両国広小路
「あっ、この小屋には飛騨の国で見つけたという大きなイタチがいるそうですよ!」
「こっちには手裏剣打ち名人の看板だ……あたしとどっちが手裏剣の腕が上か、挑戦してみたいなあ……」
両国橋の上で、女剣士姿の紅羽と黄八丈の着物を着た黄蝶が御登りさんのように騒ぎ立てていた。
じっさい、三女忍とも谷中から近いとはいえ、両国橋を渡ったことは何度もあるが、広小路をじっくりと見学したことはなかったのだ。
数年前に江戸へ来たが、ずっと九州の片田舎で修行していた彼女たちには、まだまだ物珍しいものだった。
「おや……いい匂いがする……じゅるり……」
「本当なのです! ゴクリ……」
「これは……百獣屋じゃな……関心せぬのう……」
“ももんじ”とは、江戸時代に毛深い獣や尾のある野獣を総称して、“ももんじ”と呼んだことによる。
猪・鹿・狸など野獣や野鳥の肉の売買をし、または料理して出した店を“ももんじ屋”といった。
ほかにも獣店、獣屋ともいう。
江戸では、麹町、平河町、四谷、両国広小路などに獣肉料理店があった。
竜胆と秋芳尼は神職者ゆえ、肉や魚を食べない菜食主義者だ。
江戸時代は仏教思想の影響で肉食を忌み嫌った。
が、それは表向きの話であり、実際は『薬食い』と称し、養生のために食べる者もいた。
また、獣肉料理店を“ももんじや”といったのは、百獣の転訛だという説がある。
また、関東地区で毛深い妖怪のことをいう児童語で“ももんじい”といったからという説もある。
材料は江戸近郊の百姓たちが、農耕地で害獣となる猪や鹿などを捕獲して、船で店に運び入れ売買したのだ。
調理法は鍋物か鉄板焼きで、すき焼きや桜鍋の元になったと云われている。
江戸っ子たちは一応遠慮して、鶏肉を『柏』、猪肉を『山鯨』・『牡丹』、鹿肉を『紅葉』という隠語で呼んでいたという。
「ともかくじゃ! ……両国を見物にきたのではないぞ。手がかりと思われる“天空斎幻光”の幟を探すのじゃ……」
「はっ、そうだったのです!!」
秋芳尼が浄玻璃鏡の秘術で手がかりの幟旗を見つけた翌日の朝五ツ半(午前九時)ごろ、大道芸や見世物小屋といえば、まずは回向院の近くにある両国広小路と浅草寺の裏手にある浅草だろうと、三女忍と松田同心が彼の地に調べにおもむいた。
「じゃあ、四人で手分けして探そう……あたしと黄蝶は西広小路を……竜胆と松田の旦那は東広小路を探そうじゃないの」
「それもそうだな、では行くか竜胆……」
「はい、松田殿……あとで、この橋で落ち合おうぞ……」
「了解なのですっ!」
両国広小路には緋色や黄色、水色などさまざまな色に染めた幟立ち並び、どぎつい絵柄の絵看板が正面に掲げられている葭簀小屋がたくさん居並ぶ通り。
幟には「天下一水芸 振須虎太夫」「曲独楽名人 出角律九郎」「手裡剣達人 城井抜釘斎」「蛇使い美女 蔵羅沙呂女太夫」「強力芸人 烏口本若」といった芸人の葭簀小屋、「妖怪変化 ろくろっ首」「飛騨怪獣 大鼬」「隅田川怪異 河童の子供」などといった見世物、お化け屋敷の文字が書かれている。
しかし、まだ午前の興業前の時間なので、お客はだれもいなく、閑散としている。
紅羽と黄蝶は小屋の表を掃除している下働きの男に手妻師の“天空斎幻光”について訊いてみた。
「さてねえ……両国広小路だけでも、あまりにたくさんの芸人がいるから覚えきれないなあ……しかも新入りや改名した芸人だと、わからねえや……しかも、一時は人気が出て時の人になり、羽振りが良くなっても、あっという間に飽きられ、姿を消した芸人もいるしなあ……」
「ありゃまぁ……浮き沈みの激しい世界なんだなあ……」
「芸事の世界は厳しいのですぅ……」
両国広小路とは、両国橋の両たもとに設置された広場である。
もとはといえば、十万人もの犠牲者がでた明暦の大火(1657年)のような火災を防ぐため、市中に広小路や火除地をたくさんつくった。
なかでも両国の広小路は江戸屈指の盛り場へと成長した。
もともとは神社仏閣の参詣客めあてに露天商や大道芸人、見世物小屋が集まったのに、人気がでてしまい、数十万のお客を呼び集める興業が生まれると、参詣のほうが第二目的になるという逆転現象もおこったのである。
それというのも、江戸の市中にこのような広い空地があるならばと、商魂たくましい商人や興行主がかってに使うようになったからだ。
見世物小屋、飲み屋、床見世、露天商、軽業、手妻、講談、浄瑠璃など仮設小屋がたくさんつくられた。
だが、徳川将軍が鷹狩りに向かうときなどは綺麗に小屋が取り払われ、本来の広小路にもどったという。
しかし、年月が経つとお上の規制もゆるくなり、常設の露天商や小屋が立つようになっていったとか。
「おっ、通りに客が増えてきたなあ……」
常設の小屋がけで茶店や飯屋、露天商が品物をひろげ、若い娘や奇抜な姿の者が派手な呼び込みをはじめた。
派手な小紋をきた甘酒屋の呼び込み女が牝の眼差しをして、茜色の羽織に黒袴の若衆姿の紅羽にすりよってきて、手を握った。
「あらぁ……お兄さん、色男ねえ……安くしとくから寄っていってよ……」
「いや、その……あたし達は取り込み中でして……」
「ちょっと、紅羽ちゃん! 女同士なのに、頬をあからめて満更でもない顔をしてちゃ、ダメなのですよぉ!」
「わかっているよ、黄蝶……」
「あらま、男装の若衆だったのね、それでも素敵よ……寄っていってよう……」
黄蝶がでれっとした紅羽の腕を引っ張り、誘蛾灯の魔の手から助け出す。
しかしそんな彼女も、視界にはいったモノを見て、瞳がキラキラと輝き始めた。
「あっ、あっちで大道芸をやっているのですぅ!」
酒精を口にふくみ、松明の火に吹きかけて火炎放射をする芸人や、玉乗りをしながらお手玉をする芸人、曲独楽の綱渡りを見せる芸人などが見えた。
「行ってみよう、黄蝶!!」
「モチのロンですぅ!!!」
大道芸の辻舞、辻講釈、軽業芸、手妻、太平記読みなどに人だかりができていた。
ほかにも、木魚を叩いて、舞い唄う“ちょんがれ”、ホラ貝を吹く町修験が演じる“デロレン祭文”、落語の原型である“辻咄”、浴衣姿の坊主頭が踊る“かっぽれ”、三味線をひく“娘義太夫”、ほかにも角兵衛獅子、綱渡り、曲馬、曲屁などが行われはじめ、つい、紅羽と黄蝶もぼ~~っと見学してしまい、途中で我に返り、目的の幟を探す。
ほかにも珍獣奇獣の見世物として、孔雀、火喰い鳥、オウム、ヤマアラシ、狼、狐、アザラシ、大山椒魚、豹、虎なんてものもある。
もっとも、豹を見に入ったら、檻の中には大きめの猫が入っていた……オオイタチのはずが、大きな板に赤い血がついているだけ……なんてオチがついたものだ。
まあ、安い見物料なので、江戸っ子は野暮な事はいわず、笑って、「騙された~~」と話のネタにしたとか。
ほかにも妖しげな人魚、河童、鬼、龍などのミイラなどの見世物なんていうのもあった。
もちろん、人魚は猿と魚の剥製をくっつけた偽物であり、海外にも輸出されるほど人気の品だ。
そんなものでも、娯楽の少ない時代には貴重なエンターティメントであった。
黄蝶たちも一目見たかったが、貧乏な妖怪退治人ゆえ、あちこち木戸銭が払えない。
なので、どくどくしい絵具で描かれた絵看板を見るだけだ。
それでも、絵看板からいろいろと想像するだけでも楽しいものである。




