林檎売りの少女
りんごを売って旅をする少女がいた。
赤いズキンを被って草鞋を履き、小さなバスケットに七つのりんごを入れて、買ってくれる人を探していた。
少女はとてもとても有名人だったが、りんごが売れることは一度もなかった。
それどころか、少女はどんな村に訪れても、石を投げられて額を切った。
時には木の棒で背中を叩かれる。
「村から出ていけ!」
と、刃物で脅されることもしばしばあった。
それでも少女はめげずに歩いた。
どうして自分はこんなにも嫌われているんだろう、と疑問に感じながらも、りんごを売るために世界中を歩いた。
ある日辿りついた農村は活気が少なかった。
いつもならば少女が村に入って五分と経たない内に村人が出てきて、石で棒で追い出されてしまう、それが無かった。
ここならりんごが売れるかもしれない、そんな期待を胸に抱きながらも、同時に少女は不安になった。
(どうしたんだろう……この村、元気がない)
家が並んでいて家畜も生きているのだから、村人はいるはずだ。
まだ昼前だから畑で仕事をしている筈なのに、耕している人も見かけない。
それどころか、肝心の畑は腐ったような色をしていて、緑が実る予感もしない。
暫く村を進んでいくと、一際大きな家が見えた。
村長の家だろうと思い、村の状況を尋ねようと考えた少女だが、それより先に悲鳴のような怒号が聞こえた。
「このままじゃ村は終わっちまう!」
聞いていく内に少女は知った。
この村の畑は見聞きしたこともない病にかかってしまい、土そのものが駄目になってしまったのだと。
どんな作物を植えても実らないし、土からは腐った羊の臭いがすると。
きっとこれはなにかの祟りだ、呪いだと騒ぐ者もいた。
村人に詰め寄られる村長にできることがある筈もない。
強いて言えば、村を捨てて新たな場所に住居を構えるしかないのだ。
しかしそれも蓄えの少ないこの時期では餓死するものが多くでるリスクがあった。
かといって、リスクを恐がっていては村と共に滅ぶだけ。
少女はそんな時に村に来たのだ。
(私のりんごを食べてもらえば、みんな喜んでくれるかな?)
そう思う反面、今まで迫害され続けてきた経緯から、大人を恐がる気持ちがあった。
また石や棒で傷つくんじゃないだろうか……考えると、肩の震えが収まらない。
それでも私はりんご売りで、りんごを売りたくて旅をしている。ここで売らなければいつ売るんだろう。
決意しても、でも……と覚悟は曖昧だった。
「俺は嫌だ! なにもせずに死ぬなんてまっぴらごめんだ!」
そうこうしている内に痺れを切らした男性が外にでた。咄嗟に柱の影に隠れた少女は、すっかり登場するタイミングを失ってしまった。
そのことに残念な気持ちを感じつつも、ほっとしている自分が嫌になった。
(私はりんご売りなのに、りんごを売れないんだ……)
それを勇気が足りないからだと自分を責めて、少女は逃げるようにその場を去った。
村を出ようとしたところ、小さな女の子に少女は出会った。
女の子は無邪気に砂を集めて遊んでいたが、げっそりとやつれた頬からは過酷な日々を想像させた。
「こんにちわ」
このような女の子なら自分を虐めたりしないだろうと少女は安心をして声をかけた。
「こんぢぢわっ」
すると女の子は舌っ足らずに、元気な挨拶を少女にした。
人とまともな挨拶をすることは、少女にとって産まれて初めてのことだったので、喜びが勢いよく心を満たす。
「なにを作ってるの?」
「おやまっ!」
快活な笑顔が少女の緊張を解して、女の子に対して大きな好意を持った。
何気ない会話でさえ、少女にとっては温かいぬくもりだった。
「そうだ、お嬢ちゃん。お腹は空いてない?」
「おなか、ずいたぁ……」
御飯のことを途端に女の子は表情を重くした。
俯いた瞳の暗さから村の食糧危機が切迫していることを悟る。
「私、りんごをたくさん持ってるんだ。食べる?」
「りんご?」
女の子はりんご知らないようで、小さな首をきょとんと傾げた。
少女はバスケットからりんごを一つ掴んで、これだよ、と見せる。
「甘くて、冷たくて、おいしいよ。食べる?」
「いいの!?」
水を得た魚のように元気になった女の子は、ずいっと首を伸ばして少女に聞いた。
「いいよ。いっぱいあるから、たくさん食べてね」
「やったーっ!」
そして、少女は女の子にりんごを渡した。
初めて見る食べ物を女の子は不思議そうに見詰めていたが、喉を鳴らす生唾と、子供特有の好奇心が爆発して、大きな口を開けて一つ囓った。
しゃくしゃくしゃく、と爆ぜる食感が絶え間無い心地よさを女の子に与えて、同時に溢れる果汁が頬の内側を濡らしていき、蜜の甘さに虜になった。
「おいじいっ!」
「そう、よかった。いっぱい食べてね」
言って、少女は女の子にもう一つりんごを与えた。
こんなにも美味しいのに、どうして誰も食べてくれないんだろう。
食べたらうんと幸せになれる、とても甘い果実なのに。
りんごを食べる女の子は幸福な笑顔そのものだった。
そこに一切の苦痛はなく、歪みはなく、決して迫害されるような代物ではなかった。
(りんごが悪いわけじゃないなら、悪いのは私なのかな……でも、私がなにをしたっていうんだろう)
ただただりんごを売りたくて世界中を旅する少女。
なぜか行く先々で嫌われて、虐げられて、追い出されてしまう。
どんな場所に行っても少女のことを知らない人はいなかった。
りんごを食べる女の子は初めてのことだった。
「うわああああああああ!」
りんごを食べる女の子と、優しく見守る少女の姿を見つけて、村の男は悲鳴をあげた。
「林檎売りだ! 林檎売りがいるぞ!」
ついさっきまで閑散としていた地にぞろぞろと人が集まってきて、あっという間に人集りができた。
誰もが顔を真っ青にして、歯を打ち鳴らして怯えていた。
「お、おい! 林檎食ってるのミダミィじゃないか!?」
「ほんとだ! ミダミィだ! おいダルウェ! お前んとこの娘が林檎食ってるぞ!」
「ど、どいてくれ! 嘘だ! ミダミィ! ミダ」
ダルウェと呼ばれた男は絶句した。
あんなに言い聞かせたのに、娘は林檎を食べてしまっている。
絶対に食べてはならないと言ったのに、何度も何度も言い伝えたのに、一心不乱に林檎を食べ続けてしまっている。
女の子、ミダミィは他の子供達よりも賢い子ではなかった。
同年代の子ができたことができやしない、所謂知恵遅れの子だった。
大体の村ではそう言った子は口減らしに捨てられるか、売られるか、殺されてしまうことが大半だったが、ダルウェは泣いて懇願した。
『頼む! 俺が立派に育てあげる! ミダミィはサラズーヌゥの忘れ形見なんだ、知ってるだろう!?』
ミダミィを産んで死んでしまったサラズーヌゥももちろん同じ村で育っていたので、村人達もミダミィの存在を許した。
彼らは一丸となってミダミィに接し、現代の村を思えば奇跡的な確率で、誰もがミダミィを愛していた。
けれど。
「だからあの時殺しておけばよかったんだ!」
「そうだ、お前が頼むからこんなことに!」
今では一人としてミダミィの心配をするものはいなかった。
父親のダルウェも「ミダミィ……」と嘆き大粒の涙を零すばかりで、周りの声は聞こえなかった。
(……どうなってるの?)
子供がただりんごを食べただけ、そうでしょ?
少女は疑問視したが、村人の騒ぎはそれどころじゃない。
村の食糧危機なんて問題にならないくらいに、ミダミィが林檎を食べたことに絶望している。
対してミダミィは、バスケットを引き寄せて餓鬼のように林檎を貪った。
「今ならまだ間に合うかもしれない……」
「そうだ、今ならまだ」
「殺せ!」
「ミダミィを殺せ!」
数十人の村人が一斉に走りだした。
中には近くの農具から鍬を持ってくる者までいた。
咆哮をあげて迫る村人達。
自分を迫害する時とは比にならない猛り方に意味もわからず少女は怯えた。
「や、やめて!」
少女の声は虚しく喧騒と足音にかき消され、一人、また一人と幼い女の子に暴行を加えていく。
蹴り、踏みつけ、刺し貫き、ミダミィの命を消そうと粉塵する。
「やめて! やめて!」
少女は村人の腕を掴み引き離そうとしたが、鼻を強く肘で打たれて転倒してしまった。
「触るな! 悪魔が!」
悪魔……?
私が、悪魔?
どうして?
なんで?
私はただ、お腹を空かせた女の子に、お腹いっぱいになってほしかっただけなのに。
安心をくれた女の子が無残にも殺される光景を目の当たりにして、ただただ涙を流すことしかできない自分が酷く惨めに思えた。
「どけ! どいてくれ! ミダミィは……俺が、殺す!」
村人の壁を割って入ったのは父親ダルウェだった。
村人から鍬を奪い取り、震える手を必死に力を入れる。
もうとっくに死んでいなければおかしいミダミィは、だらだらと血を流しながら、至るところの肉を裏返しながら、幾つも折れた骨を突出させながら、筋のみが繋がる露出した眼球を無視して、それでも尚、バスケットの中に眠る最後の林檎に手をかけた。
折れた歯で。
砕けた歯で。
割れた歯で。
失った歯で。
「おびぢごぷ……ごいおじい……」
美味しい美味しいと。
泉のように湧く喉の血さえ気にもせず。
「ミダミィ……」
どう見ても人ではなくなったミダミィを前に、母親の面影を消した子供を前に、強烈に壊れてしまった愛娘を前に、ダルウェは父親であった。
「ミダミィ!」
鍬を捨てて愛しい娘を抱きしめる。
もうこれ以上痛めつけられないよう、小さな体を覆うように。
「ダルウェ、お前!」
「殺せ! 急げ!」
捨てられた鍬を慌てて拾い、村人は力いっぱい振り上げた。
しかし――それはもう、下ろされることはなかった。
「お腹空いた」
ダルウェに隠れた幼い声に空気が止まった。
比喩ではなく、風の流れさえ消えてしまった。
「……ミダミィ?」
娘の声であっても、いつもの舌っ足らずな声じゃない。
はっきりと響きのある、抑揚のついた声色。
皮肉にもその声は、ミダミィを産んで死んでしまった愛妻にそっくりであった。
「いただきますっ」
世界で最も愛してくれた父親を。
世界の敵になっても愛してくれた父親を。
「あむっ」
女の子は。
女の子だった者は。
死傷だらけだった人は、今ではもう元気な生前の姿へと戻り。
人外を隠さない大口を開けて、頭を包み込むように、たった一度で首から上を噛み切ってしまった。
頭蓋骨と脳が一緒くたに噛み砕かれて、口の隙間から流れるドロリと濃い肉感のある紫が奇妙に光る。
「うわあああああああああああああっ!」
「もう、もう駄目だああああああああああっ!」
「逃げろ! 逃げ」
逃げようと振り向く、その間に心臓を素手で掴み取られ、女の子だった者は口に運ぶ。
「美味しいっ!」
その中で一人、逃げなかった者がいた。
たった一人事情がわからず、逃げられなかった者がいた。
なにが起こってるの……?
私の、りんごの、せいなの?
離れた位置で寂しそうに佇む空になった小さなバスケット。
女の子は七つのりんごを食べて、ナニカに変わってしまった。
「まって……待って!」
少女を無視して村人を喰う女の子の元へ駆ける。
すると女の子は振り返って、りんごを食べた時の幸せそうな気持ちで笑った。
「また次もお願いね」
そうして、悪夢のような話だが、少女は女の子に丸呑みされた。
*
ある山のふもとで一人の少女が目を覚ました。
随分と眠りこけてしまった気がするが、いつから眠ってしまっていたのかも定かではない。
ぼうっと呆ける意識を張って、少女は一つ喝を入れる。
「さあ、今日こそりんごを売らなくちゃ」
そして少女はりんごを売るため旅をする。
これはとてもとても有名な、一人のりんご売りの少女のお話。
世界設定を一切表記しなかったのはわざとです。
なんとなく雰囲気を楽しんでいただければと思いました。
一つだけ設定を明確にするなら、これは輪廻世界です。
どう終わるか、等は全く別の話になるので解りませんが、林檎売りの少女が何度も輪廻して林檎を売り続けるのだろう、と考えていただいて差し支えないです。
それ以上のことは各々の解釈で回る話だと思います。
稚拙な分ですが読んでいただきありがとうございました。