四杯のうどん
やがて日が中天にのぼり、肩を落とした紅羽と黄蝶は浮かぬ顔で元の両国橋へ戻ってきた。
「……天空斎の“て”の字も見つからなかったなあ……」
「なかったのですぅ……もしかしたら、両国じゃなくて、浅草に小屋があるのかもしれないですぅ……」
「まあ、竜胆たちの訊き込みを聞いてからだ、浅草は……」
遠くに巫女剣士と寺社役同心の姿がこちらにやってくるのが見えた。
そして、二人仲良くお腹がキュ~~となった。
「お腹すいたなあ……むむ、美味そうな出し汁の匂い……これは……ごくり」
「橋のたもとにうどん屋の屋台があるのですよ」
うどん汁のいい匂いでつられて、二人の妖怪退治人はそそくさと屋台に入った。
「へい、なんにしましょう!」
「素うどんを四杯頼むよ、親爺さん」
「二杯で充分ですよぉ……二杯にしときなよぉ」
「いや、四杯頼むよ。二つと二つで四杯だよ!」
紅羽が両手の指を二本立てて、カニのポーズで強調する。
「うちは大目だからねえ、女の子二人じゃ食べきれないよ……二人なら二杯で充分だよ……わかってくださいよぉ……」
「いやいや……やけん(だから)、もうじき二人くるから四杯つくっちくりよ……」
「えっ、なんだって?」
紅羽が焦って、豊後弁でしゃべりだし、うどん屋の親爺はますます混乱した。
「あっ、ほらほら……竜胆ちゃんと松田のお兄ちゃんがこっちに来るですよっ!」
うどん屋の屋台に竜胆と半九郎が顔を出す。
「おお、うどんか……うまそうじゃ、私も頼もうかのう……」
「俺も一杯頼む……」
したり顔となった紅羽がうどん屋の親爺にふり向く。
黒の紋付羽織を着た目つきの鋭い武士を見て、親爺の背筋がしゃんとして、麺をゆで始めた。
「ほらね、言ったでしょ、親爺さん……」
「連れがいるならいると、早く言いなよ! ……それにどうせなら、若いんだからもっと精のつく、“しつぽく”か“けいらん”にしないかい?」
素うどんは値段が十六文だが、“しつぽく”はうどんの上に玉子焼き・かまぼこ・椎茸・慈姑などのトッピングをつけたもので二十四文、“けいらん”はうどんの玉子とじで二十四文だ。
「いやいや、持ち合わせの都合で……そんな豪華なご馳走はあたしたちには……」
「そうなのです……玉子なんて高価な品は身分不相応なのですよ……じゅるり……」
「おいおい身分不相応って……お前たち、悲しい事をいうな……よし、ここは俺がおごろうでないか! ……親爺、しつぽくを四人前頼む」
「あいよっ!!」
「紅羽に黄蝶……わざとらしく、松田殿にたかるでない……」
と、いいつつ竜胆も半九郎におごってもらった。
四人はハフハフズルズルと、しつぽくうどんを食べ始めた。
「ずるずるぅ……こっちの収穫は芳しくないけど、そっちはどうよ、竜胆?」
「うむ……結果をいえばあったぞ、錣引の親分の情報で、一番端の見世物小屋にあった……微量だが、妖異の気配もあったのじゃ……ずるずるぅ……」
「すると、やっぱり、神隠しは妖怪か妖術師の仕業なのですねっ!! ずるずるぅ……かまぼこ美味しいのです!」
「おう、これを喰ったら、さぐりを入れよう……ずるずるぅ……ごくごく……親爺、幾らだ?」
「とんでもないっ!! 八丁堀の旦那にお足(金銭)はもらえないですよ! わかってくださいよぉ……」
「いや、俺は町方ではない、寺社方だ……まあ、そうかわらんか……ともかく、きっちり代金は払うっ!!」
賄賂や役人風を吹かすのが大嫌いな松田半九郎はきっちりと親爺に九十六文払った。
「さあて、鬼が出るか、蛇が出るか……子供の大量誘拐の下手人……かもしれない天空斎幻光の顔を拝んでやろうじゃないの!」
紅羽がだし汁まで全部飲んでから、意気揚々と立ち上がった。
「応っ!! なのですぅ!!!」
そして、東広小路の端っこに、“大手妻師 天空斎幻光”の幟をかかげた葭簀小屋があった。
毒々しい絵看板に、黄色と黒の片身替りの羽織・肩衣・袴姿を着込み、鼈甲の丸眼鏡をかけ、白い髭を猫の髭のようにピンと伸ばし、白い総髪の五十男くらいの手妻師が扇子で紙吹雪を飛ばしている。
ちなみに“手妻”とは、現代で言う手品・奇術のことである。
手妻師は、『両手を稲妻のごとく素早くうごかした』事からこう呼ばれたようですね。
「これが秋芳尼様の法術で見つけた怪しい手妻師ですね……なんだか、へんてこな羽織袴を着ているのですねえ……」
「ああ……慶長から江戸時代初めに流行った、片身替りという意匠だよ、黄蝶……しかし、この“天空斎幻光”って、奇抜な姿だが、人の良さそうな小父さんに見えるけど……」
「大量誘拐の下手人かもしれぬのじゃ……妖怪か妖術師とみて間違いなかろう……」
「よし、みんな……気を引き締めていこう……」
松田同心が音頭をとって、手妻師の小屋へと足を向けた。
「いらっしゃい、いらっしゃい……大手妻師・天空斎幻光の妙術珍術だよぉ……本日は特別に、十二歳までの子供は無料だってんだから、お得だよぉぉ!!」
小太りの口上人が濁声で、子供は無料であると、行き交う通行人をさそった。
木戸番の男の前に黄蝶が顔を出し、両のほっぺたに人差し指をつけ、
「小父さん、黄蝶は十二歳だよ!」
「おまえ……ホントは一つ上……げふっ!」
紅羽の次の言葉を、竜胆が横腹を小突いて食い止めた。
「しっ! 紅羽、鳳空院の経費節減のためじゃ、ここは見逃すのじゃ……」
「そうだな……黄蝶は童顔で小柄でぺったんだから十歳くらいにも見えるし……いたっ!!」
「ぺったんは余計なのですよっ!!」
黄蝶がもどってきて、紅羽の腿肉をつねった。
「おい、お前たち……木戸銭は俺が払うから、争うのはよせ……」
「わぁいっ!! 松田のお兄ちゃん、ゴチになるのですぅ!!」
かくて、入場料の木戸銭三十二文を四人分、松田同心がはらって葭簀小屋にはいった。三十二文は今でいうと、600~700円くらいであろうか。
落語の寄席も同じくらいであった。
これが歌舞伎小屋だと、一番安いのでも百文(およそ2000円)、相撲は一番安い土間席で三匁(およそ4000円)くらいなので、両国でもこれらはお手軽に入れた娯楽のようですね。
とざい、とーざい。
さあさあ、謎の手妻師の舞台に飛び込んだ妖怪退治人たち。
怪しげな舞台には、果たして、鬼が出るか、蛇が出るか……
隅から隅までずずずい~~っと希い上げ奉りまする。
最後までとくと御覧じろ!




