70話 もう一度だけ
結城は不安だった。
言葉では言い表せない程の不安。
元に戻れたはずだ
欲も衝動もどうにか抑え込めてるはず
それなのに
何故か安達さんが遠くに行ってしまったような……そんな焦燥感に駆られてる
昨日までの距離感とは……まるで違う
恋焦がれ愛してやまない君が
もう二度と手に入らない所に行ってしまいそうな感覚
せっかく親友にまでなれたはずなのに何故?
俺はどうすれば良かった?
そっと視線を送る
隣に静かに佇む澪桜……
君の心が……掴めない……。
まるで水のようにいとも簡単にすり抜けていく
この手に留めることが出来ない
願えば願うほど
愛すれば愛するほど
君は離れていく
昨日までは……
あんなに近くに感じていたのに。
どうしたら君の心を手に入れられる?
親友でいい。俺の願いはただそれだけなのに、その関係すら危うく感じるのは何故だ。
普通の男ならどうしてた?
もっと気の利く事を言えた?
もっと大切にできた?
どうしたらいいのか分からない。
おれは……無知だ。
愚かで下卑た……何の魅力もない男
親友の関係すら、まともに維持できない
なんて無力で非力な男。
色んな負の感情が頭を過ぎる中
チラッと……足元を見た
黒く華奢いラインが結城の足首に鈍く光る
安達さんとお揃いのアンクレット
彼女がくれたプレゼント。
俺の……大切な宝物
(君は今何を思う?俺はこんなにも君が愛しくて堪らない。
君が欲しくて……堪らない。)
固く目を閉じた
「……結城さん?どうしたの?頭痛?」
透き通るような美しくて、優しい君の声。
こんな時まで
こんな状況なのに君は変わらない
俺を気遣い心配してくれる。
それがまた辛い
自分の非力さを目の当たりにしてしまう。
君に守られてる気さえする。
俺は何も君にしてあげられないのに。
「……何でもないですよ。目にゴミが入っただけ」
軽く嘘をついた
心配させたい訳じゃない
君と元に戻りたいだけ。
「大丈夫?取れた?」
「……はい。もう取れたから大丈夫ですよ」
君の視線がもどかしい。
一瞬だけでも……俺を見てほしい。
ほんの少しだけでも……
信号停止中にふと、斜め前の看板が目に入った
いつの日かの澪桜を思い出した。
あの音色。
「……ねぇ、安達さん。少しだけお時間大丈夫ですか?」
結城は澪桜に尋ねた
本当はこのまま帰路に着く予定だった二人
不思議そうに微笑む
「?……何も予定はないから大丈夫だよ。なんだい?どこか寄りたくなった?」
「こないだ、不発で残念そうにしてましたよね?結局1曲しか歌えなかったから。」
そう言いながら看板を指さした
「もしかして……カラオケかい!?」
目の前の看板に少しだけテンションが上がった澪桜
そんな普段通りの彼女を見てほんのちょっとだけ心が軽くなる
完全に離れてしまった訳じゃない。
まだ大丈夫だ。
そう思って勇気を出して言う
「うん。もし良かったらなんですけど……その、俺と二人で……どうかな。」
照れくさそうに頬をかいた
恥ずかしい時によくやってた彼の癖。
澪桜は一瞬の結城の無邪気さに触れ嬉しそうに微笑む
「うん!行こう!結城さんの歌声がやっと聴けるんだね!楽しみだ」
俺に……ニコニコと笑ってくれた
嬉しい。凄く嬉しい。
俺は全然上手くないけど、君が笑ってくれるならなんでも歌うよ。
そんな事で喜んでくれるなら喉が裂けてもいい。
血を吐いたって構わない。
君の為なら何だって捧げられる。
それくらい……君が好きなんだ。
本当に、好きなんだよ
「……ありがとう、嬉しい。」
「……でも、結城さんから言ってくれるとはね。カラオケ好きそうじゃなかったのに。どうしたんだい??」
ウキウキしながら笑って聞いた
結城は薄く口を開く
「……あの日歌ってた、アリアの曲。俺の前で歌ってくれませんか?」
もう一度だけ、もう一度だけでいい。
あの曲が聴きたいんだ
君の歌声で。
楽しそうに頷く澪桜を見て
結城は切なそうに深く微笑んだ




