95話 アンバーの香りにさよならを
チュンチュン……
外で小鳥達が朝を知らせる
絵を描き終えた後ずっと眺めていた澪桜
頬には涙の跡、泣き腫らした目は充血していた。
ゆらりと立ち上がり重い足を無理やり動かす
「……仕事に行く準備しないとな」
濃いめのメイクで腫れを隠し
充血は目薬で取る
……今日もハーフアップしかできない。
本物の結城さんに会えるのもこれであと2回。
行きと帰りそれが終わったら───
澪桜は冷蔵庫のお弁当を手に取り
結城の待ついつもの公園の前に向かった
「おはようございます。安達さん」
少しこもった低めの声
胸が締め付けられた
目線を合わせず澪桜は会釈する
「おはよう。……結城さん」
車に乗ったら……彼をたくさん目に焼き付けよう。
また描き起こせるように。もう、忘れないように。
無言のままの車内
澪桜はおもむろに弁当を渡した。
「いつもありがとうございます。今日は少し重いんですね」
儚い笑顔で結城を見ないまま澪桜は口を開く
「……そうだよ。特別製だからね」
静かに走り出す車
チラッと視線を右に向ける
大好きな結城の横顔
助手席から見る最後の景色
優しい太陽光に照らされる結城の柔らかな髪
長くフサフサのまつ毛その隙間から、色素の薄い虹彩が光を受けてスモーキークオーツのように輝く
誰よりも美しくて眩しい
しっかりと目に焼き付けた後窓に視線を向けた
あまり見すぎたらきっと結城さんに迷惑だろう。
それに……また泣きそうになるから。
あっという間に着くユリシス前
澪桜は結城に会釈した
不穏を感じた結城は言葉を発する
「き……気をつけて!また後で安達さん。お弁当美味しく頂きますね!!」
「……結城さんもね。事故しないようにね。」
頑張って微笑む
少しでもいい印象を残したくて
明るい笑顔に見えた結城は少しホッとした顔で手を振って別れた。
残酷にもどんどんと過ぎていく時間。
澪桜は心を殺したまま、痛みを隠したまま仕事をこなす
時には冗談を言って松井を笑わせ山本に悪態をつきながら。
気付いたら業務を終える時間になっていた。
淡々としすぎたせいでほぼ記憶がない。
休憩中何をしていたのかさえ思い出せない。
気付いたら佐野も、松井も帰った後。山本もいない。
深呼吸して震える手を握りしめた
来て欲しくない時間が……刻一刻と迫る。
エレベーターに乗り込み目を瞑った
私の最後のお弁当は食べてくれただろうか。
迎えに来てもらえるのもこれで最後。
本当にあっという間だったな。
ここを出たら……終わってしまう。
エントランスの手前で足を止める。
澪桜は胸に手を当てた。
静かに深呼吸する。
気持ちをなるべく落ち着かせる。
泣くな。
彼を困らせるな。
事実を確認して、謝罪するんだ。
感謝を伝えて笑顔で終わるんだ。
大丈夫
大丈夫───
エントランスを出ると
夕日に照らされて柔らかな日差しに溶けるように
変わらず優しく微笑む結城が立っていた
あの絵と全く同じ微笑み方で───
目頭が熱くなる
一気に胸が締め付けられた。
我慢しているはずなのに。
もう……終わりにしないといけないのに。
もう会えないのに。
明日には、君は友達ではなくなってしまうのに。
顔を見た途端、また決意が揺らぐ
好きな気持ちが押し寄せる
離れたくない。
そばに居たい
声が聞きたい
一度でいいから……
君と手を繋いでみたかった。
グッと下を向きもう一度呼吸を整え
必死に涙を堪える
弱いところは見せられない。
そんな浅はかな事はしたくない。
同情を買うなんて冗談じゃない。
迷惑をかけたくない。
君の心に何一つ残す事なく、私なんか消えればいい。
ゆっくり顔を上げ
優しく微笑んだ
「お疲れ様……結城さん。」
精一杯笑う。
自然に見えるように。
結城は少し目を丸くした。
そしてゆっくり深く微笑む
「お疲れ様です。安達さん」
低く穏やかな声
ふわっと澪桜を掠める風
風に乗ってアンバーが私を包み込む
───優しく仄かに香る結城さんの匂い。
もう、この香りを感じられるのも最後。
さようなら、私の大好きなアンバー。
笑顔を見られるのも。
声を聞けるのも。
考えたくないのに
シミュレートしたくないのに
何度も何度も明日の予想をしてしまう。
君の居ない世界。
光を失った孤独の世界。
辛くて苦しい。
息が……出来ない。
血の味がするほど唇を噛み締めた。
……もう、東京に居られない───
仕事を辞めよう。
地元に帰ろう。
自分が自分でいられるように
壊れないように
永遠に結城さんの元から離れよう。
山本さんに事情を説明して
佐野くんが1人前になるのを見届けたら、帰ろう。
きっと1ヶ月もすればミスも減るだろう。
……向こうで一人暮らしをしよう。
誰にも迷惑をかけずにひっそりと生きていこう。
大丈夫、きっと楽しいさ。
その前に
最後の挨拶だ。
余計に嫌われるかもしれない。
でも前に進むために
お礼を言おう。謝ろう。
お願い……結城さん
最後のわがままだと思って
今日だけ許して
大丈夫だよ。安心して欲しい
私は直ぐに、君の世界からいなくなるから。
だからもう、面倒な送り迎えもいらないよ。
今まで本当にありがとう。
私は君みたいな優しい人と友達になれて幸せだった。
澪桜は諦めたように微笑んだ




