神隠しと常世の世界
一方、竜胆と半九郎は両国の東広小路の幟に“天空斎幻光”の文字がないか調べ、道行く人に聞いて歩いた。
松田半九郎は、この白い上衣に緋色の袴がまぶしい薙刀巫女・竜胆とふたりきりになるのは、考えてみれば初めてだと思いあたった。
彼女は雪のように白い肌であり、神秘的で切れ長の眸をした美貌の娘である。
長い黒髪を後ろで結び、平安貴族の娘のように典雅である。
だが、それに反するかのように意思の強い眼差しであり、薙刀という物騒なものを所持している。
思わず見つめてしまい、照れて、話しかけた。
「しかし、神隠し事件の捜査とはいうが、そもそも、“神隠し”とはなんなのであろうなあ、竜胆……」
「神隠しの定義、ですか? そうですね、人がある日、なんの前触れもなく消えてしまう事象ですね。とくに、古代からの神域である森や山などで行方不明になったものを神隠しといっていましたが、今では人里や町から消えた者もそういうようです」
「そういや、俺が子供の頃、丹後の国の田舎でときおり、子供が行方不明となり、村人たちが山狩りをして探すことがあった。そのとき、捜索する村人たちが鉦や太鼓を叩いて、『かやせ、もどせ』と、行方不明となった者の名前を呼んでいたなあ……」
「それは民間の呪術、まじないでもあります。神隠しであれば、もどってくる場合もありますので……」
「うむ、無事に見つかった場合もあれば、見つからずに行方不明になった場合もある……谷底に落ちて亡くなっていた、増水した川でおぼれ死んだ場合などだな……」
「それは……不幸な結果に……」
巫女剣士が目を伏せ、言葉が小さくなる。
「行方知れずの場合、残された親は、周りの大人たちに、『あの子は神隠しにあったんだ』だから、仕方がないと、説得していたそうだ……神隠しならば、数年後に帰ってくるという期待もあるしな……親もつらいが、神隠しだと納得せねば前に進めないこともあるしなあ……そもそも山や森で行方不明になる事は良くある事でもあるが、それを神や天狗、妖怪の仕業として納得させていたのが真相ではないのか?」
「そうですね……理不尽な不幸を納得するため、そういって納得せざるを得なかったのでしょう……実際は迷子、家出、夜逃げなど、大半の行方不明事件はそれらが真相でしょう……しかし……」
美貌の巫女剣士が意味ありげに半九郎を見上げ、ドキリとした。
「そうでない、場合もあるのだな……」
「はい……地方各地に子供を専門にさらう妖怪の伝承があります。たとえば、“天狗隠し”が有名ですね」
「おおっ、天狗が子供をさらって、一緒に空を飛んだりする民話があるなあ……」
「他にも、神域にまぎれこみ、別の世界にまぎれこんでしまった場合も……」
「別の世界、とはなんだ?」
松田同心がギョッとして、竜胆にふり向いた。
「たとえば、遊んでいた子供が、山菜採りや樵の仕事に出たものが、偶然にも“現世”と“常世”をつなぐ入口に入り込んでしまった場合です……」
「現世と常世の入り口……そんなものがあるのか?」
「ええ……磐座や神奈備など古来から神の宿るとされた場所などにあると云われております。我々日本人が言葉を持たぬ昔から、そのような異界への入口がある場所を経験から知り得、神域や禁足地として一般人の立ち入りを禁じた可能性があります」
「ふうむ、現世は俺たちが住んでいるこの世の事だろう。しかし、別の世界――“常世”とはそもそも、どういう世界なのだ?」
「そうですねえ……“常世”は古くは“常夜“とも書き、その名のごとく、“常に夜が続く世界”です。神道や古神道において、常世は幽世ともいい、永久に変わらない世界だといいます。人が死後に行くという“黄泉”の世界も幽世にあると云われています」
現世と常世という二つの世界があるという考え方は、日本神話や神道をかたる上で重要な、二元論的世界観である。
「日がささない、つねに夜の世界か……して、その世界はどこにあるのだ?」
「地方によって考え方が違うようですが……海の彼方、海の中、地中などにあるのではと考えられています。『日本書紀』などによると、少彦名命は国造りのあと、常世の国に旅立ったとされます。『万葉集』では、浦島太郎が訪れた竜宮城も常世だと書かれてました」
「なにぃ!? 竜宮城も常世なのか? そういや、浦島太郎が竜宮城で接待を受けた間に、故郷では長い月日がたったという妙な話だったなあ……おおっ、つまりは浦島太郎も神隠しにあったということか?」
「はい、その通りです。そしてその話は、常世と現世の違いをかたっています……」
「つまり、常世と現世では、時の流れが違う、ということか……」
「はい……現世での常識が通じない世界だということです……そうそう、あれを見てください」
巫女剣士の白魚のような人差し指がさす先には、両国の葭簀小屋を十文字にうがつ辻の端っこに、注連縄を巻かれた人間大の大きな石が佇んでいた。
「これは道祖神だな……路傍の神を祀る石像だ。しかしこれは、旅人の安全を祈願するものだろ?」
「はい、村や町をつなぐ道の辻にこういった道祖神や祠、地蔵を祀るのは本来そうです。ですが、それ以外にも常世との境、『結界』という意味もあるのです。古代からの呪術が形をかえて残っておるのかもしれませぬ」
「ふ~~む……あんがい、大昔から別の世界への入り口はそこここにあって、警戒してきた歴史があるのだなあ……しかし、こたびは違う場所で八度も神隠しがあったのだぞ……」
「はい……どうも、何者かの作為を感じますね……常世への入り口をつくりだす妖怪か妖術師の仕業なのかもしれません」
「むうぅ……すると、蓑吉の見た人喰いフスマとは異界への入り口であり、七十四人の子供たちはその入口をつくった術者に常世にさらわれたかもしれんということか……」
「はい、おそらく……なので秋芳尼さまの法術・浄天眼で探す事が難しかったのではないかと……浄天眼の有効範囲は江戸の御府内くらい。そして現世での範囲です……別の世界・常世の入られては探せません」
「すると、あの幟の旗が見えたのは……」
「おそらく、わずかながらも、誘拐した術者に、手拭いの持ち主の子の残留思念が付着していたのでしょう……秋芳尼さまが苦労して見つけた手がかり、おろそかには出来ませぬ!」
決然と主の意思をくむ忍者娘に、半九郎は同感であった。
それにしても……と、竜胆を見下ろす。
「しかし、紅羽や黄蝶とちがって、竜胆はいろいろな事を知っておるなあ……神隠しと常世のこと、勉強になったぞ」
「なっ…………いえ、ただ私は本や書物を読むのが好きなだけでございます……」
照れてうつむき、立ち止まる竜胆。半九郎も足をとめ、二人はなんとなしに道祖神を見つめた。
突然、石像を置く基礎の石の小穴から、茶褐色の虫がガサゴソとはい出してきた。
「えっ…………きゃああああああああああああああああっ!!」
金切声をあげ、緋袴の巫女が薙刀を落とし、寺社役同心にしがみ付いてきた。顔を肩にうずめ、二の腕に豊かな胸があたり、半九郎はドギマギする。
気の強そうな巫女娘が体を小刻みに震わせ、まるで気の弱い町娘のようだ。
悲鳴を聞いて、周囲の通行人が「なんだなんだ」と首を向ける。
「おいっ、どうした……竜胆!!」
「あ、油虫が……」
「ゴキブリか? ……もう、どこかへ消えたぞ……」
「……本当ですか……」
竜胆は半九郎から離れ、襟をただした。耳まで真っ赤である。
「し、失礼いたしました……松田殿……私はあの不浄の虫が苦手でして……忍びは天井裏や床下を忍び込まねばならぬ事もあるのに……恥ずべきことです……」
「いや、いやいや……良いではないか……誰しも、苦手なモノはあるものだ。そう恥ずかしがる事ではない……何を隠そう、俺も苦手なモノはある……実は高い所が苦手で……」
「あっ、それは以前、奥多摩の土隠山で知りました……」
「むっ……言ってはいないが……ばればれであったか……」
半九郎も赤面し、ふたりとも照れ笑いを浮かべた。足を止めた通行人たちも、歩みさっていく。
「さて、天空斎幻光とやらを探さねばなあ……」
「はい、松田殿……」
決然と頭を上げた二人の前にお化け屋敷のどぎつい絵看板が見えた。
その横には……




