97話 決壊
車の中
沈黙が続く。
静かで
冷たい張り詰めた空気
結城はなぜか……とてもつない不安を感じる
澪桜の様子がいつもと違うから
チラッと視線を向けるがずっと窓の外を見ている
全く…こちらを向く気配すらない
焦りが確信に変わる
(これは……このままでは絶対にいけない気がする)
結城の全ての細胞が警笛を鳴らす
家に着いた瞬間に、結城は行動に移す
今は距離を置く為に会話をしないなんて勝手に決めた制約、それどころでは無いと思ったから。
「あのっ……あだ───」
「結城さん。」
結城が話しかけようとした瞬間
重なる言葉。
重なる声。
あと一秒間に合わなかった。
車を降りずに澪桜は静かに口を開く。
「……最後にお願いがあるんだ」
寂しそうな笑顔で結城を見つめて。
……さ……いご……?
言葉の意味すら飲み込めない結城は
呼吸を忘れる
金縛りのように動けなくなった
先程の警笛は正しかった。
ただもう、手遅れだっただけで───
ゆっくり優しい声で澪桜は謝罪を始めた
「……本当にごめんなさい。わたしが結城さんを不快にする事をしてしまったんだよね?
それなのに、毎日送り迎えしてくれてありがとう。
ごめんね、早く遠慮すれば良かったのに
君の優しさに甘えて……どうしても出来なかった。
なんとか君と仲直り出来ないかと願ってしまった。
……でももう、これ以上君に負担はかけられない」
「っ……ちっ……ちがっ」
必死に否定しようとした結城を制止するように、澪桜は優しく首を振った。
結城は言葉が出ない。理解が出来ない、したくない。
……違う。
違うんだよ……。
認めたくない。
信じたくない
それなのに
安達さんが……俺に別れを言おうとしてる事が
痛いほど伝わってくる
嫌だよ……嘘だって言って。
震える唇
言い訳も何も許されない空気に固まる
何かを飲み込み言葉をゆっくり紡ぐ澪桜。弱々しい声でそっと。
「あのね、一つだけ。最後のワガママだと思って聞いて欲しい。
初めて二人で話した公園で……少しの間、話をしたいんだ。
もう、これで本当に終わりだから。ごめんね、お願い出来ないかな?」
そう言って悲しそうに
辛そうに笑う。
儚く消えそうな見たこともない笑顔
結城は人生で一番失いたくないものを……失いかけている事を肌で感じた
視点が定まらない
心臓がバクバクと壊れそうなほど早くなる
どうしよう、どうしよう。
今何かを言わないと俺は確実に安達さんを失う。
俺のせいで……俺のこの行動のせいで
なんてことを……
結城の身体を後悔と絶望が埋め尽くす、息もできないまま
ただただ……ついて行くしかなかった。
なにか伝えたいのに
伝えないといけないのに
簡単な言葉では余計に君の心が離れていきそうで……怖い。
夕暮れの公園
陽が欠けて木々の向こう側が赤紫から青のグラデーションになっていく
初めの頃ふたりで座ったベンチ
そこに腰を落とす
結城は……ただ震えていた。
「結城さん。付き合ってくれてありがとう。
でもごめん。避けてる相手と話すのはきっと苦痛だろうに……もう、こんなことは二度とないから
一つだけ聞きたかったことがあるんだ。
それを聞いたら終わりだから」
申し訳なさそうに澪桜は何度もごめんと謝る。丁寧に頭を下げながら
「いえ……そんなことっ」
極度の緊張と不安から上手く声が、言葉が出てこない
違うって言いたいのに
喉が詰まる
「……きっとあの絵のせいだよね。
君にリクエストされて描いたあの絵。
あれが結城さんを不快にしたんだよね?
それは分かる。
だから最後に理由だけ教えてくれないかな。
どうしてあの絵を見て不快に思ったのか。
いつもは原因が分かれば後悔できた。
でも……今回は違う。
原因は分かるのに後悔すら出来なくて……辛いんだ。」
風に靡く髪を耳にかけ優しく語りかける。
その声が何処か他人行儀で
隣りに座ってるはずなのに
距離を感じる
それがものすごく……辛い
(伝えなきゃ……早く伝えなきゃ終わってしまう。
彼女が俺の前からいなくなってしまう)
焦りと恐怖が余計に結城を動けなくした
喉が閉まって開かない
安達さんの居ない人生なんて考えられない。
嫌だ、そんなの無理だ、生きる意味がなくなる。
必死で喉をこじ開ける
「それはっ……あの……」
膝に乗せた手に力が入る。
澪桜の真っ直ぐな瞳と目が合った瞬間
ヒュッ───
全身の血の気が一気に引いた
澪桜の目は優しく穏やかなのに
言葉一つ間違えたら終わる。
そんな空気をはらんでいたから
説明したいのにそれが分かるから、下手に言葉を発せられない……まとまらない。
必死に頭を回転させ最適解を導き出そうとした
だが何をどう言い繕っても……所詮は俺の独りよがり。
例え正直に伝えても、言い訳でコーティングしても
君を幻滅させる未来しか想像できない。
どうしよう、何を言っても俺は……
しばらく待ったが……答えは返ってこない。
結城の心が掻き乱れたせいで。
澪桜はふぅ……と息を吐く
ひとり結論を出した。
結城にとって最悪の結論。
「ごめんね。そうだよね……言いたくもないか。
分かっていたけど覚悟してたけど……はは。
流石に堪えるね。
そっか…………そっか。」
そう言って空を見上げた。
そっか……そう何度も繰り返し、澪桜は自分に言い聞かせる。
その光景が
その意味が分かった瞬間
結城は必死に引き留めようと手を伸ばした
指先が
澪桜の服を掠める
もう届かない───
澪桜は立ち上がり、深呼吸をする。
無理矢理笑顔を作った
結城が絶対に聞きたくなかった言葉が紡がれようとしていた
別れの言葉が。
「結城さんの気持ちは分かった。
……友達は今日で終わりにしよう。
今まで本当にごめん。無理をさせてしまったね。
酷いことして傷付けて、こんなに失望させてしまったけど、
私は君とのひとときが人生で1番楽しかった。
結城さんとの思い出は私にとってかけがえのないものだったよ。」
まだ薄暗い夕暮れと月明かりの間、微かな光に照らされた濡鴉色の髪がより美しく際立たせた
澪桜は一度だけ瞳をゆっくり閉じて、涙を堪えた
困惑したままの結城を見つめ直す
機微の分からない澪桜はその表情を自分を嫌った不快感と捉え、覚悟を決めた。
「最後に……謝らないといけない事があるんだ。」
寂しそうに笑いながら下を俯く
不安げに見上げたままの結城に視線を戻し
口を開く
絶対に伝えたかった言葉。
感謝の気持ち。
君への愛──────
「せっかく友達って言ってくれたのに、君の信頼を裏切ってしまったんだ。でも、私は嬉しくて……君に感謝を伝えたかった。」
意味が分からない結城は目を見開いたまま澪桜を見つめる
「こんな私に……人生で初めての"恋"を教えてくれてありがとう。貴方のお陰で私はとても幸せでした。」
澪桜は眉間が熱くなるのを必死に堪え
精一杯、結城に負担がかからないように
優しく優しく笑う。
丁寧に頭を下げて。
(……恋……まさか……俺に……?)
結城は現実を受け止められなくて、固まったまま思考した。
(安達さんが……俺と……同じ気持ち……?)
澪桜は淡々とスマホを操作し
画面を見せた
「はい、これで終わり。……少しは安心出来たかな?」
そこには……彼が跡形もなく居なくなったLINU画面
深呼吸し精一杯の笑顔で最後の挨拶をした
「今まで本当にありがとう。……さようなら結城さん。」
結城は一人……絶望した。
どうして俺はもっと早く気づかなかったんだ。
どうして距離を置こうなんて考えたんだ。
彼女をここまで傷つけて
自分の事ばかり考えて……
告白すら怖くて逃げて卑怯なだけだった。
安達さんの為だなんて……ただのエゴだった。
考えれば考えるほど、胸が苦しくなる。現実が受け入れられない
明日からどうやって生きたらいいの?
君がいない世界
無理だ
無理だよ……
ごめんなさい。
謝るしかできないけど
お願い、俺を許して。
安達さん、愛してるんだよ
一人でなんてもう、生きていけない。
痛くて
怖くて
耐えきれず、堪えられずに……
───決壊した
安心させようと見せた画面。
これでよしと澪桜は立ち去ろうとする
最後にもう一度だけ結城の顔を見た
時が止まる
「……結城……さん?」
結城は
静かに目を見開いたまま
1粒また1粒と
大粒の涙を流していた
澪桜はそこから動けなくなった。
薄く開いた唇から震える声が漏れた
「っ……ごめ……ごめんなさっ……」
ポロポロと溢れる涙と共に
次々と……弱々しい声が零れていく。
これ以上無いほどカッコ悪くて情けない
結城の本音。
「いやだっ……離れてっ……いかないで。……俺をっ……捨てないで」
綺麗な泣き顔のまま
彼はプライドも何もかも捨てて
澪桜に縋りつくように懇願した
「ごめ……安達さっ……お願いだから……俺をっ
……独りにっ……しないで……」
そう言って泣きじゃくる
優しく照らす街頭の下
子供のように嗚咽しながら───




