闇空
もう時刻は深更におよんでいた。
「くそっ……斬られた左腕が……くっつかん……」
闇空を舞う雷音寺は斬られた左腕を切断面にあてるが、いつもの再生能力は働かなかった。
寺田の降魔の神気が再生妖術を封じたのだ。
(その腕はあきらめよ……傷口の上からまた斬り落とせ……)
「うむっ……」
雷音寺は痛みにしかめ面となり、二寸ばかり先の腕肉を骨ごと断った。
苦鳴と血飛沫があがる。そして、赤い切断面から新たな腕が生えてきた。
「おのれぇぇ……最後の贄のはずが、あれほどの遣い手であったとは……」
(今日はもう十分に血を啜った……新しい塒を探せ……雷音寺。捕り手たちの裏をかいて、北東に向え……)
「しかし……あと少しでお前を復活できるものを……」
雷音寺獅子丸――本名・高橋権左右衛門は鳥取藩池田家の中老の嫡男であり、幼少より腕白盛りの乱暴者であり、両親兄弟親族も彼をもてあましていた。
彼の父は勘定方から頭角をあらわして中老にまで登りつめた人物で、「出世するには剣術よりも算勘である」と公言し、息子にも算術を強要し、勘定方につかせる心算であった。
したが、権左右衛門は算術よりも剣術好き、もって生まれた嗜好の性質である。
十四歳のときに父に算術にも励むからと、藩の御留流・東軍流剣術道場へ通うことを願い出た。
そして彼はきびしい剣術稽古に根をあげるどころか、嬉々として励んだ。
十九歳で東軍流目録をいただき、道場でも指折りの剣士となった。
道場の好敵手や仲間たちが金を出し合い、祝いの品に印籠を送ってくれた。
高橋家の家紋である三つ違い鍬形の蒔絵がほどこされたものだ。
意気揚々と彼は、父に本目録をみせた。
が、彼はいっさい誉めなかった。
それよりも、算術のほうはさっぱりと身につけなかったことを叱責した。
気がふさぎ込んだ高橋権左衛門は酒色におぼれ、果ては城下町の飲み屋で刃傷沙汰を起こした。
国家老の息子といえども勘当され、国元には足を向けることを禁じられた。
しかし、彼は禄を失った悲壮よりも、初めての自由に歓喜した。
諸国をめぐり、代稽古で金を稼ぎ、時には博徒の用心棒や荒事もして糊口をしのぎ、好きな剣術に邁進した。
雷音寺獅子丸と名を変えたのは、主家への迷惑を考えたのではなく、箔を付けるためだ。
いつの間にか弟分もでき、道場破りで悪名を馳せた。
彼にとって、剣術こそがすべてであり、一番の剣客になることこそが生涯の夢であった。
そのために、手段を選ばなかったことが、魔道にまで堕ちた要因でもあった……
――過去をすべて捨て去ったが、あの時、道場仲間から送られた印籠だけは手放さんだ……
雷音寺が無意識に腰を探ったが、印籠はなかった。
記憶をたどり、亡霊屋敷の蔵の中で潜んでいた長櫃の中に忘れたことを思い出す。
捕り手たちの持つ提灯の群れが南西に向かっていることを確認し、亡霊屋敷へ翼手を翻した。
(どうした? 雷音寺)
「なに、忘れ物だ……」
古道具屋に売っても大した値にもならぬ品。
別に捨て置いても良いと理性が囁く。
が、まったく不合理なことに、なぜか体が印籠の感触を欲していたのだ。
武士がいつも腰に差す大小が重いと愚痴りながらも、ないと具合が悪いかのように……
一方、亡霊屋敷の蔵の中に紅羽と黄蝶がいた。
大隅屋から借りた提灯で真っ暗な室内を照らす。
「なにか雷音寺の落し物はないですかねえ……」
「こう暗くちゃ、わかりずらいな……天摩忍法『狐火』!」
紅羽が右掌を上げ、赤い神気を集め、空中に狐火を点した。
「ひゃあぁぁぁ……まぶしいのです! 人魂がでたのですぅ!!」
「あたしの神気を燃やしたんだよ。さあ、なにか雷音寺の忘れ物がないか、探そう……」
蔵の中が昼間のように明るくなった。室内にはガラクタと蜘蛛の巣しか見えない。
「そうですね……あったら、秋芳尼様に赤目の辻斬りを探してもらうです」
秋芳尼は手に触れた物体の残留思念を読み取り、浄玻璃鏡という法具で映像化することができるのだ。
これを「天摩流法術・浄天眼」という、現代でいうとサイコメトラー能力であろう。
長櫃のそばに酒徳利と屋台で手に入れた寿司やてんぷらの堤がみえた。
まだ魔物に成りきっていない雷音寺は人間の食糧を欲す。
やがて、人の生気や生き血、肉を喰らうようになる……
「あっ、長櫃の中に真新しい印籠があったのですっ!」
「きっと、雷音寺のものだ! でかしたぞ、黄蝶!!」
紅羽が黄蝶の頭を撫でて、蔵を出る。そこに提灯を持った人影とばったりと出くわした。
「わあああっ!!」
「びっくりした……松田の旦那じゃないの……」
「それはこちらの言葉だ……何か雷音寺の手がかりがないかと来てみたが……」
松田半九郎は夜も更けたことだし、町奉行の他の同心たちと捜索を交代することになった。
徹夜しても捜索に加わると申し出たが、却下された。
岸田と坂口にたしなめられ、引きさがったが、南茅場町にある牧野豊前守屋敷の長屋に帰る気にはなれない。
帰るふりをして、蔵の中に手がかりはないかと思いつき、ここに至ったのだ。
「なるほど……秋芳尼殿はそんな法術を遣えるのか……」
「今度こそ、あたしの炎術で斃してやる……でも、雷音寺を見つけても、奴の縮地の術を破らないことには躱されちゃう……」
「縮地の術か……一刀流の技に夢想剣というのがある……それならばあるいは……」
『夢想剣』……あるいは『無想剣』……それは、一刀流開祖・伊藤一刀斎が、新しい剣技を生み出そうと、鎌倉の鶴岡八幡宮に参籠し、満願の夜になった。
だが、何も神からのお告げも、天からの啓示もない。
肩を落とし、神前から去る。そのとき、背後から殺気が吹きつけ、かすかな足音がした。
一刀斎は、振り向きざまに、刀を抜き打ち、刺客を斬り倒した。
なにも思案せずに無意識にふるった一刀、それこそが『無想の偈なるべし』と、彼はのちに話した。
神仏の啓示や奇瑞に頼らない、理業(理合と術技)の剣こそが、伊藤一刀斎の完成させた、一刀流なのである。
「えっ! 旦那はその技を遣えるの?」
「さすが、松田のお兄ちゃんは一刀流の免許皆伝なのですぅ!」
紅羽と黄蝶が希望の目で輝き、やんやと囃したてる。
「いや……それが……俺はまだ……成功したことはない……」
カクンと頭を垂れる半九郎に、紅羽と黄蝶もガックリする。
そのとき、三人は急に寒気がする魔風を感じ、暗天の一角を見上げた。
「ここにいたか……松田半九郎……そして、妖怪退治人ども……」
三人の頭上から羽ばたき音と不気味な声が聞こえた。




