消えた宿場町
赤い夕暮れが甍を染める宿場町。
ここは草加宿で、奥州街道や日光街道を旅した旅人たちが江戸を眼の前に足を休める旅籠が軒を連ねている。
三度笠をかぶり、振り分け荷物を肩にしょった三十代の旅商人が、夕暮れのせまる宿場町にたどりついた。
「ふぅぅ~~~、やっと旅籠についた。久しぶりに江戸の長屋に帰る前に、ここで足を延ばして休ませてもらうか……」
丸顔の旅商人は定宿にしている田島屋に向かった。
この時間ともなれば、旅人と旅籠の者、伝馬人足、土産売り、名物の草加せんべい売りなどでごった返すはずなのに、誰もいない。
犬の子一匹通らないのが異様でもあった。
「はて……村祭りでもあって、そっちにいったのかな?」
旅商人は田島屋の前に立ち、人を呼ぶ。
「もうし……誰かいなさらんかね!!」
だが、返事が無い。
しかし、旅籠の奥から飯を焚いたり、煮物の鍋を煮たりする匂いがして、腹の虫が鳴く。
馴染みの旅籠の気安さから、上り框に腰をおろし、手桶で足を洗って、中に入る。
帳場には、大福帳や金が出しっぱなしだ。
「やれやれ……不用心だなぁ……お~~い、御主人! 番頭さん!! 誰かいないかね?」
大声で人を呼んで探すが、誰も見つからない。
台所には飯炊きの女中がいるだろうと、いい匂いのする釜戸へいって、顔をのぞかせる。
だが、ここも人っ子ひとりいなかった。しかし、釜戸の炊飯釜や鍋汁はぐつぐつと煮込まれている。
「はて……女中さんも、板前さんもいないとは……」
不安になった旅商人は旅籠内のあちこちを探し回った。
旅人を止める部屋のフスマを開けると、箱膳が五つならんでいて、手つかずの食事があり、茶碗のご飯やみそ汁からは湯気がたっている。
さきほどまで、人がいたかのようだ。
しかし人の気配は感じられない。
「誰もいない……だが、今までそこに人がいたような……いったいどうなっているんだ!?」
丸顔の旅商人が血の気がひいて蒼白となる。
旅商人は、妖怪の棲家にでもまぎれこんだかと思い、ぞっと首筋が総毛立つ。
嗚呼……これはまるで、1872年にポルトガル沖でおきたメアリー・セレスト号事件のようではないか。
それは、漂流中のメアリー・セレスト号が他の船舶に発見されたが、船内にいるはずの十名の乗員はどこにもいなかったという、摩訶不思議な消失事件である。
夕闇が迫りつつあり、窓から外を見回しても、提灯や灯明をつける者もおらず、旅籠はしだいに暗くなりつつあった。
「これは魔物のしわざに違いない……逃げねば手前も消されてしまうのでは……」
まるで人外の魔界にさまよいこんでしまったようで、ガクガクと震えだした。
逃げようと思ってはいても足に根が生えたように動かない。
「どうやら、手遅れだったようだな……」
ふいに人の声……若い娘の声がした。
宿屋の入り口からのようである。旅商人は藁にもすがるように、声がしたほうに駆けだした。
「誰か……誰かいるのか!!」
旅商人が旅籠の表口にでると、そこに人がいた。
若侍姿に長い髪をうしろで朱色の丸打ち紐でくくった、現代でいうポニーテールというべき総髪をした、美貌の侍であった。
生気にあふれた気をはなち、人間の世界に舞い戻ったかのような安心さがある。
男の身形をしているが、十五、六歳くらいの若い娘のようだ。
「良かったぁ……人がいた……手前はてっきり、魔物の国にでも迷い込んだかと思いましたよ……」
「おっ……無事な人もいたのか……」
「はい、手前は打ち紐の売り子で久兵衛と申します……」
そういって、背中にしょった小包をあけ、
「組紐の見本なんぞをもちまして、日本諸国津々浦々、注文をとって生計をえているしだいでして……組紐は見た目の綺麗で、刀剣・仏具の飾りはむろん、女性の帯締めにも丈夫でぴったり……あなたの髪を結んでらっしゃる丸打ち紐も、組紐ですよ……でも、さいきんは糸の相場も値があがって、売り子もたいへんでして……」
久兵衛はしゃべる相手が現れてほっとし、饒舌になることで本来の自分の調子を取り戻そうとする。
侍の姿をした美少女がぺちゃぺちゃとおしゃべりをする久兵衛に近づき、くんくんと匂いを嗅いだり、じろじろと眺めていた。
「ふ~~ん……あたしは紅羽という……」
若い娘に匂いを嗅がれて、男は恥ずかしげに、
「あの……道中行脚で汗をかきましたが、匂いますかな?」
「いや、匂わないなあ……妖気」
「えっ……妖気ですって?」
組紐売りの久兵衛がギョッとして眼をむいた。
「いや、あなたが妖怪か狐狸の類いかと思って調べてみたけど、人間だったよ」
「ありゃまっ……これはひどい……手前が狐狸妖怪の仲間とは……たしかに手前は久兵衛だが、昔話の『たのきゅう』とは違いますよ!」
ひどい云われようだが、さきほどの孤独の恐怖に比べ、しゃべる相手がいるのは精神的余裕がでる。
それに美貌の娘が近くにいるので、安心して冗談も自然とすべりだす。
「生存者がおったのか……」
また声がした。
戸口から長い黒髪を背中に垂らした美麗なる巫女があらわれる。
神秘的で切れ長の瞳、額の前髪を切りそろえた目刺し髪、横髪をアゴのあたりで切りそろえた鬢削ぎで、侍娘と同じくらいの年恰好だ。
「おお……竜胆か……何かわかったか?」
「いや……残留妖気も少ないようじゃ……」
「今度は巫女さん……歩き巫女さんですかい?」
「歩き巫女ではなく、摩利支天様に仕える巫女じゃ……それより、よく助かったな、お主……」
「へっ!? 助かったとはどういうことです? 手前はいま、この旅籠についたばかりでして……」
「なるほど、それで、助かったのじゃな……もう少し早ければ、妖怪にこの宿場町の人々のように消されていたのじゃ……」
「ええええっ!! 消されたとか、妖怪とか……どうにもおだやかじゃない物言いですな!?」
久兵衛が両足を前に直角にあげて、ピョンと三尺高く飛びあがった。
そこへ、さらに甲高い声の娘の声がする。
「あっちの方に妖気を感じるのですぅ!!」
「なんじゃとぉ!!」
今度は小柄で元気な黄八丈の着物をきた十二、三歳くらいの町娘が出てきた。
長い髪を二つ結びにし、通常は下に垂らすお下げだが、結ぶ位置が耳の上であった。
現代のツインテールのような髪型をしていて、当時としては傾奇いた髪型である。
「今度は風変わりな髪型をした、めんこい町娘か……しかし、いったい、何を話しているんだ?」
「久兵衛さんとか言ったな……ここでじっと、待っていてくれ」
「へっ? 手前ひとりで?」
「そうじゃ……宿場町の者のように、神隠しになりたくなければ、じゃが……」
「えええっ!! 神隠し……この宿場町の人全員がですか? そんな途方もない話なんて聞いたこともない……」
久兵衛が宿屋をぐるりと一周して見廻すが、やはり人っ子ひとりいないようだ。
まるで資源を掘りつくしてゴーストタウン化した鉱山町のようである。
「こうしちゃいられない、追いかけなきゃ!!」
「散っ!!」
侍娘が号令をかけると、急につむじ風が巻き起こり、組紐売りの久兵衛が思わず眼をつむり、開いた瞬間には、三人の娘たちがは姿を消していた。
「やややややのやっ!! 今までここにいた、娘さんたちが消えてしまったァ……さびしいぃぃぃ~~置いてかないでぇぇ!!」
久兵衛は両手を交差して我が身を抱き、ぶるぶると震えあがった。
ここまで読んでくれてありがとうございます!
先が気になるなぁ……と思ったら、
下にある☆☆☆☆☆から、作品への応援お願いいたします。
面白かったら星5つ、そうでもなかったら星1つ、または、読んで思いついた感想など、気軽に書いてください。
できればブックマークもいただけるとうれしいです。
応援よろしくお願いいたします。