仏をねがって念仏を唱えましょう……」
急に聞き覚えのある女性の声がかかった。
「秋芳尼さまっ!」
「いつの間に……」
「心配で、追いかけてきちゃいました……」
松影伴内と金剛のかついだ駕籠にのって鐘ヶ淵の葦の原に駆けつけたのである。
空は白みはじめ、もう朝日が見える時刻となっていた。
数珠をもった秋芳尼は読経し、他の者もそれに従った。
「それにしても、お勢さんも哀れなものですね……そうだわ、彼女の鎮魂のために鐘ヶ淵にお堂を建てましょう、懸賞金で……」
「ええええええええ?! さすがにあの額でお堂建立は無理ですよ、秋芳尼さま!」
天摩忍群小頭・松影伴内が耳をうたがって、異議をとなえる。
「そうですか……では、祠を建てましょう!」
「それなら、なんとか……って、秋芳尼さまああああ……鳳空院の財政が危機であるこのときにですかぁ…………」
松影伴内が痛恨の表情でへたりこむ。
「しょうがないよ、小頭……」
「うむ、貧乏はいつものことじゃ」
「うるうる……可哀想なお勢ちゃんのために祠を建ててあげようです、小頭……」
「お前たちまで……金剛ぉぉぉ、なんとか言ってくれ……」
「…………しかたがありませんよ、小頭……」
頭痛がしてよろける伴内を、金剛が支えた。
一方、朝日に照らされ、こちらでは吉兵衛とおるいが神妙な顔で話しあっていた。
「おるいちゃん……今度のことでよぉぉぉく、わかったよ……やっぱりおいらにはおるいちゃんが一番だってことが……」
「なによ……しんみりして、女たらしの莫迦吉兵衛のくせに……」
「今回のことでコリゴリしたのさ……おるいちゃん、もう浮気はしない。おいら……手代の仕事を頑張って番頭になるよ。そしたら、おいらと所帯をもってくれるかい……」
当時の商家では手代では結婚ができず、番頭になってやっと所帯をもつことを許されていた。
「どうだか……でも……考えてあげてもいいわ……」
いつもくねくねしている吉兵衛が、別人のようにシャンとして真面目に告白したので、おるいも満更でもない様子だ。
「あのお二人、なんだかいい雰囲気ですぅ……」
「あんな女たらし男と夫婦になるなんて、信じられん!」
「いいじゃないの……喧嘩して、くっついてを繰り返すのが男と女じゃないの? 遠くて近きは男女の仲って、いうでしょ?」
「知らぬっ!」
ともかく、洞窟の岩牢に閉じ込められた他の四人の娘も救出された。
その後、鐘ヶ淵に真新しい祠が祀られたという。
妖霊退治人であるくノ一衆の活躍はまた次回の講釈で――




