裸足の早乙女たち
「それにしても、新元号となって、一ヶ月半にもなったけど、まだ実感がないなあ……」
「そうですねえ……物心ついたときから安永だったので、天明というのがどうも、しっくりこないのですぅ……」
「まあ、元号なんて、九年から十年で変わるしなあ……やっと、慣れた頃にはおさらばよ」
「なんだか切ないのですぅ……」
紅羽と黄蝶がしみじみと目を細めて、青空を見上げる。
快晴で田植え日和であった。
彼女達は紺絣の単衣を着て、赤いタスキして、白い手ぬぐいを被って、新しい菅笠をつけていた。
田圃に裸足で入り、苗を植えていく『早乙女』の仕事中だ。
『植女』ともいう。
田植えは、豊作を祈る祭の日でもあり、早乙女は田の神に奉仕する「聖なる乙女」のことであった。
田の神は地方によって違うようだが、早男という男の神であるからという説がある。
また、豊受媛神などの女神もあり、柳田國男は、稲の霊を祭った古代の巫女が田の神と融和して、女神と考えられるようになったのではないかと言及している。
ともかく、古来より田植えに女性の労働が重視されている。
男尊女卑の時代ではあるが、早乙女は優遇された存在で、賃金も男性と同等であった。
これは田植えが神事であり、稲の豊作は女性がもつ霊的な力によってなされるという考えがあったためである。
「何をいっておる、紅羽に黄蝶! あと少しだぞ、頑張らぬか……」
前にいる竜胆が紅羽と黄蝶を叱咤した。
真面目で几帳面な竜胆には適任の仕事かもしれない。
鳳空院の天摩流くノ一の紅羽と竜胆、黄蝶たちは早乙女となって吾作の田植えを手伝っていた。
吾作の妻と娘を「ウチサオトメ」と呼び、紅羽たち出稼ぎ勢を「旅早乙女」といった。
田植え時期の旅早乙女は昔から多く、田植え時期のずれを利用して、地方間では早乙女を取り持つソウトメ廻し、ソウトメ宿という仲介業者もあった。
「ふぃ~~~~……なんか腰が痛くなったあ……」
「ぷぷぷ……紅羽ちゃん、お年寄りみたいな事いっているのですぅ……」
腰をトントンと叩く紅羽に、黄蝶が笑みを浮かべた。
「黄蝶、そこの苗株が目印と違う位置に植えているぞ、もっと丁寧に植えぬか。
紅羽も油を売ってないで、早くすませぬか」
「ぴえっ! うっかりしていたのですぅ……」
「田植えは丁寧に素早くじゃ」
「うっく……厳しいなあ……鬼師匠は……」
「口を動かすなら手も動かずのじゃ!」
「わかったよ……景気づけに田植唄でも歌いますか……ヤ~~ノ!」
〽今日の~~田~~のえ~~田主~~の~~
紅羽に合わせ、二人も歌いだす。
この頃の田植えはすべて手植えであり、農民一家総出で朝早くから夕暮れまで行っている。
吾作の田圃は人手が足りず、近所の紅羽たちが田植えの助っ人に加わったのだ。
田植えは苗代田の苗をワラで束ね、『がこじ』という目の荒い苗籠に入れ、天秤棒かついで本田に運びこむ。
吾作の田圃では『正条植え』をおこなっていた。
四尺八寸(145cm)の寸法竿を畔におき、そして、田圃に〈田植え綱〉を何本か張った。
この綱には六寸(約18cm)から7寸(約21cm)の間隔で、朱線の目印があり、それを目安に後ずさりで二株ずつ、まっすぐに植えていった。
ちなみにこの田植え法は江戸時代に発明されたといわれている。
それにしても、なんでまたこんな面倒な植え方をするかというと、植え方が曲がったりすると、日当たりが悪くなり、草取りや稲刈りなどの後の作業で苦労するからだ。
農業の日々の多くは管理業である。
とにかく、まっすぐ植える事が肝心であった。
「いやあ~~~… 鳳空院の娘さんたちの手伝いで助かっただよ……ほれ、これで一幅してくんな……」
田主の吾作が声をかけて休憩となった。家から着飾った吾作の若い妻女と幼い娘が籠に食事をいれてやってきた。
「お疲れさまです。これをどうぞ……」
彼女たちは『オナリ』または『ヒルマモチ』と呼ばれ、田植えの日に働く農民が食べる食事を『田植え飯』といった。
田の神とともに食べる神聖な食べ物であり、御飯を炊くときも年神にお供えした割木を束にしてまとめた年木を使用する。
「おおっ、ありがとう吾作さん」
「いただきますのじゃ……」
「おいひいのですぅ!」
変哲のないお結びであるが、年木を使って炊いたので、神聖な気分となるのが不思議だ。
食事と雑談で一服し、ふたたび田植えの残り作業をする。
三女忍が田圃に足をいれた。
そこへ、タンポポの花の蜜を集めていたクマンバチが飛んできた。紅羽は思わず首を引っ込めて避ける。
が、泥田に足を取られてひっくり返りそうになった。
「わっ……とっとっとっ……」
紅羽は手近にいた竜胆の左手を取る。
だが、竜胆もバランスが崩れ、よろけてしまう。
黄蝶の帯をつかんだが、こちらもよろける。
「きゃあああああっ!!」
三人の声が重なり、泥飛沫をあげて泥田にひっくりかえってしまった。
「ううう……泥もしたたるいい女になっちゃった……」
「それをいうなら、水もしたたるじゃ……」
「あっちの小川で泥をすすぐのですぅ……」
三人はすでに植えた田圃の脇にある繁みの奥にある小川で赤いタスキを外し、紺の単衣を脱いで、生まれたままの姿となって、小川の清流に身を沈めて泥をぬぐった。
ついでに、単衣についた泥もすすぐ。
「まったく、紅羽のお陰で酷い目にあったのじゃ……」
「そうなのです……この服は借り物なのですぅ……」
「てへ、ごめんごめん……」
「お主、たいして悪いと思っておらぬじゃろ!」
「いやいや……そんな事はないって……それより、竜胆の刀創はどう?」
紅羽が竜胆の背中に廻った。
杉田玄白の西洋式縫合術と秋芳尼の治癒法術のお陰で、刀創の赤味も消えかかっていた。
「うむ……杉田先生も回復がはやいと驚いていた……秋芳尼様の施術の賜物よのう……」
「よかったよ、元の綺麗な白肌になりそうで……」
「な、なんじゃお主……」
いつになく、しんみりした面持ちの紅羽に、竜胆は戸惑った。
人一倍、かばってくれは竜胆に負い目と心配を抱えていたのである。
その時、灌木の茂みがザワザワと動き、男の声がした。




