ブルームーン
ある日見た夢のお話。
私は、一件の狭いバーにいる。
他に客はなく、カウンターの中には、ロマンスグレーのバーテンダーが一人。にこりとも笑わず、黙々とグラスを磨いている。
彼が唐突に、口を開いていった。
「世の中ってのはね、人が思うよりだいぶ意地悪で、そしてほんのちょっとだけ、優しいもんなんです」
そうかな、と返した私に、彼はそんなもんです、とだけ言って、シェイカーを振った。
差し出されたグラスに満たされていたのは、紫色のショートカクテル。
私の一番好きな『ブルームーン』。
「ブルームーンってのは、青い月。ありえないくらい不思議なこと。転じて、絶対に叶わない夢って意味があるんだそうです」
グラスを手にしたまま、ぐ、と言葉に詰まる私に、彼は淡々と続ける。
「でもねぇ、あたしはそうは思わないんですよ。現にこうやって、青い月はここに存在してるでしょう。形を変えて。そんなもんだとね、思うんですよ」
そうだね、と私はこたえた。
彼は黙って頷いて、またグラスを磨き始めた。
私は立ち上がり、荷物を手にした。
また会えるかな、と問いかけると、彼はちらりと視線だけで私を見た。
「会えないほうが、いいんだと思うんですがね」
私は大真面目に言った。でも私は、また会いたいんですよ。
「年寄りを、からかうもんじゃぁありませんよ」
彼はそこではじめて微かに笑ってくれた。