42話 傷と恥
就業時間が終わりを迎える頃
疎らになったオフィスの中で
2人は少し会話をしながら帰る支度をしたいた。
「……ふー……なんとかなったな。いや、やばかった……今回は」
山本がデスクで天を仰ぎながら腕を伸ばす
「はい。営業部の上野さんが機転を聞かせてくれて本当に良かったですね」
澪桜が淡々と言う
「あんの……中田め! 全然反省してやがらねぇ!!! お前に担当変わった途端、ネイルと顔ばっか触ってたぞずっと!!! 仕事しろ!!!」
イラついたのか
煙草を吸いたそうに頭をわしわしする。
「……はい。見ました。こればっかりは……人の仕事に対する意識を変えるのって1番難しいですからねぇ」
「……あいつお前より年上だしな。……無理か」
「……そうなんですね。……それはちょっともう無理かもですね」
二人でため息を着く。
澪桜の精査能力と営業部の上野と山本が直ぐに動いたお陰で取引先とも事なきを得た。
ただ澪桜は心を痛めたままだった。
(やはり、あれだけあからさまに嫌われると、気にしないようにしていても痛いものは痛い。理由も分からない。だから反省も後悔もしょうがない。彼女との接点は同じ部署というだけだったから)
デスクに戻り、柔らかなチェアに腰を落とす。澪桜の体重を優しく分散させて体に馴染んだ。貴重品を入れている引き出しの鍵を開けて、鞄を取り出す。……だが、思考は止まらない。
(会話もほぼ交わしたことが無い。それなのに……なんで私はこうも人を不快にするのだろう。……辞めた方が人の為なのだろうか)
カバンを両手で握ったまま動かない。
不思議に思った山本は声をかけた。
「……安達? 帰らねぇのか?」
その声にハッと意識を引き戻し、首を振る。
(いや、これ以上考えるのはやめておこう。落ちるだけだ)
「では、私も帰ります。お疲れ様でした」
気持ちを切り返え、頭を下げた。
「おう! 周に宜しくな」
「はい。失礼します」
いつものようにオフィスを出ようとした足が止まる。
聞き捨てならない山本の声に澪桜はガバッと振り返った。
物凄いがに股で。
「っ!!! ……何故それを!?」
クックッと肩を揺らし笑う山本。
「仲良さそうで何よりだよ。あいつ楽しそうに話してたぞお前のこと」
本当は違う。
切なそうに話してた。
愛しくて堪らないというように。
だが山本は隠す。
「っ……筒抜けか……この二人はっ」
今更その事実に気付く澪桜。
どんどんと頬を赤らめていく。
「……弁当。死ぬほど喜んでたぞ」
ニヤッと笑って澪桜にとどめを刺した。
クリーンヒットした澪桜はのけぞりばしばしとカバンを太ももに叩きつける。痛みで恥ずかしさを緩和するように。
「ぐあああああ!!! 結城さんめぇぇぇぇぇ!! 余計な事をペラペラとぉぉぉぉ!!!」
つい怒りの矛先が結城に向いた。
(恥ずかしい! 何故それをを嬉々として伝えるんだ! 食費出して貰って、ランチご馳走してもらって、映画まで連れてって貰ったから、帰りにお弁当箱をサプライズで購入しただけなのに。結城さんの普段の昼食が血糖値爆弾だったからお弁当作ってあげたくなっただけなのにっ!)
「おいおい、何照れてんだよ」
「照れてません!! 失礼します!!!」
普段ならありえないほど感情を剥き出しにして山本に言い放ち、オフィスをで出た。
(結城さんめ! 覚えてろよ!! 絶対後で説教してやる!!! 口が軽い男は嫌われるって! ばあちゃんが言ってたぞって!!)
人から聞いた知識しかない女。
ふんふんと息を巻いてエレベーターを降りる。
エントランスを出ると、澪桜の会社のすぐ近くで車を停めて立って待つ結城の姿があった。
夕焼けを浴びて結城の色素の薄い髪が輝き、彼を淡く照らす。
仕事帰りのスーツ姿の結城。
ほのかに風に乗ってアンバーが香る。
心が落ち着く……澪桜好みの優しい香り。
「お疲れ様です。……安達さん」
優しく澪桜へ微笑みかける。柔らかくて穏やかな瞳が澪桜を捕えた。
視線を……晒せない。
怒っていたはずなのに。
先程まで感じていたグチャグチャな感情の何もかもを無かったことにされた。
低く柔らかな声が。
その笑みが。
……一瞬で澪桜の心を溶かす。
(ぐぅぅ! 説教してやるんだ!!)
心の中で自分を奮い立たせようとするが、全く言葉が出ない。
それどころかて……感情が穏やかな凪になっている事に気づく。
結城と視線が合っただけで、何故か全てを許してしまったようだ。
なんでなのか
自分の気持ちが
澪桜は分からない。
(いや―――。……分からなくていい。深く考えなくていい。大切な友達なんだ)
自分に言い聞かせるように瞳を閉じる。
「……? 安達さん?」
不思議そうな声の方へゆっくり視線を戻し、目を細めた。
(彼は……そう―――誰よりも大切な友達だ)
もう一度深く目を閉じ
澪桜はそう自分に諭す。
「お疲れ様……結城さん」
夕陽に溶け込むように佇む彼の姿を噛み締めながら、ゆっくりと笑みを返した。




