第32話 冗談でしょ?
「グギャアァ!!」
雄叫びを上げながらこちらに向かってくる巨大な黒猫。鋭い牙に爪、全身を覆う硬い毛、そして血のように真っ赤な目。間違いない、こいつが噂の大型魔猫。そして、よく見るとこいつもあの洞窟のオーガと同じくどす黒い魔素をまとっている。
魔王の力で強化された魔物で間違いないだろう。
「リサちゃん!」
私はリサちゃんの名前を呼ぶより早く、彼女はナイフを抜き放って魔猫の攻撃を正確に捌いた。素早い反撃に驚いたのか、敵はすぐに茂みに逃げ込んでしまった。
「……チッ、妙に賢いやつね。私たちが格上なのを瞬時に悟って逃げたわ。森ごと魔法で燃やしてやろうかしら」
「アニータさん、ダメですよ。それは絶対禁止です。この辺には人が住んでいる集落も多いですから」
確かにその通りだ。もしここで派手に攻撃なんかしたら周囲の村まで巻き込みかねない。そうなったら依頼失敗になる可能性もあり得る。それだけは避けたいところだ。
「分かったわ。じゃあここは慎重にいきましょう。まずは奴の動きを封じる方法を考えないとね」
「はい!」
それからもしばらく森の中を探索したがなかなか手掛かりすら見つからない。そうしているうちに日が落ち始めた。このままでは今日中に倒すことはできなくなってしまうだろう。焦燥感だけが募っていく。
「うーん……やっぱり森を丸焼きにするしかないんじゃ……」
私は思わず本音を口に出してしまう。
「そんなことをしたら街の住民の方たちに迷惑がかかるでしょう? ……まぁ、リサもそろそろ限界だから本気でやっても良いんですけどね?」
「最初から本気でやりなさいよ……」
リサちゃんは冗談なのか本気なのかいまいち分からない。というかさっきからずっと目が笑ってないし。本気でイラつきだしているに違いない。アサシンモードになって覚醒する前に何とかしないと。
「とにかく作戦を立てましょ。何か良い案がある?」
リサちゃんに問いかけると彼女は少し考えるような仕草をして答える。
「……とりあえず動き回るのを止めさせればいいんですよね?」
「そうだけど」
「さっきは咄嗟のことで逃がしてしまいましたけど、見つけられればリサがなんとかします」
「って言ってもねぇ……あいつ警戒してるのか出てこないわよ? これじゃあ日が暮れちゃうわ」
リサちゃんの索敵能力は優れているとはいえ万能ではない。特に今回のような逃げ足の速い相手だと厳しいものがあるのだ。しかも、相手が隠れて出てこないのではどうしようもない。
「う~、困りました」
私たちは頭を抱えるしかなかった。結局その後は何も進展することなく夜を迎えてしまうのであった。
☆
夜になってしまった。魔物の討伐に出発してから10時間が経過している。しかし未だ私たちは再び魔猫を見つけることができずにいた。私はため息をつくと、リサちゃんの方を見る。すると彼女もこちらを見つめていてバッチリと視線が合った。お互い無言で見つめ合う。……ちょっと気まずい。私は耐えきれなくなって、口を開く。
「あはは、まだ見つからないね~」
リサちゃんは黙ったままである。これはちょっとヤバいかも……。目とかガチだし。
「あ、そういえば! リサちゃんの好きな物とかってある!?」
とりあえず話を逸らすことにした。我ながら苦し紛れの話題だが仕方がない。
「……アニータさんが好きです」
「そっかぁー、そうだよねー! リサちゃんは私のことが大好き──ってなんでやねん!」
思わずノリツッコミをしてしまった。だって、空気を和ますための話題から思わぬカウンターを食らってしまったのだから。
あははと乾いた笑い声を上げた私に、リサちゃんは冷たい視線を送ってくる。それはまるで鋭いナイフのようで、背筋がゾクッとした。
「面白くないです。リサは真面目なんですよ?」
「はい、すいません」
私は即座に謝罪の言葉を口にした。リサちゃんを怒らせると命を落としかねない。彼女の表情を見て私は直感的にそれを理解していた。下手なことは言うもんじゃないね。
しかし、どうしたものか。この辺りには民家もないし、ルノアール街まで帰るのは時間がかかる。かと言って明日になったら魔猫は別の場所に移動してしまっているかもしれない。もうこうなったら最後の手段に出るしかなさそうね。
「リサちゃん、今日は野宿しましょう。この先に川があったはず。そこで休憩しつつ夜明けを待つのが良いと思うの。……それでどうかしら?」
「猫って実は夜行性なんですよ? だから、夜の方が出会える可能性は増すと思います。……このまま探しましょう」
「嘘、マジ? 疲れてないの?」
「全然平気ですよ。リサはまだまだ元気いっぱいです!」
彼女は可愛らしく微笑んだが、正直その笑顔が怖い。これ以上何を言っても聞いてくれないだろうし、大人しく従うしかないわね。
こうして私たちは再び魔猫探索を再開することになったのだった。
それからさらに1時間が経過したが、未だに何も発見できていない。私は深いため息をついた。ここまで見つかるどころか足取りすら掴めていないとなると、本当にお手上げ状態だ。
「ねぇリサちゃんー。もう無理、疲れたよ休もうよー……」
リサちゃんに泣きつくように訴えかける。しかし彼女はそんな私のことをキッと睨みつけた後、首を左右に振った。……何これ辛い。
「ダメです! ここで休んだら魔物を逃がしてしまいます! 諦めたらダメですよ!」
「でもー……」
そうは言っても既に日は沈んで真っ暗なのだ。月明かりはあるがとても頼りない。視界が悪い中で歩き回るのは自殺行為だろう。
「アニータさんが頑張ってくれないとリサのやる気が出ないです!」
「じゃあ2人で休もうよ……これ以上探しても無駄だよ……ね?」
「むぅ……嫌です」
嫌ですじゃねーよこっちはずっと歩きっぱなしなんだよ。もういい加減足の感覚がなくなってきてるんだよ。パワハラで訴えるぞ?
そんなこんなで駄々っ子のようにゴネ続けるリサちゃんに私はついに折れてしまった。
「分かったわよ……頑張るから、お願い……」
「えへへ、ありがとうございます! アニータさんのそういうところ好きですよ」
彼女は天使のような笑みを浮かべると、私の頭を撫でてくれた。……はっ! もしかしてこれって甘えてると思われちゃってる? 私別に子供じゃ無いんだけど……。まぁ、悪い気分ではないのでしばらく彼女に身を委ねることにした。リサちゃんの細い指が私の髪を優しく触っていく。……気持ち良い。なんか癒されるわねこれ。リサちゃんにギュッて抱きしめて欲しいな……。
などと私が不謹慎なことを考えているとリサちゃんの表情が一変して険しくなった。
「アニータさん、静かにしてください。何か来ます」
「何か来るってまさか魔物!?」
「わかりません。……でも、気づきましたか?」
「なにを……?」
「この森、こんなに広いのに魔物がほとんどいないんですよ」
「……確かに」
こんなに歩き回っているのに魔物が一切出てこないなんて普通ならありえない。まるで、この森には魔猫しか魔物がいないかのようだ。そしてそれは恐らく正しい。
私は背中に悪寒を感じた。これはきっと危険な予兆に違いない。
「北の森には魔素に引き寄せられた魔物がたくさん集まってたけど……」
「この森にも恐らくたくさんの魔物が集まっていたのでしょう。でも今はいない……恐らく魔猫が全部食らったんです」
「……冗談でしょ?」
リサちゃんは首を横に振った。
「猫は群れる生き物ではありませんから、可能性は十分にあります」
「それが本当だとしたら、魔猫は私たちから逃げてるんじゃなくて……」
「誘い込んでる……」
「ってことになるわね」
私たちは顔を見合せて息を飲んだ。




