◆薬と花の蜜
『愚か者よのぅ~。』
そう言ってふふふと、口元を団扇で隠し笑うのは、誰であろう、俺の婚約者である皇女だ。
しかし、笑うとは言っても皇女のそれは声だけで、実際の所は俺に呆れているだけだ。
『其方の様な粗忽者は、故国におるローウェンしか妾は知らぬぞ』
まぁ、あの男は自業自得の所があるらしいゆえに、妾は何とも思わぬが、と、しっかり前置きをした所で、皇女は侍女に言いつけ持って来させた乳鉢に、ソレは自分の部屋から選んで大切に運んできたであろう、黒い丸薬と如何にも苦そうな緑色の草を入れ、ゴリゴリとすり潰し始めた。
どうやらその行動から、皇女が俺の為に薬を作っているらしい事は判るのだが、黒い丸薬の中身が激しく気になるのは俺だけだろうか。
乳鉢の中で丁寧にすり潰され始めたそれらは、次第に草の姿を消し、草から滲み出た汁でドロドロになっていく。
俺はそれを寝台のヘッドボードに自分の背を預け、眉間に皺を刻みだ状態のままで見ていた。
皇女は俺の自業自得で熱を出した事から、禊と祈りの期間を10日ばかり残した所で急遽取りやめ、今朝から俺の看病に明け暮れている。
それを申し訳ないと謝った所、皇女は、
『ダーシャル様はそんな狭量な御方ではないゆえ、赦して下さるだろう。却って、夫君となり得るかもしれぬ其方を見捨てる事こそ、罰せられるやもしれぬ』
と、要するに気にするなと、判り難くはあるのだが、謝罪は必要ないと断言してくれた。
だと言うのに、この今俺の目の前で、にちゃにちゃと奇妙な音を奏で、混ざり合っている物は何だろうか。
色で例えるのならばどす黒い緑の液体なのだが、更にそこに入れられようとしているモノに、俺は声も無く、悶絶した。
高価な透明なガラスの器に入れられたそれは、光が反射することにより黄金色に輝き、見た目はとろりとしている。
ふつう、それはお茶に入れたり、菓子の材料と知られているのだが、何故皇女はそれを乳鉢の中の液体に入れているのだろうか。
やはり何か?怒っていないのは顔だけで、本当は邪魔された事を怒っているのだろうか。
そんな俺の悶々としていた内情は、どうやら勝手に言葉として出ていたらしく、独り言と言う形で垂れ流しになっていたらしい。
皇女はそんな俺に、呆れる事無く、実に淡々とソレを緑色の液体に入れた理由を教えてくれた。
『花の蜜は蜂と言う生き物によって集められ、巣に蓄えられ、それを集めて絞り出し、丁寧に漉す事で初めて蜂蜜となる。蜂蜜は自然が作り出した甘味であると同時に、慈養も高い薬の一種でもある。まぁ、些か最近は嗜好品と捉えられ、贅沢に口にするモノが増えたが、本来は病人が口にするモノであるから、摂り過ぎには注意が必要じゃな。』
それが原因で死に至ったと言う者もいるらしいと、サラリと付け加えられた情報に、俺は驚いた。
そして、その病が気になった俺は、するりと自然に皇女に尋ねていた。
「皇女、それはどんな病だ?」
その時、俺は俺の発言のせいで、皇女を少しだけ傷付けてしまった事を知らなかった。
一瞬だけ皇女の瞳が悲しみで揺らいだ事を見逃してしまったのだ。それを俺が悟る前に、彼女は瞳の揺らぎを制し、出来上がった世にも不味そうなドロドロな液体を木の椀に移し替え、俺に飲む様に促してから、俺の問いに答えを出した。
『確か師の話によれば、尿の中に蜜の糖分が蓄積し、最悪の場合は絶命、失明、足を切断しなければならぬようじゃ。
――あぁ、それにそれらの患者の尿からは、等しく毒々しい甘い匂いがすると言うぞ。其方も充分気をつけるがよいぞ?病には掛らずとも、太る原因にもなるゆえにな』
軍人は太り過ぎると動きづらかろう?
との皇女の言葉を最後に、俺は意識を手放していた。
何故なら、彼女が作った薬はあまりにも苦く、強烈だったからだ。
そんな俺を皇女が切なげに見ていたとも知らずに。
『妾の名は“皇女”ではない・・・。』
その悲哀の呟きは、誰も耳にする事はなかった。