表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/6

第六章 あなたを守りたい

   第六章 あなたを守りたい


「壁?壁が、完成してから?」

「はい」

「それは、彼らがそう言ったんですか?壁が出来上がってから取引に応じる、と」

「はい」

「それはつまり、その・・・、壁が完成するまでは、取引には応じない、という事ですか?」

 ジュリエットは、一瞬何やら考えを巡らした。

「・・・はい、多分、そうだろうと思います・・・。すいません、ウチには、どっちでも同じように思えるんですけど・・・?」

「同じです。同じですよ。どっちでも同じ事です」

 そう答えながらも、僕は彼女の疑問の事など全く頭に無かった。冷静さを保つのに必死だったのだ。しかし、やがて、おかしな事に気付いた。

「ちょっと待って下さい。ジュリエットさんは、壁について、聞いているんですね?壁については、彼らが君に話したんですね?」

「はい」

「壁というのは、つまり、あの壁です。この街を取り囲むようにして建設中の・・・。ええ、あれです・・・。そうですか。じゃ、壁の事は、知ってるんですね。そうか・・・」

 奇妙だった。彼らは例のものについては彼女に何も教えていないのだ。少なくとも、何か教えていたとしても、それを僕には隠しておくよう彼女に指導しているのだ。しかし、壁についてはそうではない。つまり、彼らは壁の事を、初めから隠そうとはしていないのだ。あれは、秘密でも何でもないのだ。勿論、あんなものをいつまでもこっそり造り続ける事などできはしない。しかし、あれが「あからさまな」物だという事、あれを造る事は、「あからさまな」事だという事は、あらためて僕を驚かせた。いや、ほとんど戦慄させた。

「他に、壁については、何か聞いているんですか?」

「とりあえず、完成まではもう少し時間がかかるそうです」

「完成は、いつ頃になります?」

「さあ・・・、それははっきりとは・・・」

「来年の春、じゃないんですか?」

 ジュリエットは首を傾げた。

「春、ですか?いや、ウチはちょっとそこまでは聞いてないです。・・・ロミオ様は、どうして春までだと?」

「・・・いえ、まあ、何と無くです。ええ。それじゃ、いつ完成するか、というのは聞いてないんですね。春までに完成するかどうかは、わからない・・・」

「ウチは、はっきりとした事は言えないです。すいません。でも・・・」

「でも?」

「安心するように、とは言ってました」

「・・・え?アン・・・、アン、シン?」

「はい。壁を造っているところだから、とりあえず安心してもらっていいから、って。壁の事を伝えれば、ロミオ様も安心してくれるだろう、って」

 僕は言葉を失った。どうやら彼らは、僕を安心させるためにあの壁を造っているらしい・・・。

「あの、ロミオ様?」

「はい?」

 僕は、自分が発した声の頼り無さに思わず苦笑してしまった。ジュリエットも僕が意気消沈しているのを見て微笑んだ。

「すいません。いえ、そんな・・・、どうして落ち込まれているのかな、と思いまして」

「ジュリエットさんには、わからないでしょうね」

「はあ。あの、壁の事ですか?壁が、気に入らないんでしょうか」

「少なくとも僕には。誰だってそうだと思いますけど。閉じ込められて気持ちのいい人間なんて、いないでしょう?」

 ジュリエットは驚いて僕を見つめた。

「でも、あの壁は、ロミオ様を守るためのものですよ?」

「僕を守る?あの壁が?」

「はい」

「それは・・・、彼らがそう言ったの?そうなんだね?」

「ええ。はい」

 ジュリエットは頷いた。一瞬間をおいて、僕は質問した。

「守る、って・・・。守るって、誰から?どうして僕を守る必要がある?」

「それは・・・」

「僕の身に何か危険が迫ってるとでも?僕は誰かに狙われてるの?」

 そして、僕は自分の質問に自分で笑ってしまった。言うまでも無く、そんなはずは無いからだ。それこそまさしく誇大妄想だ。しかし、ジュリエットは真顔だった。

「それとも、あれかな?例のものが、危険だ、という事かな?僕にとって?あるいは、彼らにとって?」

「それは・・・、わかりません。ごめんなさい。私も、例のものにつきましては、何も知りませんので」

「それはわかってます。でも、じゃ、何で君は、僕を守る必要があると、そう考えるの?彼らの言葉をそのまま信じてるの?その根拠は?それを、教えてくれませんか」

 ジュリエットは、自分の考えを整理するように何度か軽く頷いた。

「それは、何と言うか・・・。真剣さです」

「真剣さ?」

「はい。すいません、うまく言えないんですけど・・・。でも、ロミオ様を守らなきゃいけない、っていうのは、『本当』なんです。だって、そうじゃなかったら、あんなに大きな壁を、実際に造ったりしないじゃないですか?ウチは・・・、正直、ウチも最初はびっくりしたんですけど、でも、よくわかったんです。ああ、これは、『本当』なんだな、って。だって、みんな、真剣なんです。ものすごく真剣に、ロミオ様の事、考えてて、それで、ロミオ様を守ろうとして、壁を造ってるんです。だから、ウチも信じてるんです。多分、『本当』はウチもロミオ様を守らなきゃならないんです」

「君が・・・、君も、僕を守る?」

 ジュリエットは何やら照れ臭そうに頷いた。

「はっきりとそうは言われてないですけど・・・。でも、そういう事だと思ってます。自分の仕事も、そういった仕事の一部だと」

 再び僕は、何か圧倒的なものの前に立たされているのを感じた。あまりにも巨大で、どこまでも曖昧な、捉えどころの無いもの。しかし、息苦しさを感じるほど、それは僕に接近してきている。いや、すでに、ほとんど僕は、それに捉えられているのかもしれない・・・。

「ジュリエットさん」

「はい?」

「すいません、もう一つ質問なんですけど」

「ええ、どうぞ」

「どうして、初めに、その壁の話をしなかったんです?僕を守るために壁を造っているという、その話を?それは、すごく大事な話じゃないですか。いや、君がそれについてどう思うか、とか、そういう事も勿論尊重はしますけど、やっぱりどう考えても、それは大事な事です。はい。とても重要な話だと、僕は思いますね」

「ああ、はい。すいません、あの、ウチも話そうとは思ってたんですけど、でも、まあ・・・」

「何です?」

「そんなのは、わかりきった事ですし」

「そうです、ジュリエットさん。そうですよ、わかりきった事です、ジュリエットさん・・・!」

 僕は興奮して声を荒げた。ジュリエットは驚いて僅かに身を引いた。

「わかりきった事、わかりきった事です。つまり、それが問題なんです。それこそが問題なんです。わかりますか?ああ、そう、それが『本当』に問題なんだ!『本当』に・・・」

 ジュリエットは小動物のような眼をさらに真丸くして僕を見つめていた。しかし、この時の僕は、一時的にではあったが、彼女に対する細心の配慮を欠いていた。

「僕らはこうして話をしている。それこそ、もう結構な時間になります。普通の人たちだったら、もう随分仲良しになってるかもしれない、それくらいの時間です。でも、僕らの話は、『わかりきった事』のまわりを、ぐるぐる回ってるばかりです。それも、『わかりきった』とは言いながら、僕らは全然わかってない。いや、わかってないです。全然。全然です。全然わかってないんです。僕も、君も。僕の『わかりきった』事を、君は全然理解してくれない。そして、君の『わかりきった』事は、僕にはわかるはずもない。君の話は、まるで途方も無い話だ。実際途方も無い。わかれ、と言う方が無理です。でも、これが、要するにこれが、彼らの狙いなんだ。それは、それは僕にもわかってますよ。いや、駄目です。そんな顔しても駄目です。僕にはわかってます。この手法、僕との交渉に用いている、君の、コーディネーターとしての、技術。君は、怖い人だ」

 一瞬、ジュリエットの怯えきった顔を見て、僕は躊躇した。しかし、それでも僕は言葉を続けた。

「怖い人だ。ジュリエット!僕は君が怖い。心底。『ロミオと話をする事』を自分の仕事だと考えながら、君には、僕と話をする気なんて無い。さらさら無いんだ。『言葉を通じ合わせない』という技術、そんな事が、自然と可能だなんて、ジュリエット、僕は驚くよ。もし君が彼らの仲間じゃなければ、尊敬する、と言いたいところだ。でも、そうは言わない。僕は、君を軽蔑する。僕を人間扱いしない君を、軽蔑する。勿論僕なんかに軽蔑されても、君にとっては痛くも痒くもないかもしれないし、僕にはそんな権利すら無いのかもしれない。おそらく無いんだろう。それでも僕は君を軽蔑する。軽蔑する、と、言おう。どう?信じる?僕の言葉を?」

 ジュリエットの眼に、涙が溜まっていった。この時の僕の気持ちを言い表す言葉を、残念ながら僕は持ち合わせていない。

「ごめんなさい・・・。あの、ウチは・・・」

「・・・僕が怖い?・・・僕を、軽蔑する?」

 可能な限りの優しさを込めて、本心からの優しさを込めて、僕は言った。すると、ジュリエットは言った。

「ウチはただ、ロミオ様がかわいそうで・・・。かわいそうなだけなんです・・・」

 溢れ返る憎悪を抑えきれず、僕は言った。

「その傲慢さ、僕を守りたいという、その傲慢さが、つまりは、君の、彼らの全てなんだ。そしてそれは、やっぱり嘘なんだ。僕にはわかってる。『わかりきった』事だ。でも、僕は騙されない。僕は、僕にはわかってる・・・」

「何が嘘なんです?ロミオ様?」

 声を押し殺し、ありとあらゆる無念さを込めて、僕は言った。

「全てが、全てが。ジュリエット、全てがだよ。例のものも、彼らも、君も、僕も」

 そして、僕は席を立った。不思議な事に、その後どんな風にアパートまで帰ったのか、僕は覚えていない。気が付くと、僕は自分の部屋のベッドに横になっていた。そして、一体何が悲しいのか、いつまでも泣いていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ