地獄の巣窟
頬に雫がたれ、黄蝶は目が覚めた。
「ん……ここは……」
暗黒の中にうっすらと光り輝くものが見えた。
金緑色……エメラルドグリーンのような不思議な光……ヒカリゴケだ。
洞窟のような暗所でのみ育つヒカリゴケが周囲一面の岩壁に生えていた。
暗闇の中では人間をはじめ、哺乳類は原初的恐怖を感じて精神がおかしくなってしまうものだ。
そんな中でヒカリゴケのように生物の発する光は神秘的であり、ほっと安心させる心の治癒の効果があった。
「おっ……目が……さめたか、黄蝶……」
「松田のお兄ちゃん!!」
右隣に淡い金緑色の光でうっすらと松田の精悍な顔が見えた。
体は黄蝶と同じく繭に包まれている。
身じろぎしようと体を動かすが、手足が動かない。
ぼぉ~~っとする脳裏に、土蜘蛛に魔糸で繭にされて連れ去れたことを思い出した。
「俺もさっき目覚めたばかりだ……この繭から出ようともがいているが……元気が出んのだ……」
確かに元気者の半九郎にしては、病み上がりのように弱々しい声であった。
腰の太刀を鞘から抜こうとしているのだが、魔糸に生気を吸われて力が出ない。
「……きっと、この糸が人の生気を……吸い取っているからです……」
「くそっ……俺たちを捕えて……あとで食べる気か……蟻が巣に餌となる……死骸を集めるように……」
松田の右には気を失った杉作と梅吉の繭もあり、大声で起こした。
周囲に人間大の土蜘蛛はいないようだ。
「あっ……あんちゃん……他にも繭が……いっぱいあるだよ……」
「なんだって……梅吉……」
次第に目が闇夜に慣れてきて、ヒカリゴケが照らす洞窟世界をもっとよく見ることができた。
洞窟はこの辺りが広場のようになっており、梅吉の言うように、円い壁一面に、御堂の千体仏のように人間大の繭が岩壁に糸で貼りつけられていた。
「もしかして……俺たちと同じように……村から連れ去られた……人々か……」
「じゃあ……この中に……父ちゃん……母ちゃんが!」
杉作と梅吉が声を限りに両親を呼びかける。それはやがて、涙混じりの絶叫になるが、返事はなかった……
周囲を見回すと何百年もかけて成長した美しい鍾乳石が神殿の柱のように広がる鍾乳洞であった。
その床面の真ん中に、子供の頭ほどもある楕円状の白い球体が一面にあった。
その数はざっと、三百以上はあろうか……
「ひっ、ひえええええええっ!!」
「たっ、卵だ……土蜘蛛妖怪の……卵があるんだ……」
杉作と梅吉がそのおぞましさと恐ろしさに総毛だって悲鳴をあげる。
「これは……なんという数の……卵なのですか……」
「……むう……甦った土蜘蛛は……一体だったはず……なぜ……」
パリパリ……
中央にある白い卵の表面が割れ、不気味な節足動物の脚が殻を蹴とばし、中から這い出してきた。
ぎゅいぃぃぃぃぃぃ~~~
その怪生物は、よく見れば八本の長い足が頭と胸が一体化した頭胸部から生え、丸く膨れた腹部がある土蜘蛛の子供だった。
ただし、毛は生えておらず、半透明の体であり、ブヨブヨと膨れたフォルムであった。
「ひっ……」
「こりゃあ……子蜘蛛だぁぁ……」
「これは妖怪蜘蛛……しかも……生まれたばかりの幼生体なのです」
「なんとか……せんと……」
卵は次々と割れて、中から子供の頭大の子蜘蛛が這い出て、群れとなり、二酸化炭素を放つ生餌の繭に這い登っていく。
小蜘蛛は繭に包まれた人間に噛みつき、チュウチュウと生き血を吸い上げていく音がした。
半透明の体内に赤い血液が蓄積されていくおぞましい様子が見えた。
黄蝶がなんとかしようと首を左隣にふりむき、繭をよく見る。
「ぴゃいぃぃ~~~~!!!」
その繭は皮がはりついた髑髏の死体になっていた……ここにある人間繭は生まれたばかりの子蜘蛛に与える生餌の巣窟であったのだ!
半透明の小怪が黄蝶たちの繭にも這い上がってきた。
悲鳴をあげる杉作と梅吉。
「オン……アニチ……マリシエイ……ソワカ……」
「おい……黄蝶……この状態で……神気法を使うのは……危険では……」
黄蝶が摩利支天の真言を唱え、臍下丹田に残っていた神気を集め始めた。
黄蝶の全身が黄金に光り輝いていく。
杉作と梅吉には観音様の光背に見えた。
闇夜の灯火、干天の慈雨、地獄で仏とはこのことだ。
「天摩忍法……つむじ風……うぅ~~~~~~、やぁ~~~~~、たぁ~~~~~~!!」
黄蝶を中心に、轟々と音をたて、子蜘蛛妖怪をまきあげ、中規模の空気の渦巻きが発生して遠くへ飛散させた。
しかし、時間が経てばふたたび人間繭ににじり寄るであろう。
「すげえや……黄蝶の姉ちゃん……」
「お姉ちゃんは……観音様の化身だべ……」
「えっ……お姉ちゃん!」
天摩くノ一三人衆では最年少の黄蝶はいつも妹分あつかいなので、杉作・梅吉兄弟に年上あつかいされて、気分が高揚した。
「黄蝶お姉ちゃんに……まかせるのです……天摩忍法……風谺!!」
黄蝶の前で小さな空気の渦が発生しはじめた。
その小旋風に伝言を話すと、渦巻きは出口と思しき洞穴に向かって飛んでいった。
「あれは……なんなのだ?」
「小さな……飛脚さんです……黄蝶の忍法では……この繭を外せないのです……だから……助けを呼んだのです……あとはお兄ちゃんにお願いするです……天摩忍法・涼風!」
光り輝く黄蝶から、涼しき癒しの風が蜘蛛糸の邪気を打ち払い、清涼の〈神気〉を松田半九郎に与えた。
半病人状態の半九郎の心身に活力がみなぎってくる。
「おお……元気が出てきたぞ……黄蝶……」
松田半九郎が両手に力を入れると、蜘蛛糸が伸び、引きちぎれそうだ。
傍らの黄蝶を振り向くと、顔面が蝋のように蒼白な肌色になり、瀕死の状態になっていた。
「おい……これ以上無理はよせ……黄蝶っ!」
「黄蝶は……お姉ちゃんだから……無理をするのです……最後の力を……振り絞るのです……」
可憐な黄蝶は神気を出しきり、癒しの風を半九郎に与え、気絶した。
蜘蛛糸にまた生気を奪われる前に、半九郎は繭から脱出して、魔糸をかきむしり、黄蝶を繭から出したて抱き上げた。
「くそっ……俺に少しでも神気法が使えれば……こんなことには……何が……寺田殿と試合ができれば……練丹法はどうでもいい、だ……それでも、武士か……男か……俺の大莫迦者めっ!!」
這いよる半透明の赤ちゃん土蜘蛛を踏み潰し、杉作と梅吉を繭から出す最中に、出口の洞穴から人間大の土蜘蛛が二匹やってきた。
世話係の兄蜘蛛か姉蜘蛛であろう。
繭から抜け出した四人を視認して、襲いかかってきた。
「でやあああああああっ!!」
グオオオオッ!
松田半九郎の上段斬りが、六尺級土蜘蛛を袈裟斬りにした。
打刀は秋芳尼の法力を与えられ、一両日だけ破邪の霊刀となっているのだ。
「妖魔ども……かかってこい……この子たちだけは……俺が身命を賭しても守り抜く!」




