∞幕間∞通じぬ想い
今回はレガロニア帝国にいる筈のイルエラ(グエンシーナ)の旦那様視点
――有能であり、鉄壁の理性と鋼の表情を持つ能吏。
おそらくそれが、私に対する周囲の人々が感じ、最も抱いている印象の内の一つだろう。
だが、本来の私がそんな高潔で優れた人間ではない事を、私は他の誰よりも理解しているし、熟知もしている。
真実、私がそのような褒められた人間であるのならば、彼女を今でも私に縛り付けている筈がない。
イルエラ・ジス=キニス。
21歳でしかないまだ年若い彼女と、もう50歳も目前の私の間には、表向きは長男を筆頭に三人の子供を授かっている事となってはいるが、実はその長男は彼女と私の子ではない。
それどころか、その長男は私の子でもあり得ない。
しかし、それを彼女に伝えたとしても、彼女は私の言葉を信じようとはしないだろう。
彼女にとって、私は忌むべき対象であり、どんなに怨まれても仕方のない人間だ。
それでも私は彼女を手放せないし、解放してやることさえ不可能だ。
褐色に焼けた、水も弾く美しくも張りのある若々しい肢体は、同年齢の女性の身の丈よりも高く、手足も長い上に、女性の証でもある胸は、比較的他の男よりも大きな私の掌からも零れる位には大きく、朱い瞳は常に毅然とした意志と光を湛え、緩やかに波打つ、まるで絹の様な手触りを持つ闇色の髪は、彼女から異国の血を窺わせる。
おそらく彼女は、私が彼女の血筋を理解している事を知っている。
それ故に私は恐ろしいのだ。
いつか彼女が私達家族を置いて、何処かへ消えてしまうのではないかと。
彼女は誇り高きユーリニア一族の正統なる継承者。
世が世なら、彼女こそがこの巨大な帝国を統治し、彼女の娘は、次期女帝として、それに相応しい人物として丁重に扱われていたことだろう。
ふと、甘ったるいだけの香りが鼻に付いたかと思えば、私の腕に己の腕をきつく絡めたアゼリア后妃がいた。
「ローウェン、アナタは誰のモノ・・・?」
――離せ、放せ、ハナセ、
「ローウェン?答えられないの?あの子達がどうなっても良いのかしら・・・?」
狂った光を蒼い瞳に宿す、かつては婚約者として、妹と愛することを努力していた女は、私と彼女の間に生まれた子供の命を盾に取り、私に服従を命じる。
彼女には伝わらないのに、彼女が最も憎悪している女には私の感情は判る様で。
神経が痺れる様な、何処か麻薬にも似た香りに満ちた部屋で、私は彼女と、彼女との間に生まれた愛しい子供たちの為に、今日も女が望む愚かで哀れな道化師を演じる。
后妃となった女の足元に跪き、女の手の甲に、服従の口づけを落す。
そして・・・。
「私は貴女のモノです。私の姫様」
女が私ではない誰かに勝利の笑みを向けた時、その勝利の笑みを向けられた人物は、今まで見てきた彼女のどんな表情よりも冷たく、傷付いた色を朱い瞳に浮かべ、私が伸ばした手を拒み、私の恐れていた言葉を、ぷるぷると艶やかで紅い口唇から紡ぎ出した。
「――お別れにございます。キニス侯爵様。私は二度とこの地には戻っては参りません。子供たちの事だけは宜しくお願い致します。」
「グ、っっ、イルエラ!!待ってくれ、イルエラ!!」
「――失礼致します。」
気配も無く、疾風の如く私の前に現れた彼女は、姿が現れた時同様、気配も無く、存在感すら消し去り、忽然と姿を消してしまった。
ああ、彼女はもう私の元には帰って来てはくれない。
私は取り返しのつかない愚かな振る舞いを、誰よりも愛する彼女の前で振る舞ってしまった。
深い嘆きに堕ちた私を、后妃は歪んだ笑みを唇に乗せ、嗤っていた。