妖怪奇奇怪怪
一方そのころ、竜胆と黄蝶の二人連れは、おるいが女中奉公していた日本橋の蝋燭問屋・大黒堂で事情聴収をした。
さらに二人はおるいの住んでいた長屋を聞き、本所入江町にある源兵衛店の裏長屋で両親に逢う。
父親は飾り職人で、母親は縫い物をして家計を助けているという、貧しいながらも実直に生きる町人だった。
かわいい娘が行方不明になり、悲嘆にくれ、泣き腫らす両親をなだめ、さらわれる前に怪しい前触れはなかったか尋ねる。
「いえ……別にそんな気振りはなかったと思うねえ……あんたは何か気づいたかい?」
「はて……なかったと思うけどねえ……」
とくにそんな気配はなかったという。
奉公先でも同じようなものだった。収穫はなく、とぼとぼと帰る二人。
通りがかる人々は赤い袴の巫女と黄八丈の町娘が連れだって歩くのを不思議に思った。
が、それよりもやけに綺麗な巫女と可愛い町娘だったな……ということに気をとられて通り過ぎる。
「う~~む……これは前々からおるいを狙っていた妖怪の仕業ではないようじゃな……行きずりにおるいを見初めた怪異が、何かの目的でさらったようじゃ……って、黄蝶! お前まで泣くなでない……」
「だって、だって……おるいちゃんのおっかさんも、おとっつあんも仕事を休んで探し回ったけど見つからなくて、泣き腫らしているのですぅ……可愛そうじゃないですか……しくしく……」
「う、うむ……だが、忍びに情けは禁物だぞ!」
「ぐすん、ぐすん……だってぇぇぇ……」
竜胆がしかるが、心優しい黄蝶はぐずってしまう。
「む、むぅぅぅ……我らがそのおるいとやらを探し出せばよいのだ。だから泣くな、黄蝶……」
「ぐす……そうですね……竜胆ちゃん……」
巫女姿の竜胆が小柄な黄蝶を抱き寄せ、頭をなでてなぐさめた。
紅羽には遠慮せず怒鳴りつけるが、年下の黄蝶には甘いところがある。
本所のおるいの住んでいた長屋から浅草橋を渡り、谷中の鳳空院にもどって紅羽と秋芳尼に合流すべく歩く。
とちゅう、大きな隅田川が見えた。
土手の道をあるくと夕焼け空が赤くそまっている。
(一日を無駄にしたのじゃ……むっ、そういえば、隅田川沿いでおるいは誘拐されたのだったな……)
竜胆がハッと気がつくともう日が沈みかけていた。
そういえば、おるいが化け物に襲われたのも夕暮れ時――逢魔が時だ……
土手に等間隔に植えられた柳が、夕風でさわさわ揺れている。昼間は小春日和で温かかったが、冷え込んできた。
「むっ……生臭い匂いがしてきたな……もしや……」
「なになに……竜胆ちゃん!」
「怪異が出現する前触れには生臭い匂いや生温かい風、もしくは冷気がもよおすという……」
竜胆が立ち止まり所持していた薙刀袋の紐をほどく。
黄蝶が鼻紙で洟をかんで匂いを嗅ぐ。
「えっ? くんくん……ほんとだ。なにかお魚が腐ったような匂いがしてきたですぅ……」
「妖怪変化め……おるいだけでなく、私たちまで襲う気のようじゃ……おもしろいではないか……」
「えぇぇぇ……黄蝶たちまで襲う気ですかぁ?」
竜胆が薙刀を八相に構えて周囲の柳、土手下をうかがう。
黄蝶が震えて竜胆にしがみつく。
「黄蝶……震えてないで、お前も武器をだせ……お前もくノ一だろうが」
「はっ! そうだったのですぅ……」
黄蝶は赤い帯に隠しもった金属の輪をふたつ取りだし、両手に交差させて構えた。
直径一尺(約30センチ)くらいで、握り手以外は円形の刃だ。
これは天竺のシーク教徒が使用していたという“チャクラム”を元に製作した忍びの暗器だ。
飛輪、戦輪ともいう。
「柳の下には二匹のドジョウはいないというが……莫迦な妖怪め、三枚におろしてくれるのじゃ……」
くくくく……と、竜胆の切り揃えた前髪の下に影をつくって、目を爛々と輝かせる。
「こ……怖いですぅ……竜胆ちゃん。物騒な目つきですぅ……」
黄蝶の首筋が冷えてぶるっと震えた。
その背後から黒い紐のようなものが二筋、矢のごとく伸びて近寄った。
「ぴえええええええっ!」
黄蝶が体に黒紐の触手を巻きつけられ、空中に持ち上げられた。
黄八丈の着物がめくれ、健康的な太腿があらわになる。
「おのれ、妖怪変化め!」
竜胆が薙刀の柄をグルッと回転させ、黄蝶を捕えた黒触手を叩き斬る。
「ひゃん!」
黄蝶が落下したが、猫のように空中を一回転させて着地。
竜胆が黒触手の伸びた先を見ると、枝垂れ柳に溶け込むような丸い黒影。
一丈(約3メートル)もある毛むくじゃらの糸玉のようだ。
「……おのれ……手向かいを……いたすか……」
黒影が奈落の底からしぼり出すような不気味な声をあげた。
「柳の下には幽霊がでるものだが、女子好きの妖怪とは無粋きわまるのじゃ……」
「ぐおおおおおお……おのれコシャクな奴め……だが、美しい髪をしておる……それが……欲しい………」
「女の髪が目的か? それと、さらったおるいは何処だっ!」
「……やかましい……いま……捕えて……くれる……」
妖怪が竜胆を捕えんと六筋の黒触手をくり出した。
が、電瞬の速さで閃いた薙刀の刃がすべて斬りすてる。
あたりに黒い糸が散乱したが、よく見ると髪の毛だ。
「ぎゃあぁぁぁ……髪が……髪が……おのれ……おのれぇぇぇ……」
巨大な毛玉がぐちゃ、ぐちゃ……と水音をたててゆっくりと後ずさった。
どうやら隅田川を泳いで移動してきたようだ。
「水で濡れているようじゃな……ちょうどいい!」
竜胆が薙刀を油断なく構えたまま、臍下丹田に気を集める。
蒼い神気が湧きたち、薙刀の刀身も青白く輝きだした。
「……むむむ……なにか……法術でも……つかうか?」
「いいや、神気術忍法じゃ……天摩流氷術・花冷!」
薙刀を斜めに振った斬撃にのって、冷気が白い雪狼となって妖怪に放たれた。氷の結晶がキラキラと舞い踊る。
「ぐわあああああああっ!」
毛玉妖怪の表面に霜が生じ、身動きが止まる。
竜胆が毛玉の怪異に薙刀で止刺の一撃をくりだすべく、気を集めはじめた。
だが、妖怪は下部から白い霧を噴射!
「うぐぅぅぅぅぅぅ……」
突然のことで竜胆は急いで鼻と口を押さえたが、少し邪気を吸ってしまう。
これは魚屋の辰蔵たちを病気にした邪気だ。
「竜胆ちゃん、大丈夫ですか!!」
黄蝶が巫女忍者にとりすがる。
美貌が見る影もなくやつれはてていた。
「……おのれ……口惜しや…………」
憎まれ口を残し、半分凍った黒髪妖怪は土手から河岸へのがれ、ザブンと水音をたてて隅田川へ消えた。
「ま……待つのじゃ……」
蒼褪めて倒れこむ竜胆を黄蝶がささえた。
「竜胆ちゃ~~ん!!」