◆噴水と皇女
書き直してます。
――忌姫。
あの小さな皇女が母国でどの様に呼ばれ、思われ、扱われてきたのかを俺が知ったのは、皇女が俺の住む【黒耀の宮】と呼ばれている宮に入って割とすぐの、五日後の事だった。
皇女が帝国から連れてきた人間は二人で、一人はなんと俺より年嵩に見えて実は二つも年下だった女官のイルエラ・ジス・キニス侯爵夫人と、俺と同年代のライラと言う女だった。
この二人の関係は実に最悪で、ライラは己の欲望に忠実で、その為ならどんな手段も厭わずに使い、逆にキニス侯爵夫人は、皇女から絶大な信頼を寄せられている生粋の臣下だった。
その二人は良く皇女が眠りに就いた後、激しい口論を交していたらしく、おりしもその日も争っていたらしく、俺は偶然皇女に与えた部屋の前を通りかかり、その二人の争う声を耳にしてしまった。
『何よ!!あんな気持ち悪い子供なんてどうせ捨て駒じゃない。私の方があの子より綺麗で皇族らしいのに、生まれが皇帝の弟の子供だってだけで私はあんな忌まわしい人形に仕えなきゃなんないて、あきらかに不公平じゃない!!』
『ライラ、姫様は私達の主なのですよ?主に対してその物言いはないでしょう』
『なにが姫様よ。反逆者の血を引くガキが』
『・・・っライラッ!!アナタって人は』
パシンと乾いた音が聞こえた事から、どうやらライラと言うあの女の言葉が許せなかったらしく、おそらくあの気真面目なキニス侯爵夫人があの女の頬を叩いたのだろうと推測出来た。
当然あの女が、それ位で黙る様な殊勝な性格をしているワケが無いと俺が思っていた通り、ライラと言う女官は更にキニス夫人にい返していた。
それも、とても褒められた言葉ではない言葉で。
『流石は手の早い淫売ね。皇妃様の想い人を寝盗っただけの商売女。あの方もあの方だわ。アナタの何処が良くてアナタを妻にしたんだか』
皇女に与えた部屋の扉の前で腕を組み、瞳を閉じて立ち聞きをしていた俺は、ライラと言う女が口にした言葉を頭の中で何度か繰り返していた。
反逆者の血をひく子供。
忌避されている存在。
捨て駒。
その言葉が指示している言葉の意味は・・・。
その文字が頭によぎった俺は、それを自ら否定する様に頭を横に振って苦笑するだけに留めた。
「まさかな、そんなことあるわけがない」
帝国側が戦争を望んでいる筈がない。
だが俺のこの不安は、遠からずとも、近くもなかった。何故なら、その翌日に俺は大変不可解な場面に出遭わせてしまったからだ。
◆
俺の一日は午前は主に机仕事に費やされ、午後は午後で部下に指導に忙しく、その時の俺はほんの僅かな休憩時間に気紛れを起こし、先代の王が愛する妃の為だけに作った、今ではあまり誰も利用しない庭へと向かって歩を進めていた。
今の時期は特に寒い訳でもなく、かと言って熱い訳でもない、実に過ごしやすい季節で、その忘れ去られた庭に作られた噴水を眺めるには丁度良い季節とも言えた。
噴水は白い石とダイヤモンドやルビーなどが所々埋め込まれ、水が噴き出している壺を肩に持つ女性の瞳は、鮮やかな朱色で、穏やかな微笑みを顔に湛えている。
その女性の基になっているのは、初代ダラス国王の妹・シーラだ。
彼女は援軍を出してくれた国の青年に嫁いだ後、非業の死を遂げた不幸な女性の象徴であるとされているらしい。
だが、それは違うと、どうやら先代の王は思っていたらしく、彼女を模したらしいと俺はあの宰相から、子守唄代わりに聞かされ続けて育ってきた。
ふっと、若干の物思いから覚めた俺の耳に、その音が聞こえ、悲痛な助けを求める声が届いたのは、もうじき噴水が見えてくる付近に辿り着く頃のコトだった。
ザバザバ、ジャブジャブと何かを沈めたり浮かべたりするその音に混じり、帝国語で「やめて」、「姫さま」、「誰か」と誰かを案じている声に、俺の中には嫌な予感が過った。
その嫌な予感を払拭する為、ガサガサと迷路になっている庭へ通じる繁みを突っ切り、俺はその場であってはならない場面を目撃してしまった。
両腕を拘束され、声を枯らさんばかりの勢いで泣き崩れているキニス夫人に、何故か濁った、藻や枯れ葉、虫の死骸等がうようよと浮いている噴水の汚水に頭を沈められている小さい身体。
それが示す答えは一つだった。
「お前達、何をやっている!!」
今、皇女に何かがあれば、間違いなく開戦は免れないだろう。それを理解していないのか、皇女につけたダラス側の侍女らは。
「で、殿下、」
「何か、ご用でしょうか。私達は今、「俺は何をしているんだと聞いたんだ」
低く、冷たい声で脅せば、何処からともなく、女の「ひっ、」と、怯え、誰かが息を飲み、悲鳴を上げた様な気配はしたが、今はそれどころではない。
服に汚れる事も構わず、俺は皇女を害そうと企んだ愚かしい女共から皇女の身体を奪い取り、軽く頬を何度か叩いた。
それが良かったのかどうか、皇女は薄眼を開けたかと思えば、大分汚れた噴水の水を飲まされていたらしく、ケホケッホと咳き込み、小さな口から飲み込んでいた水を吐き戻した後に、虚ろな感情を一切窺わせない瞳を俺に向け、掠れた声で問いかけてきた。
『なにゆえ妾を助けた。なにゆえに妾に情けをかけた』
その声は、言葉は、8歳の子供とは思えぬほど人生を諦めた大人の言葉だった。
皇女はもう一度何故自分を助けたのか言葉にした後、まるで何かに引き摺られているかのように意識を失わせた。
俺はそんな皇女を、皇女の唯一の腹心であろうキニス夫人に預けるなり、戦を嗾ける様な愚かな振る舞いを取った女共を罰する為に、己の剣を手に取った。