たどれずの道
「歩いても、歩いても、青梅の宿場にたどりつけないというのですね……」
紅羽が菅笠をあげて旅早乙女たちを見やった。
日が暮れ出し、成木街道の横に生えた梅林が夕風でざわざわと揺れて不気味だ。
「あれま、きれいなお武家さま……」
「よく見ると女性のお侍さまですね……」
「やんだぁ……女芝居の男役みたいで素敵だべ!」
「んだ、んだぁ……」
怪現象に戸惑い、不安と絶望におちいった旅早乙女たちは、凛々しくも端正な顔立ちの男装剣士の登場に、安堵感と高揚感に包まれた。
「ふふふ……娘さんたち、この破れ笠侍・紅羽が来たからには、もう安心ですよ……キリリッ!」
「あんら、頼もしいぃぃ~~」
「素敵ぃぃぃぃ!!」
「地獄で仏ならぬ、紅羽さまだべぇ!」
旅早乙女たちの黄色い歓声に、紅羽が菅笠の破れ目から左目をのぞかせ、一指し指と親指でアゴをもちあげ、腰の刀に手を当てた。
「……さっき、破れ笠侍はカッコ悪いと言ってたのですけど……」
「……また、調子にのりおって……まあ、あいつは黙っておれば、凛々しい顔立ちじゃからのう……」
黄蝶と竜胆が白けた眼差しで破れ笠侍に視線をおくる。だが、半九郎はそれどころではない。
「しかし、ほんの一里ほどの道のりを、旅早乙女たちが半刻も迷うとは……狐狸のたぐいに騙されているのではないか、竜胆?」
「おそらくは、『たどれずの道』……原因は『迷わし神』でしょう……」
「たどれずの道? 迷わし神?」
「はい、人の正気を奪い、迷い歩かせる妖異です。『宇治拾遺物語』に京の左京職の役人で邦俊宣という者の話があります。
九条の御所にのぼる途中、寺戸という場所で迷わし神に憑かれてしまい、同じ場所をぐるぐると回って同じ場所に来てしまい、日が暮れてしまって、寺戸の西の茅葺き家で一夜を明かした話があります」
「そんな昔の話にある『迷わし神』とやらが、なぜ成木街道に?」
「京だけでなく、迷わし神は全国の町や村の境界に発生しやすい現象です。なぜかというと、町境、村境はこの世と異界との境でもあり、人を惑わせ、たぶらかせる妖異や怨霊が屯しやすいと言われているからです。しかも、青梅は妖怪がおおく集う地でもあります」
「なに、そうなのか?」
「はい、笑い地蔵、小豆婆、ムジナババ、おりん淵、雪女郎など……なぜか青梅は妖怪や怪現象の話が多いのです」
金剛寺のそばにある地蔵は、侍が脇を通ると、ゲラゲラと笑いだすという『笑い地蔵』
男井戸・女井戸に「小豆を洗おうか、人を食おうか……」と歌いながら、小豆の音をたてて現れた『小豆婆』
清宝院の東側の坂には醜い顔をした上半身だけの妖怪が出没したという『ムジナババア』
猫地蔵のある常保寺、その参道向かいにある多摩川に、不幸続きでのおりんという娘が身投げし、それ以来、深夜に川辺を歩くと「しくしく」と泣き声の聞こえる『おりん淵』
その傍らにあった橋には、貧しくて養えない赤ん坊を流したため、夜中に赤ん坊の声が聞こえるという『赤子橋』
勝沼山乗願寺の山門の大杉にはムササビのようにふわりと飛び、人を化かすのが得意で、鋭い爪と牙をもつ貂が化けた妖怪『テンマル』
青梅山中にある幅15mの大岩は、夜になると表面が柔らかくなり、藁でも突き刺すことができるという『こんにゃく岩』
某村で人妻に惚れてしまった僧侶が、寺の過去帳などを焼き捨て、その人妻と駆け落ちした。
数十年後の冬の日に、某村にその人妻が尼僧になって現れる『雪座頭』
樵の巳之吉が吹雪の日に訪れてきた女・お雪と結ばれるが、実は雪の精霊だったという『雪女郎』
また、小泉八雲の雪女の話は東北怪談と思われがちだが、実は八雲が雪女の原話を聞いた農夫・宗八の生まれた地は、武蔵国調布村で、青梅市南部多摩川沿いの調布橋近辺だといわれている。
江戸時代の日本は今よりも気温が低く、雪が四尺(120cm)もつもる豪雪地帯であった。
「そうだったのか……しかし、ここで一夜を明かすつもりはないぞ。宿に入って、早く休んで、朝早く出立せねばならぬのに……どうにかならんのか?」
「では、私が怪異払いの儀式を……」
「ふふふふふ……この程度の『迷わし神』なぞ、この破れ笠侍・紅羽にまかせなさい。キリリッ!」




