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第二章 コーディネーター

   第二章 コーディネーター


 僕は、その後再び彼らと連絡を取ろうと思った訳だが、正直、彼らとどのように接したらよいかわからなかった。実際には、この時すでに僕は不信にとりつかれていた。疑問を持つどころではなく、全く彼らを信じていなかったのだ。そんな相手とコンタクトを取るのは、言うまでもなく危険な事だ。最低限の信頼関係がなければ、どんなコミュニケーションも成立しない。僕は、丁度姿の見えない誘拐犯と連絡を取り合うような気持で、彼らと対峙していた。

 まず僕は、以前と同じような調子で、つまり、あくまで下手に出て、とにかくどうか早く例のものを受け取って欲しいとお願いした。しかし、結果としては、彼らの返事も以前と全く同じものだった。

 そこで、次に僕は少し高圧的に出てみた。現状が、前もって自分が予想していた状況とは明らかに異なる事、彼らにも色々事情はあるにしても、少なくとも僕の方には何の非も無い事、そして、僕が預かっているものの重大さを鑑みた時、これ以上あれを僕の手元に置いておくのは、どう考えても僕には荷が勝ち過ぎる事などを、控え目な、少し生真面目過ぎるくらいの文面で、しかし明らかな苛立ちを込めて、彼らに伝えた。すると、彼らの返答はガラリと変わった。もっとも、僕の見たところでは、それは決して僕の気持ちに配慮したためなどではなかった。単純に、極めて実際的に、彼らは手法を、僕と対峙するスタンスを変更したのだ。どうやら彼らは、少し僕を見縊っていた事を反省したらしかった。しかし、それでも僕を対等の相手として認めたりはしていないのだった。僕にはそれがはっきりとわかった。

 しかし、ともかく彼らは、今までの経過における手際の悪さについて謝罪してきた。そして、結果として僕と彼らとの関係が悪化した事について、「大変遺憾である」と述べた。次に、彼らは僕に対して、僕らの関係修復のために、次のような提案をしてきた。

「残念ながら、どうやら私どもの間に生じてしまったらしい若干の誤解を解くために、コーディネーターを派遣させて頂こうと考えております。おそらく今までのように、私どもがこのような形でロミオ様と連絡を取り合うよりも、間にコーディネーターを介し、ロミオ様にも直接コーディネーターと会って頂いた方が、より円滑に話を進め、様々な誤解を調整する事も可能であり、双方にとって有益であると考えます。実際にコーディネーターを派遣するまでには、もう少しお時間を頂く事になりますが、派遣された際には必ずやロミオ様にもご満足頂ける事と存じます・・・」

 コーディネーター・・・。僕には、僕と彼らとの関係が、特別の調整役を必要とするほど錯綜したものであるとはとても考えられなかった。しかし、ともかく「誰か」が来るのだ。コーディネーターであれ何であれ、何者かが僕のもとに派遣されてくる。これが前進なのか後退なのか、その時の僕にはまだわからなかった。しかし、いずれにせよ、とりあえずまたしても保留なのだ。僕は待たねばならない。そして、待つ限りは信じなければならないのだ。どれほど彼らが信用の置けない連中であっても。

 しかしながら、僕の信頼はまたしても裏切られた。いつまで待ってもコーディネーターからの連絡など入らなかった。ますます彼らに対する不信を募らせながら、それでも僕はひたすらに待ち続けた。やがて、耐え難い保留に再び音を上げかけた頃、ようやく彼らから連絡が入り、僕は駅前のカフェに呼び出された。そこでコーディネーターと落ち合ってくれというのだ。

 僕には断る理由など無かった。しかし、改めてじっくり考えてみると、なぜコーディネーターなんぞと会わねばならないのか、その理由もわからなかった。僕が望んでいるのは、一刻も早く例のものを彼らに渡し、例のものからも彼らからも解放される事だった。そして、あの壁の建設を止めさせる事だった。壁の建設は、必ずや阻止せねばならなかった。しかし、そのためにはコーディネーターと会う事が果たして必要なのだろうか?これでは結局彼らの思うつぼではないだろうか?しかし、とにかく今の僕には他に手立てが無かった。彼らの提案に従い、コーディネーターと会う他無かった。

 陽も傾きかけた昼下がり、約束の時間に間に合うように、僕はアパートを出た。駅に向かう途中、あのT字路に差し掛かると、灰色の壁が見えた。壁は、今では僕の背丈ほどの高さになっていた。

 カフェは思いの外混んでいた。彼らからは、コーディネーターに全て任せてある、と聞いていただけで、何の打ち合わせもしていなければ、コーディネーターの人物についても何も聞いていなかったので、僕には誰がコーディネーターなのかさっぱりわからなかった。しかし、とりあえずどこか席に着いて待っていれば、声をかけてくるだろう。そう考えながら、僕はカウンターで注文した。

「ブレンド」

 僕が注文すると同時に、背後で甲高い声が響いた。

「ロミオ様」

 誰でも小学生の時などに、一度や二度はこんな経験をした事があるだろう。つい今まで騒々しく教室中皆で騒いでいたのに、自分が声を発したその瞬間、なぜか偶然にも教室全体が静まり返ったため、自分の声だけが音高く響き渡った、というような、そんな経験を。丁度この時もそれと同じ状況だった。どういう訳か、一瞬、まるで全員で示し合わせたようにカフェ全体が静まり返ったため、「ロミオ様」がカフェ中に響き渡ったのだ。

 振り返ると、そこに立っていたのは、スーツ姿の一人の女性、というよりも、女の子だった。

「ロミオ様、ロミオ様ですよね?」

 僕は、ああ、はい、などとしどろもどろになって答えていた。言うまでもない事だが、僕と彼女はカフェ中の視線を集めていた。しかし、彼女はそんな事などまるで意に介さず早口に話し続けた。

「ああ、よかった!わからなかったらどうしようかと思って・・・。あ、こっちに席取ってあります。ウチ・・・、ワタクシ、この駅とか来るの始めてでして、遅刻しそう、とか思ったんですけど。なんとかギリで間に合って・・・」

 おそらく、僕は間抜けに口を開けていた事だろう。僕はこの時若干気が転倒していたのでいまいち記憶がはっきりしないのだが、どうやら大人しく彼女についていったらしい。気が付くと、僕は彼女の向かいに腰かけ、とりあえずブレンドを啜っていた。彼女は目当ての資料が見付からないのか、一生懸命にファイルを捲っていた。

 そのまま僕はしばらく待っていたのだが、なかなか彼女の資料が見付からないようなので、意を決して自分から話しかけた。

「えーと、あの・・・、失礼ですが、あなたが、コーディネーターの方ですか?その、彼らから派遣された?」

「え?ああ、はい、そうでございますが・・・」

 彼女は資料探しの手を休めずに答えた。

「証明は、可能ですか?」

 一瞬、彼女はハッとしたような表情をすると、手を止めて僕の方を見つめ、

「大変失礼いたしました。申し遅れました、ワタクシ、ジュリエットと申します」

 と言った。

 なるほど、このような形での自己証明は、確かによく考えられたものだった。つまり、「ジュリエット」と名乗り出る事によって、彼女は自分が彼らに派遣された者である事をいとも簡単に証明して見せたのだ。僕は、ロミオと呼ばれている。つまり、彼らに、今僕が取引の相手としている相手には、ロミオという名で通用しているのだ。見たところ、せいぜいついこの間大学を卒業したくらいにしか見えないこの日本人の女の子が、本当に「ジュリエット」である、というのは、勿論考えずらい(というかあり得ない)。彼女は彼らに、この名前でコーディネーターとして活動するよう指示されたのだろう。言うまでもなく、「ジュリエット」という名前を選んだのは僕が「ロミオ」だからだ。

 僕が相手を認めた合図に軽く頷いてみせると、彼女はいかにも嬉しそうに微笑んだ。彼女の眼は輝いていた。これは誇張などではなく、本当に、文字通り、輝いていたのである。彼女の眼は、丸っこい、謂わば小動物のような眼で、相手を頼り切った、自分がか弱き者であるという事を自ら全面的に認め、かつ表明している眼だった。それは、ごく普通の一般男子であれば、初めて見詰められた時に、何んとなく恐れをなして思わず仰け反ってしまうような、そういった類の眼だった。

「あの、初めにまずお伺いしておきたいんですが」

「はい」

 彼女は、どうぞいくらでも質問して下さい、と言わんばかりに、その信頼し切った眼で僕を見つめ返した。僕は、彼女があまりにも無条件に僕を信頼し切っているように感じ、何と無く気まずくなってしまった。

「そのう、まあ、今回はですね、僕のために、そちらでコーディネーターを派遣して下さる、という事で、僕としましても、ぜひ、という事でお願いしたんですけれども・・・。えー、何と言いますか、要するに、ジュリエットさんの方で、例のものを預かって下さる、という事でよろしいんでしょうか?」

 ジュリエットはきらきらした眼をさらに真丸くして驚いた。

「いえいえ、とんでもございません。ワタクシが今回派遣会社を通じて委託されております業務は、もっぱらカウンセリングを中心としましたロミオ様の心的ケアでございまして・・・」

「心的ケア?」

 危うく僕はもう少しでコーヒーカップを落とすところだった。

「はい。そうでございます」

「その、心的ケアというのは・・・。それじゃ、何ですか?あなたは僕のカウンセリングをするために派遣されてきたんですか?」

「はい。あの、ウチ・・・じゃない、ワタクシ、通信教育で心理学とか・・・、あ、でも専門は幼児教育なんですけど・・・」

「いやいや、そんな事はどうでもいいんですけど。すいません、ちょ、ちょっと待って下さいね。僕も少し混乱してまして。あの、あなたは要するに、誰なんです?誰、といいますのは、つまり、どういった人で、どういった経緯で、今日ここに来られたんです?奴ら・・・、彼らは、僕の事を何と言ってるんです?あなたにどんな話をしました?何ですか、僕の事を、治療が必要な頭のおかしい奴だとでも?」

 僕が、いつの間にか自分が声を荒げていた事に気付いたのは、彼女の怯えた顔を見てからだった。ジュリエットは泣きそうだった。もしあの時本当に泣かれていたら、僕はきっとその場を逃げ出していた事だろう。

「いや、ごめん、ごめんね。その、怒ってるとか、そんなんじゃないんだけど。ちょっと、こう、説明してくれないとね、僕もいまいち、事態が飲み込めていないというか・・・」

 ジュリエットは何度も首だけで頷くと、申し訳ありません、申し訳ありません、と繰り返した。そして、蚊の鳴くような声で、

「ウチ、派遣社員なんです」

と言った。

「ああ・・・。派遣社員・・・」

 思わず僕も、おそらくは途方もない絶望を込めて、その言葉を繰り返していた。

「はい。派遣なんで、あんまり、その、詳しい事は・・・」

 僕は黙ってしまった。何とも言いようがなかった。僕としてはあまりにも訳がわからない事ばかりだったのだが、とにかく、自分が期待していたような展開はこのコーディネーターとの面会からは望めないらしいという事ははっきりとわかった。僕は、とりあえず可能な限りこの「ジュリエット」嬢から彼らに関する情報を聞き出し、今日のところはそれで良しとしよう、と考え方を改めた。

「ジュリエットさん。派遣社員、という事ですけど、その、あなたは依頼主からは、つまり彼らからは、どのような内容の仕事を頼まれたんですか?それとも派遣会社から頼まれただけで、彼らとは直接会ってないんですか?そういった事を、なるべく具体的に、話して下さいませんか」

 彼女は、僕との面会が思うように行かず面白くなかったのだろう、少し唇を尖らし頷いた。

「ウチが今の派遣会社に登録したのは、まだ最近で、先月なんですよ」

「うん」

「それまでは地元の居酒屋でバイトしてたんですけど、友達の紹介で・・・」

「うん、いや、あの、そういう事じゃなくて」

 彼女はなぜ自分の話が遮られたのかまるでわからないようで、例のいたいけな眼差しで不思議そうに僕を見つめた。

「僕が、具体的に、とお願いしたのは、そういうんじゃなくて、何というかな・・・、こう、僕と関係ある話をして欲しいんだ。うん、そうなんだよね。僕と関係のない話をされても、ね」

 彼女は、とてもよくわかった、という風に頷いた。しかし、不思議な事に、彼女が「何々について理解できました」と頷いてくれる度に、僕はますます不安になるのだった。彼女の頷きは、幼い子供がものを教わった時に頷くのと同じで、何も保証していなかった。

「ウチはカウンセリングをするように言われたんです」

「派遣会社に?」

 彼女は頷いた。

「話し相手になってあげるだけでいいからって。もし何か聞かれたら、ファイルに書いてある事だけは答えていいからって。それ以外の事は、『申し訳ありませんがワタクシにはわかりかねます』って言えばいからって。そう言われて来たんです」

「なるほど。他には?」

 ジュリエットは首を振った。

「それだけです」

「そのファイル、見せてくれる?」

「駄目です!」

 彼女はそう叫んでファイルを急いでバッグにしまい、自分の背中と椅子の背凭れの間に隠してしまった。

「どうして?だって、そこに書いてある事は、僕に答えていいんでしょ?」

「尋ねられれば、答えても構わないそうです。でも、ファイルを直接見るのは禁止されてるんです」

「なぜ?」

「知りません。でも、絶対見せちゃダメだって。見せたら、ウチ派遣クビになっちゃうんです。だから見せません」

 全てが不可解だった。わからない事だらけだった。彼女の話の中に、果たしてどれだけ真実があるのか、それとも全く真実など無いのか、その判断も付かなかった。いずれにせよ、彼女の話をそのまま信じる事はできなかった。それは危険な事だった。

「それで、ジュリエットと名乗れと」

「はい?」

「ジュリエットと名乗れ、と、そう言われた訳だ。彼らに。というか、派遣会社に」

 ジュリエットはキョトンとしていた。今まで以上に、まさしく何も理解できない、という表情をしていた。

「ウチ、ジュリエットですけど」

 沈黙。

「え?」

「ウチ、ジュリエットです」

 そして彼女は、さっきも言いました、と少しぶっきらぼうに付け足した。

 僕は、しばし何とはなしに俯いている彼女を見つめ、それから機械的にコーヒーを啜った。軽く頭痛がした。いや、そればかりでなく、自分の中で何かが大きくぐらつくのを感じた。変な汗が背中を伝った。

 やがて目を上げたジュリエットと、目が合った。つまり、こういう事だ。僕の目の前に、ジュリエットが、いる・・・。

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