◆検閲
「殿下、これが本日の分でございます」
「――あぁ、そこに重ねておけ。後で見ておく」
皇女がこの国に来たのが5の月2日。今はそれから一月が漸く過ぎた、6の月の7日。
俺達が住む世界は、12の月を4等分に分け、それぞれ新緑の季節・灼熱の季節・実りの季節・冬眠の季節とそれぞれの名で呼び、一月は総じて30日で編成されている。
察しのイイ奴は、俺が何を言いたいのかを説明しなくとも理解しただろう。
しつこい様だが、帝国の皇女が俺の婚約者としてこの国にきて、もう一ヶ月余りもの日々が過ぎている。
さすがにここまで説明してやれば、どんなに察しが悪い奴でも察してくれるだろう。
本来、今頃はそろそろ頭を使う机仕事が少なくなって来ても良い頃合いなのだが、そんな兆しが見受けられないでいるのが現状だ。
現に、俺の執務部屋は床が埋め尽くされる程の書類や、軍関連の書籍で埋まり、歩く隙もないときているのに、机の上には皇女宛への贈り物が乱雑に押し込まれた箱や、手紙がまとめて括られている物が多数山積している。
皇女関連を任されていると言う事は、異母兄から俺が信頼されていると喜ぶべきなのか、それとも別の思惑があるのかさえ、今のままでは推測出来ない。それでも、時は人を待ってはくれない。
時は等しく人に流れているのだから。
とりあえず今は目の前にある物だけでも片付けてしまおうと、皇女宛に送られてきた手紙を手に取った所で、部屋の扉がトントンと、軽く小さな何かで叩かれる音がした。
左胸のポケットに入れてあった銀製の懐中時計の蓋を開ければ、時刻は午前の10時を優に過ぎていた。
時間的な事と、小さな扉を叩く音から、俺は来訪者の正体を推測し、部屋に入るように促した。
「――入れ、悪いが今は手が離せない。」
部下からは無愛想だと何度も窘められる口調だが、生憎と今この部屋に訪れた小さな客人には、それが普通だと思われていたようだ。その証拠に彼女は気分を害した風にも見えないばかりか、部屋を見回して、溜息を一つ洩らしただけだった。
「なんだ。一々溜息を吐きに来たのか。今日の授業は終わったのか?」
こっちは寝る暇もないほど忙しいと言うのに。
暇なら少しは手伝え、と危うく言ってしまいそうになったのは、皇女の呆れた眼差しがこちらに向けられたからだ。
「なんなんだ、暇なのか?子供は子供らしく大人しく遊んでろ。俺はお前に構ってる暇はない」
チラリと、皇女の方へ視線を投げかければ、皇女は俺が手にしている皇女宛の手紙を目に入れるなり、珍しく瞳を輝かせた。
そして・・・――。
『それは検閲が済んだのなら貰えるのか?そろそろイルエラの夫君から文が届くはずなのじゃが、まだかの?』
イルエラ。
それは彼女付きの女官の名前だが、彼女にとっては実の生母である人の偽名だ。
皇女は、后妃からの親の情愛を知らないと宰相は断言していた。だが、親の情愛は受けていたからこそ、完璧に壊れずに済んだのではないかとも推測していた。
普段は人形のように何ら表情や感情を窺わせない皇女。でも、それがたった一つの手紙で、彼女が人形から人へと戻れるのならば・・・。
それは変化の兆しだったのかもしれないし、気紛れだったかもしれない。ただ、その時の俺にはそうすることが正しいと直感していた。
だから俺は皇女が部屋に入ってくる直前に手に取ったそれを、検閲することなく彼女に一つの言葉と共に渡していた。
『返事を書いてやれ。きっと喜ぶぞ』
『――あ、あぁ。そうしよう。感謝する』
その時、確かに彼女の顔は僅かにではあるが、花の蕾が綻ぶようにほんの些細な笑顔を浮かべた様な気がした。
小さな客人は、身体同様に小さな足で、とことこと大きな俺の執務机を迂回し、歩み寄ると、手紙を小さな両手で俺の差し出した手紙を受け取り、自分に与えられた居室へと戻っていった。
その後、彼女の生母は一月、彼女の傍を離れる事となったのは、予想外の出来事だったとしか言えない。
短いけど、更新しました。