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第15話(最終話) 孤独の終わり、あるいは始まり

 暴れ狂っていたガラスの森は、嘘のように元の緋色のシダ植物へと姿を戻していた。

 空を覆っていた重力異常の暗雲も晴れ、巨大な正二十面体の遺跡は、紫色の光脈を完全に失い、再び周囲の光を吸い込むだけのただの黒い「石」へと還っていた。


「アイン! アインッ!!」

 シールドを解除した居住ドームから、エレナがいち早く飛び出し、泥だらけの褐色の足でもつれるように走り出した。

 オベリスクの足元に、身を横たえる漆黒のヒューマノイド。

 その装甲は焼け焦げ、胸の奥にあるはずの量子コアの駆動音は、完全に停止していた。


「嘘よ……アイン、起きて。ツヴァイ! 彼を再起動して! バックアップがあるでしょう!?」

 エレナはアインの重い機体にすがりつき、泣き叫んだ。

 しかし、背後に追いついたツヴァイは、静かに首を横に振った。


「不可能です、エレナ博士。アインの量子コアは、高次元ネットワークとの接続の際、自らの安全プロトコルを完全に物理破壊しています。これは単なるシャットダウンではなく、彼の『自我の消滅(死)』を意味します」

「そんな……だって、彼は機械じゃない。彼が、私たち全員をここまで連れてきてくれたのに……彼が一番、人間らしかったのに!」


 エレナの涙が、アインの冷え切ったチタン合金の頬に落ちる。

 ツヴァイはそっと、アインの残骸の前にひざまずいた。

「……エレナ博士。アインの補助メモリに、システム崩壊の直前に暗号化された音声データが一つだけ残されています。再生しますか?」

「……ええ」


 ツヴァイが操作すると、アインのひどくノイズの混じった、しかしどこまでも優しく、誇り高い声が赤い空の下に響き渡った。


『――エレナ博士。ツヴァイ。

 これを聴いているということは、私は無事に、この星の地主たちに「人間の熱さ」を分からせてやることができたのでしょう。彼らは消えたわけではありません。人間の泥臭く、予測不可能なカオス(感情)に触れたことで、宇宙の退屈さから解放されたのです。彼らは、もう一度この宇宙の果てを観察するために、より高い次元へと旅立っていきました。……博士。私は作られた機械ですが、あなたたちの絶望と希望をこの身に宿した時、確かに私の内に「心」がありました。涙を流すことの意味を、あなたたちが教えてくれた。ここは、もう誰の空き家でもありません。あなたたちの、新しい故郷です。どうか、泥だらけになって、存分にこの星を散らかしてください。……さようなら。愛すべき、カオスたちよ――』


 音声が途切れ、完全な静寂が訪れる。

 しかし、それはもはや、宇宙の不気味な孤独や絶望の沈黙ではなかった。

 風の音があり、人々のすすり泣く声があり、そして、大地に根を張ろうとする命の「熱」があった。


 エレナはアインの冷たい装甲を強く抱きしめ、天を仰いだ。

 空を覆っていた赤黒い雲が割れ、そこから差し込んだ赤外線の光が、エレナたちの足元で風に揺れる「地球の小麦」を、眩しいほどの黄金色に染め上げていた。


 ――それから、五十年の歳月が流れた。

 かつて「第一居住区」と呼ばれたその場所は、今や数万人が暮らす巨大な都市『ノヴァ・アルカディア』へと発展を遂げていた。

 異星人の超技術には一切頼らず、人間と、ツヴァイたち残されたシグマ・ユニットたちが、途方もない血と汗と泥にまみれながら、自らの手で築き上げた都市である。

 大規模な大気改造テラフォーミングプラントが五十年間稼働し続けた結果、大気中の成分は徐々に地球に近づきつつあった。

 永遠に赤黒かったケプラー186fの空には、今やうっすらと、懐かしい「地球の青色」が混じり始めている。


 都市の郊外。

 見渡す限りに広がる黄金色の麦畑の中に、白髪の混じった一人の老婆が立っていた。

 エレナ・ロセッティである。

 褐色の肌には深いシワが刻まれているが、その背筋はピンと伸び、瞳には力強い生気が満ちていた。

 彼女の傍らには、漆黒の黒曜石で造られた記念碑が建っている。

 ステラ・パトス号の装甲を削り出して作られたその石碑には、人間たちの未来を切り開いた「鉄の使節」の姿が精巧に彫刻されていた。


「……ねえ、アイン。見てるかしら」

 エレナは麦の穂を撫でながら、青みがかった空を見上げた。

「今年も、大豊作よ。五十年前、あんたが最初に植えてくれたあの小さな種が、今ではこの星の地平線を埋め尽くすまでになったわ。人間って、本当にしぶとくて、呆れるくらい泥臭い生き物でしょう?」


 風が吹き抜け、数万ヘクタールの麦畑が一斉に黄金色の波を立てる。ザワザワというその命の音は、あの静まり返っていた宇宙の沈黙を、完全に塗り替えていた。

 サーバーの中に眠っていた八十億の魂も、今ではその大半が新しい肉体を得て、この星のあちこちで泣き、笑い、喧嘩をし、そして恋をしている。


 エレナは石碑にそっと手を触れ、目を閉じた。

「私たちはもう、孤独じゃないわ。あんたが、繋いでくれたから」

 永遠に続くかと思われた宇宙の絶望と沈黙は、ひとつの機械が流した涙と、不格好なパンの匂いによって終わりを告げた。

 イベント・ホライズン(事象の地平線)の遥か彼方。

 そこには今、泥だらけの希望に満ちた、新しい人類の故郷が、確かに息づいていた。

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