鈴屋お茉莉
楽しい手毬唄のはずが、どこか虚しくも悲しく聞こえる……そんな童謡であった。
「……いちりっとら……らっきょうくってし……しんがらほっけきょの……とんがらしんがらほい……」
「あれは若い娘の声……もしかして、盤渓寺退魔僧たちが見かけた商家の娘さんじゃないか?」
「たしか、日本橋の商家・鈴屋のお茉莉というたかのう……」
土蜘蛛の巣窟から助けた退魔僧の金鶏坊と龍源坊を呼んで、確かめる。
「たしかにあの声は聞き覚えがある……しかし、まさか……まさか……あの状況でお茉莉さんが生きていたとは……」
「助けにいかなくては……拙僧らも行こう……」
「いや、土蜘蛛の親がまだ何処かにいるかもしれぬ……あなた方は生き残った人たちを護衛して下山してください……」
竜胆が考え深げに退魔僧二人に頼んだ。
「お茉莉さんは私たちが助けてくるのです!」
「……わかりました……くれぐれも、気を付けてくだされ……」
退魔僧たちが村人に肩を貸して麓の村へ歩みはじめた。松田半九郎が振り返り、
「俺たちは先に行く……杵村でまた会おう……」
「松田の旦那もねっ!」
かくして、杉作と梅吉と、その両親を背負う半九郎と轟竜坊、退魔僧二人、ほかの生き残りの村人達を先に下山させ、天摩流三人娘が森の中にわけ入った。
檜の森の中は、いつしか夕霧がただよいだした。
遠くの霧の中に、青白い顔をした女が、童女のように毬をついているのが見えた。
緋色の江戸小紋に、帯をお太鼓結びという高価な衣を身にまとっているが、裸足なのが異様だ。
垢抜けて器量よしの娘であっが、島田髷がくずれて、乱れ髪となり、悲愴美の絵草紙のようであった。
「おお~~いっ、お茉莉さん、無事かぁ!」
「大丈夫なのですかぁぁ~~!!」
三女忍が歩み寄ると、緋色小紋の臈たけた娘・お茉莉が唄をやめ、毬を両手でつかみ、小首を傾げてこちらを見る。
白蝋のような肌に血の気がさし、ニカッと笑顔をみせる。
「あらまあ……ぬしさんたちは誰ですえ?」
「鈴屋のお茉莉さんだね……あたしたちは妖怪退治人で、助けにきたんだ……」
「まあ、嬉しゅうござんす……こちらへ……こちらへ……」
ニコニコと微笑む美貌の娘が白い手をこちらに差し出した。
紅羽と黄蝶が四間向こうのお茉莉に歩みよろうとすると、竜胆が腕をつかんで止めた。
「なんだよ、竜胆!?」
「……それ以上進むな……あのお茉莉さんは、おそらく偽物じゃ……」
紅羽と黄蝶が「えっ!?」と驚く。
「何をいうてはるの? あちきは日本橋で足袋問屋を商っている鈴屋益右衛門の娘で……」
竜胆が拾い上げた小石に青い神気を込め、お茉莉の胸に投じる。
小石は緋色小紋の娘の胸をすり抜け、背後の腐葉土に落ちた。
「ええええっ!!」
「体をすり抜けたのです! 幽霊なのですっ!!」
「いや……幽霊では無いと思うのじゃ……おそらくは親の土蜘蛛が餌をおびき寄せるために生み出した幻影であろう……おそらく、本物はもういない……」
お茉莉が口を袖で押さえ、けたましく笑い出した。
「ふほほほほほほほ……妖怪退治人よ、なぜ、偽物だとわかったのかのう?」
紅羽と黄蝶が、意外な展開に目を白黒する。
「いや……これは私の勘じゃが……盤渓寺の八仙坊殿から話を聞いたとき、不自然なものを感じたのじゃ……まず、土蜘蛛が地中に潜んでいた場所に、偶然、自失状態の娘が童謡を歌って通りかかるのは作為的なものを感じた……巨体の土蜘蛛がわざわざ地面に潜った場所にじゃぞ?」
「しかし、現実に『偶然』という事象はあり得るのではないかえ?」
「確かに偶然はある……しかし、『平家物語』や『土蜘蛛草紙』などの伝承によると土蜘蛛は、僧侶や美女に化け、人魂や妖怪を出現させる幻術をつかうとある……お茉莉が土蜘蛛の化けた姿か、幻術が生み出した虚像であり、それで盤渓寺退魔僧を呼び寄せて襲ったのかもしれぬ、と考えた」
「ほほう……」
「忍びとは疑り深いのでなあ……しかし、万が一、本物の場合を考え、小石に神気を込めて、確かめさせてもらったのじゃ。幻や幽霊なら小石は通過し、化けた姿なら、神気で変化術が乱れるはず……」
人間が釣りをするときに、生餌や疑似餌、毛針などを使って魚をおびき寄せることと同じように動物界にも罠をはっておびき寄せるものがある。
チンパンジーやクジラ、カラス、ワニ、チョウチンアンコウ、クモ、アリジゴク、ヒカリキノコバエの幼虫などだ。
ヌマワニとアメリカアリゲーターは、水鳥の繁殖期になると、水面上に突き出した鼻の上に木の枝をのせ、鳥が水面に浮く枝を巣の材料にするべく飛んできたところを襲って捕食することが報告された。
日の光もささない暗黒の深海に棲むチョウチンアンコウなどは頭部に誘引突起という釣竿のようなものがある。
ここから発光液を噴出して獲物の魚を呼び、先にあるヒラヒラとした疑似餌でおびき寄せ、大きな口で魚を捕食すると言われている。
ニュージーランドの洞窟内に棲むヒカリキノコバエの幼虫は、洞窟の天井から青白く光る粘液を分泌して、虫をおびき寄せて食べてしまう。
この土蜘蛛妖怪も同じく、疑似餌を仕掛けて待ち伏せるタイプであったのだ。
人間や動物の姿を正面・側面・上面の三方向からの映像を捕捉して三次元立体幻像を作成し、地底に潜んで八眼だけ出して幻影を映しだし、精神感応術で人間をおびき寄せ、食べた人間の記憶を使って交流し、安心させたところを、地底から姿を現して捕食する妖術が使えたのだ。
蜘蛛の脳は頭胸部の中にあるが、種類によっては全体の八割を脳と中枢神経でしめ、脚の中にまではみだしているものもある。
そのため、土蜘蛛妖怪も肥大化した脳髄により、人間に匹敵する以上の智慧と、幻を生み出す妖術を得た可能性があるのかもしれない。
『土蜘蛛草紙』などで、土蜘蛛は人間に化けるとあるが、正確には、幻影術が巧みなため、そう間違えて伝承されたのではないだろうか。
土蜘蛛塚から封印を解かれたばかりの頃は、空腹で、手当たりしだいに人間や動物を追いかけて喰らったが、満腹して妖力もためこみ、余裕がでて、本来の疑似餌をつかった待ち伏せ式の習性に戻ったのであろう。
「ふほほほほほ……鋭いねえ……面白いねえ……嬉しいねえ……」
赤い小紋のお茉莉の姿が、水面に移る映像が波紋でゆれるように歪み、別の姿……巨顔の退魔僧・崑崙坊となった。
人差し指で己のこめかみを突き、
「貴様の脳味噌を喰らえば……もっと、賢くなりそうだ!! 我は人間の脳味噌を喰らって、その知識を得ることができる……崑崙坊の指図で、退魔僧三羅漢とお前たちとが戦ったときの記録があったぞ……」
崑崙坊が悪鬼の形相を浮かべ、ス~~~~っと姿が消えた。
大地が震動し、土砂を撒き散らし、折れ曲がった大木のごとき歩脚が突き出て、小山ほどもある巨影が地上に現れた。
黒褐色の体毛に包まれた頭胸部に四対の歩脚と丸い腹部。
八つの複眼を赤く光らせ、口には長い鎌のような鋏角という上顎と、下顎がカッと開かれた。
前脚と上顎の間に小ぶりの〈蝕肢〉という付属肢があって、全体的に十本足にも見えた。
グオオオオオオオオオオオ~~ン!!
ついに強大な魔力と妖術を有する親玉の土蜘蛛が姿を現した。
すでに武装した代官の選抜隊を蹴散らし、退魔僧十羅漢の半分を斃した大妖怪に対し、果たして紅羽たち天摩流くノ一衆三人娘に勝機はあるのだろうか……




