87話 馬鹿な女
ゆっくりコーヒーを飲みながら
頬杖をつく結城
澪桜の綺麗な顔に見蕩れていた
こんなに凝視出来ることは滅多にない
目が合うと恥ずかしいし、顔が赤くなって挙動不審になってしまうからあまり意識して見ないようにしていた。
だから遠慮なくずっとこうやって見ていられるのは正直嬉しかった。
(綺麗だなぁ……安達さんって。)
うっとりとする。
自分には無い凛とした美しさ
女性に今までこんな気持ちを感じた事は一度もない。
どんなに魅力的だと周りに言われる人にも
純粋で優しそうな人にも。
それなのに
澪桜だけは違った。
異質……
言い方は悪いがそれが一番正しい表現になる。
あの時の直感を信じて良かったと心からそう思っていた。
あの日澪桜に会ってから結城は変わった。
仕事に精を出し、評価され出世もした。重役候補と言われる程には。
いつか彼女を乗せるために車を買い、彼女が生活しやすい環境を考え家を選び引っ越した。
彼女にお金を使うため、それまでも堅実に貯めていたが今まで以上に貯蓄していった。
何となくしていた資産運用も本気を出した。
祖母が住んでいた家を改築し不労所得を得られる物件にしたり、都心にある土地を駐車場に変えた。
今は都心のマンションを購入出来るほどの貯金は蓄えてある。
それもこれも……全て彼女との未来の為───
彼女を幸せにする為。
「……楽しい?絵を描くのって。」
甘く囁いた
正直、自分でも異常だと感じている。
ストーカー未満の……ストーカーなのだと。
話したこともない女性の為に人生全てを賭けて
機会を待って確実に出会うルートを待っていたのだから。
でも、俺は何故か分からないが絶対に彼女と添い遂げる自信があった。……初めから。
どんな形であれ確実にだ。
「……楽しいよ。特に結城さんの顔は……造形がほぼ完璧で素晴らしい」
「……なんだそれ。……でも俺、人に顔褒められて嬉しいの、初めてだよ」
親友だとしても
必ず俺は君と添い遂げてみせる。
絶対に誰にも渡さない何があろうとも。
「ふふふ。勿体ない、そんな幻想的な人ならざるものな顔をしておいて。褒め言葉は素直に受け取るべきだよ、君の場合」
「人ですけど!?俺人ですけど!!たまに安達さん、語彙が全く褒めてないんだよ。気付いてないでしょ。」
ツーンとわざと拗ねてみせる。安達さんは笑っていつものように返してくれた
「いやいや!褒めてるよ!ちぎってるよ!ちぎり倒してるよ!!」
「いやいやいやいや、遠慮するなよ」
「遠慮ってなんだよ!!」
こんな子供みたいなやり取りが出来る人も人生で君だけなんだ。
だから絶対逃がさない。
君だけは絶対。
澪桜の動きがピタッと……止まる
結城が腕時計を見た
あれから2時間近く時間が過ぎていた。
楽しくて穏やかで
あっという間のひとときだった。
澪桜のまつ毛、ホクロの位置、唇の形
目を瞑れば鮮明に思い出せるほど見る事ができて
結城は大満足だった。
色々な煩悩を振り払い何事も無かったかのように尋ねた
「出来上がったの?」
「ふふ。結構良く描けたよ!……はいどうぞ」
そう言って満面の笑みの澪桜から手渡されるスケッチブック
ドキドキしながら受け取った。
ゆっくり開く
ペラっ───
止まる時間
固まったまま動けなくなる結城、目の前の光景を脳で処理できない。
目を見開きすぎて息をするのも忘れる。
想像を遥かに超えた絵を見て戸惑った
本当に……写真のようだった。
鏡で見る俺より鮮明で
フワリと揺れるカーテン
そよぐ風
風に揺られる少し癖毛の柔らかい髪
瞳や皮膚の色素の薄さ
座椅子に正座したまま、安達さんを見つめる俺
欲を全て剥き出しにした
男の顔
“愛してる”
“奪いたい”
“俺のもの”
そう言うような熱を帯びた眼差しで微笑む男がそこにいた。
その表情に───
ずっと隠していたつもりだった欲をむき出しにしている表情に……俺は絶望した
幸い君はまだ気付いてない。
写真のようにその目に映る俺を描いただけなのだから。
ただ……このままではきっと俺が君を壊してしまう。傷付けてしまう。
もう───限界だと理解してしまった。
絶対に君を失う訳にはいかない
今すぐなんとかしないと
「結城さん?……気に入らなかった?」
不思議そうに聞く澪桜
結城は目を閉じ絵をなぞる
「……いえ、すごく感動しました。本当にすごいですよ……これだけ鮮明に描けるなんて
……こんな風に……俺は君を見つめていたんですね。」
(……え?……敬語に戻ってる……?)
「結城さんっあの」
言葉を出す前に結城は立ち上がる
優しくそっとスケッチブックをちゃぶ台に置いて。
思わず澪桜は目線を上に向けた。
すると彼は微笑んでいた……人とは思えないほど悲しく優しい、そして美しい笑顔
「安達さんの絵は……本当に凄いですね。
人の心の中まで描き起こしてしまうんですから。」
結城の言葉が……遠い。
また距離が出来てしまったように感じた
結城さん……何で?
焦る澪桜
「え……あ……」
上手く語彙が出てくれない。
こんなこと今まで一度もなかったのに。
話せ!早く何か言葉を───
結城の顔が変わった
澪桜はその一瞬の変化を見逃せない。
私は感情の機微が分からない。
その分空気を読んできた。
だからこそ痛いほど分かる冷えきったこの空気。
分かりたくない
違って欲しい
でも何度も経験してきたから理解してしまう。
私は彼を傷付けた。
結城の顔を見て固まる
どうしたらいいか……分からない。
何を言えば許してもらえるのか
何に対して不快になったのか
何が───
「安達さん。」
優しくて甘いいつもの声
澪桜はビクッと肩を揺らす
心臓がバクバクと脈打つ
不安でまともに結城の顔が見られない
視界が定まらなくて……上手く息も出来ない
「すみません。少し思うところがあっただけです。そんな不安そうな顔をしないでください。本当に気に入ったんですよ。」
どこまでも優しく包み込むような声色
それが堪らなく───怖い。
結城の足元を見たまま動けなくなってしまった
いやだ……やめて。
「本当にありがとうございました。自分と向き合う事が出来ました。安達さんのおかげで。」
微笑もうとしたけどもう……出来なかった。
不安そうな君を今もなお、抱き締めたくて仕方ない。
下ろしたままの両手に力を入れて制止する。
抑えるので精一杯だった
「……向き合う……?」
なんの事だか分からない。
どんなに考えても、理解が及ばない
ただ唯一、分かったこと。
それは別れの言葉だということ。
空気が
彼の顔が
声が
そう言ってるから。
そんな、どうして───?
彼だけは……
何があっても傷付けないようにしてきたはずだった。
大切に、少しでも同じ時を過ごせるように。
でも結局こうなるのか。
私はいつも間違える。
人に寄り添えない。
気持ちが分からない。
だから私生活はいつもひとり。
今までずっとそうだった。
私が心を開くと……必ず人は離れていく
きっと私が変だから、性格が悪いから。
これ以上彼に迷惑をかけてはいけない。
離れていこうとする結城さんを不快にしてはいけない
引き止めてはいけない。
例えそれが私の意に叛くことであったとしても。
頭では前から覚悟していた
いつかこうなるって
こんな日が来るって
でもどれだけ覚悟していたとしても、いざ現実になると受け止めきれない
私はなんて脆いんだ
「すみません。この後用事があったのをすっかり忘れていました。今日は少し早めですがお暇させていただきますね。」
そう言って荷物を取り玄関に向かった
澪桜は見送ることも出来ず目線だけで彼の足元を追う
顔は見られないまま
泣かないように必死に堪え唇を噛んだ
涙だけは
見せてはいけない。
弱さなんて必要ない。
これ以上軽蔑されたくない。嫌われたくない
彼にだけは───
「そう……だったんだね。気を付けて。」
声を絞り出した
結城は寂しそうに呟いた
「また……来週。迎えに来ますから」
バタン───
静まり返る部屋
閉まったドアに向かって
もう居なくなってしまった彼に向かって
唇が微かに動いた
行かないで。
そばにいて。
声にならないまま、薄く空気だけが漏れる
ポタ───
ポタ……
暖かい雫が頬を濡らしていく
止まらない
「お願い……ひとりにしないで───」
部屋に残る彼の匂い。
温もり
彼の声
飲みかけのコーヒー。
何もかもが辛い。
さっきまで一緒に居たのに
そばにいてくれたのに
私がダメだから。
彼を失った。
私がもっと人の気持ちに寄り添えたら
もっと彼の気持ちが分かったら
もう少しだけそばにいられたのに。
ああ。そうか───
私はとっくの昔に気付いてたんだ。
だから必死に引き止めた
だから口実を作って毎日会いたかった。
だから……彼が輝いて見えた。
私はずっと前から結城さん、貴方が好きだった。
だからお弁当作ってた。
あなたの嫌いなピーマンを入れないようにした。
美味しいって言って貰えるように
毎日夜中までおかずを作ってた。
晩御飯、一緒に食べられる時間が好きだった。
助手席から横顔を見るのが好きだった。
貴方の笑顔が……大好きだった。
とっくの昔に私は……きっと貴方を愛していたのだと思う。
だから親友にしがみつこうとしてたんだ。
なんだ……
やってる事は
結城さんが嫌っていた女性達と同じじゃないか。
いや、告白すらせずに必死に友達としてしがみつこうとしていた私は彼女達以下だ。
浅はかで、姑息で
どこまでも馬鹿な女。
澪桜はひとり声を出して泣いた




