女面鳥
女面鳥が首を屈め、大きな口で黄蝶をくわえんと迫る。
「ぴええええええ~~っ!!」
涙目の少女忍者は恐怖で身がすくんで動けない。
このまま彼女は巨鳥の餌食となるのか?
が、間一髪、竜胆と紅羽が黄蝶の片手を握って引っぱりだし、横一列に並んで繁みまで駆けた。
三人の背中直前まで巨大怪鳥が迫る。
なんとか繁みに潜りこんで身を隠した。
クエエエエエエエエエエッ!!
迦陵頻伽は悔しげな声をあげた。
巨樹の幹の影に四人は身を潜み、様子をうかがう。
枝に生い茂る葉陰が彼女らの姿を消していた。
(じっとしていれば大丈夫なはずじゃ……)
突如、怪鳥・迦陵頻伽が繁みに巨大な顔を突っ込んだ。
葉と小枝が宙を舞い、四人のすぐ側に、四畳半ほどもある巨大な顔が見えた。
ギロリとこちらを見る。
が、枝葉にまぎれて見えないようだ。
「かくなる上は天摩忍法でやっつけるか……」
「いや、騒ぎを起こせば野ぶすま仙人に気づかれる……ここは“観音隠れの術”をつかうのじゃ……」
太刀を抜きかけた紅羽を、竜胆が思慮深げにとめた。
「……そうだな……わかった」
「はいなのです!!」
黄蝶の体が小刻みに震えていた。
「しい……声が大きいぞ、黄蝶……」
「ごめんなのですぅ……」
「観音隠れ……なんだ、それは?」
「忍びの隠遁術だよ、松田の旦那……あたしたちの真似をして……」
忍びの者の『しのび』とは、隠れる・ひそかにするという意味であり、忍術とは、己の本心を隠して他家に潜入し、あるいは敵の城や館に忍び込んで内情を探る術である。
ゆえに、忍術の基本は敵に感づかれた場合、巧妙に隠れる術である。
隠れる術をとくに隠遁術といい、木遁・火遁・水遁・土遁・煙遁などがある。
同じく潜入術にも隠れる術があり、桂男術・螢火術・袋返術・鵜隠れの術があり、観音隠れもその一つだ。
「お、おう……」
四人は巨樹の幹に背中をくっつけた。
「松田殿……我等は観音像となるのです。己の気配を消し、不動の観音像と化して怪鳥の目を欺くのです……」
「気配を消すのか……」
「そう……袖で顔をおおって、目だけ出して、息の音を殺すんだ……そして、前に青梅宿で教えたように心を空にするんだよ」
「おお、あれか……」
松田半九郎は目を閉じ、無心になるよう努めた。
紅羽が言うには、『ボォ~~~~』っとする。
「そして、穏形の呪文を唱えるのですよ……忍術の神・摩利支天が力を貸してくれるのです」
「いきますぞ……オンアニチヤマ、リシエイソワカ……」
「おう……オンアニチヤマ、リシエイソワカ……」
観音隠れの術とは、本来、敵の館や城に忍び込んだ忍者が、敵の警備兵などに見つかりそうになった時に使う忍術である。
植木や繁み、壁や塀に寄り添い、敵が近づいても不動の像と化して動かない。
すると、敵の意表をついたものか、案外見つからないという。
四人は無心に穏形の呪文を唱え、心を空にしていく。
高鳴る動悸が治まり、呼吸音が静かになっていく……
黄蝶の震えも止まり、四人は気配のない観音像と化していった……
怪鳥はなんどか繁みを突いたが、虫一匹出てこなかった。
やがて宙に飛び、繁みの上を名残惜しげに旋回していたが、やがて諦めて飛び去った。
「助かったのですぅ……摩利支天様の御加護ですぅ……」
「ふぅ~~… まさか忍術の真似事をするとは思わなんだ……しかし、あんな危険な動物がいて、子供達は無事なのか?」
「そうですね……急いで子供達を探しましょうぞ、松田殿……」
「あそこに、変な建物があるのですよ!」
黄蝶が指さす先、およそ二里(約8km)ほど先に小山があり、あざやかな反転曲線をえがく唐破風の館が見えた。
六角形で三階建ての豪奢な館のようである。
「う~~む……あからさまに怪しい……きっと、野ぶすま仙人の家だよ、あれ……」
「おそらくな……野ぶすま仙人は我らが常世の世界に潜入したことを知らぬはず……その隙に子供たちを探すのじゃ。館の中か、その周辺におるはずじゃ……」
竜胆たちは繁みや森林、桃林に隠れながら、碧色の川を渡り、丘を越え、一里は進んだ。
森林の中で一休みする。
「あっ……向こうで子供達の声がするのですよ」
「なんだとっ!!」
森林の外の一角に、輪をつくって遊ぶ十数人の子供達の姿が見えた。カゴメカゴメの童謡を唄っている。
〽か~ごめ か~ごめ カ~ゴの中のとぉ~りぃ~はぁ~
い~つい~つ出~やる~ 夜明けの晩に~
つ~るとか~めがす~べったぁ~ 後ろの正~面だあれ?
一行が夢のような世界を歩いていくと、子供達の声がした。
輪になった子供達が唄を唄いながら回っている。
輪の中に目をつぶってしゃがみこんでいる鬼役の子供がいた。
どうやら、カゴメカゴメをして遊んでいるようだ。
歌が終わり、鬼役の子供が後ろの子供の名前を考えているようだ。
「え~~とぉ…………文助だぞ!」
文助とは、おろくの子供の名前ではないか。
四人が色めきたって、子供達に駆け寄る。
「あたりぃぃ!!」
「すごいなあ、小桃ちゃん!」
「後ろに目があるみたいだぁ!!」
「ほほほほ……わらわは勘がするどいんだぞ!!」
子供達がやんややんやと、小桃という少女を称えた。
黄蝶と同じ年くらいの背格好で、よくみれば、その小桃という女の子だけが他の子と衣装が違っていた。
それは、一枚の白い布の中央に頭を通す穴を開けておき、両脇を糸で縫い合わせたワンピース風の衣装で“貫頭衣”という。
小桃は勾玉の首輪・耳輪を身につけ、髪を後頭部でひとつに結んで、毛先を内側に折り返して、髷の中ほどを紐で縛っていた。
これは島田髷の先祖といわれる古墳髷といわれているものであった。
「お~~い…… そこにいるのは文助くんかぁ!?」
駆けてくる四人の先頭に立つ紅羽が子供達に呼びかけた。
「うん、おいらは文助だけど……お姉ちゃんたちは?」
「あたし達は神隠しにあった子供達を捜しにきたんだ……もしかして、南蔵院裏の原っぱでカクレンボしていたという他の六人……ゴンベエ、お美代たちもいるのか?」
「うん、おいらゴンベエ!」
「あたし、お美代!」
「他の子たちも親が心配しているぞ。さあ、遊ぶのはこのくらいで、もうおうちに帰るんだ」
「えぇ~~… やだよぉ……もっと、ここで遊ぶんだい!」
「けどさ、もう一週間も家に帰ってないんだろ?」
「えっ!? まさかぁ……フスマの中に入ってから、まだ半刻(一時間)もたってないよ」
「なっ……そんな莫迦な……」
「いや……常世の世界では時の流れが違うと云ったであろう……浦島太郎が竜宮城にいるのと同じじゃ」
「大変だあ……早く元の世界に戻さないと……秋芳尼様が現世と常世の世界の入り口を開けてられるのは半刻の間だぞ!」
「それは大変なのですぅ!! この世界に閉じ込められてしまうのですぅ!!」
「いや、二人とも……この世界は時間がゆっくりと流れているから、充分間に合うと思うぞ……」
「あっ……そうかぁ……え~~と……文助たちが一週間前に神隠しにあってぇ……でも、文助がまだ半刻くらいだっていうから……一日の差が大体……うきぃぃぃ~~~あたしは算術が苦手なんだよぉぉ~~」
紅羽が地面に小枝で数字を書いて計算するが、途中で頭をかきむしり、目玉が渦を巻いて混乱状態となり、プシュ~~っと音を立てて倒れた。
「落ち着くのじゃ紅羽……しかし……半刻で一週間と換算すると、常世の世界で一日経つと、二十四週間……およそ半年。一年経つと、およそ八七六○週間……およそ一六八年も経ち、とんでもない時間の差が生じることになるのう……」
「おお……暗算が早いな、竜胆……って、俺たちもウカウカしていると、浦島太郎の二の舞だぞ!!」
半九郎が感心し、一方、黄蝶は地面で熱をだしてうなされる紅羽の背中をさすって介抱していた。
「そういうわけで、大変なことになるのじゃ……早く帰るぞ、子供達……」
「やだよ……ウチに帰っても大して食べるもんないけど、ここには美味いもんがいっぱいあるしなあ……」
ゴンベエという腕白小僧が低木に生えた橙色の果実をもぎとり、ガブリとかみつき、美味そうに食べた。
「うめえ、うめえ……」
ゴンベエに触発されて他の子供も食べだした。
紅羽と黄蝶も試しにとばかりに橙色の果実を食べてみる。
「おっ、うまい!」
「甘くて、酸っぱくて、癖になる味なのですぅ……」
竜胆も果実を手にとって一口食べて見た。
「待て、子供達……それ以上この実を食べてはいかぬ」
「どうした、竜胆……何か不審な点でもあるのか?」
半九郎の問いに、竜胆は真剣な面持ちで、
「この果実は現世のものではない……常世に渦巻く霊気や大地にふくむ妖気を吸収して育つ植物『幽夜華』という……昔は食べ続ければ不老不死になる『仙果』ではないかと云われたが……実は妖怪・魔性に変化してしまうのじゃ!!」
それを聞いて、黄蝶と紅羽が果実を吐き出した。
「ぶぅ~~…妖怪になっちゃうですか!!」
「甘い果実には毒があるか……みんな食べるんじゃない!!」
「えぇぇ……やだよぉ……こんな美味しいもの、ずっと食べるよ……」
文助、ゴンベエ、お美代など十数人の子供達が両眼を鬼火のように青白く光り、紅羽たちを見上げた……キュウゥ~~と笑った口には牙が生えて見えた。




