209話 澪桜、クレストリンクに行く
「おおー! さすが有名大企業〜。周さん、本当にこんなとこで働いているのか。すごー」
街路樹の影の下に立って手で太陽を遮りながら見上げる澪桜。
そびえ立つ、どデカい建物。
全面黒いガラス張りで周りの景色を鏡のように反射する。
会社の入口には銀色の文字で
CrestLink Japan, Inc.
と表記されている。
玄関口を見ると美しいエントランスに、滑らかに開閉する大きな自動ドア。しかも二つ。
たまに覗く中のロビーがまたキラキラして綺麗で。
まるでホテルのようだった。
「潰れかけの私の会社とは月とスッポンだな」
そんな風に自虐しながら、出入りする人達に視線を送る。周が出てきても見逃さないように。
せっかく先程涼んだばかりなのに、またうっすらと汗が滲んできた。
このままじゃ、周に臭いと思われるかもしれない。
それは良くないと、もう一度バフをかける為に鞄を漁る澪桜の耳に、
松井に似た可憐で細い声が響いた。
「あの、すみません」
声のする方に視線を向けると、とても可愛らしい小動物のような女性が澪桜を見上げていた。
「はい、なんでしょう?」
そう、柔らかく微笑んで返したが何故か女性はオドオドしながら口を開く。
「えっと、あの。いきなりお声かけしてしまってすみません……もし違っていたら申し訳ないのですが、結城マネージャーのご婚約者様ではございませんか?」
その言葉に澪桜は目を見開いた。小柄な女性に視線を落として頷く。
「……はい。そうですけど……どうして?」
すると不安げだった女性の顔が朗らかに華やいだ。
「やっぱり! 少し印象が違ったので一瞬迷いましたがお声かけして良かった! ……って、すみません。申し遅れました、新規事業開発部で働いております、佐々木と申します。以前、お二人でお食事されている所を、お見かけした事がございまして」
「安達です……そうだったんですね。でも婚約者って」
澪桜は頭を下げながら首を傾げた。指輪してるからってこんな大企業でなぜ一社員の婚約事情を知られてる?
「あ、結城マネージャーが指輪を指摘される度に嬉々として至る所で語ってらっしゃるので、うちの部署で婚約を知らない人間はもう居ないと思います。多分、他部署の者も知ってるかと」
「っ!? ……あのアホめ」
澪桜は恥ずかしさのあまり、紅潮した目元を片手で覆う。
(……やっぱり何となく、結城マネージャーと仕草が似てる)
佐々木は澪桜の反応に切なく微笑んだ。
「もしかして、結城マネージャーをお待ちですか?」
「ん? ……はい。そうですね。今日は私の方が早く終わったので」
「あの、もし宜しければうちのオフィスラウンジでお待ちになられませんか? こんな所で待っていたら、熱中症になるかもしれませんから!」
「え……でも私、部外者ですし……」
「私がお連れしますのでご安心を! でないとずっとここで、立って待ってる気ですよね? 流石にほっとけないので! さ、行きましょ」
澪桜の手を、女の子らしい小さな手が一生懸命引っ張る。初対面に近いのに、その飾りっけのない優しさがなんか可愛くて拒めなかった。ただちょっと恥ずかしくて照れを隠した。
「いや!? 塩飴舐めるから全然大丈夫ですよ〜」
佐々木に連れられてエントランスを抜けると、そこは別世界。
高い天井、受付カウンターには女優のように美しい女性達が品良く並ぶ。
館内は抜けるように明るく、自分が写りそうなほど磨き上げられた床が光を反射して輝いていた。
そしてなにより、なんかオシャレないい匂い。
ディフューザーだろうか。ネロリとラベンダーが心地よい。
物珍しげに館内を見渡していると、佐々木がカフェのようなブースへ案内してくれた。
「何飲まれますか? オレンジジュース、紅茶、コーヒー、レモン水とありますが」
「じゃあ、レモン水で」
澪桜はラ・フランスみたいな形の椅子に腰を落とす。佐々木が入れてくれたレモン水に口を付けると一気に冷たさが体に広がっていく。座ってからずっと凝視されてる事が流石に気まずくて、眉を下げた。
「……なんでしょう?」
「はっ! ……すみません、仕草と雰囲気がかっこいいなとつい。……流石結城マネージャーを射止めたご婚約者だなって」
つい、本当に魅入ってしまったことを誤魔化すように、嫌味を言ってしまう。
「……はは。女っぽくないでしょう? これでも直す努力をしてるんですよ。でも、この歳になると人はなかなか性質を変えられないものですね」
澪桜は憂いを浮かべたまま微笑んだ。
てっきり自己賞賛とマウントで返されると思ったのに。
(どうして婚約者の座にいる貴女がそんな、寂しそうなの?)
澪桜からは何の敵意も感じない。
今までに話した事がないタイプの女性だと気付いた佐々木はつい、口を開く。
「……でもそこを結城マネージャーは好まれたんじゃないでしょうか。普段、あんなに隙のない完璧なマネージャーなのに。指輪の話をする時だけは朗らかになさるんです。それが答えだと思います」
思わず恋敵を慰めるようなことを口走ってしまった挙句、しょっちゅう周を見てしまってることを暴露した自分に驚く。
バツが悪そうに澪桜を見ると、肩を揺らしイタズラに笑っていた。
(もしかして……私の気持ちがバレた!?)
「……へぇ。そんなに隙の無い鬼軍曹なんですか? その結城マネージャーとやらは。もっと聞かせてほしいなぁそこんとこ」
澪桜が笑っていたのは佐々木の気持ちに気付いたからではなさそうだった。
そこにホッとしたのもつかの間、佐々木は窮地に追いやられる。
「おにぐ……!? いや〜その〜。うちでは決して近付いてはならない、観賞用イケメンと言われてるとか、サイコ菩薩とか……猛毒の貴公子とか……えっと……」
取り繕おうとするも、墓穴。
「なんですかその羅列は!? あははははははは! も、猛毒の貴公子!? サイコ菩薩!? 厨二病の匂いがすごい! 周さん、一体仕事中、どんだけやな奴なんだ!? ……ぶぶっ後で教えてやろ」
「あ、いえ! 決してそのような……少し厳しくて、三度以上同じミスはよっぽどの理由が無いと許してくれないというか……えーと、今の忘れてくださいぃぃ怒られてしまいますぅぅぅ」
「あははは! わかりました。こんなに可憐で見目麗しい女性の頼みは無下に出来ないので、サイコ菩薩と猛毒の貴公子は封印しましょう……ぷぷっ」
「っ!?」
サラリと褒める澪桜に驚く。
こんな褒められ方した事なくて、目が泳いだ。
動揺を隠すように跳ねる声で話題を変える。
「そっ……それより結城マネージャーのプライベートってお聞きしてもよろしいですか!?」
「ん? プライベート? 別にいいですよ。……んー、そうだなぁ。タイムリーな話だと……昨日、トイレ掃除する時、隅から隅まで綺麗に拭いてるさまが必死過ぎて死ぬほどかっこ悪かった事とか?」
「ええ!?」
「クイックルワイパーしてる時、間違えて柄の部分がみぞおちに入って悶絶したりとか」
「えええ!?」
「それから―――ふぐっ」
フワッと香るアンバーと共に、大きな手が澪桜の唇を優しく塞いだ。
「……それ以上はダメ。……というか何してんのこんな所で」
後ろから低く甘い声が響く。
見上げると周が熱を滲ませて微笑んでいた。
「っぷは、周さん! おつ!」
楽しそうな澪桜の頭を撫でながら言葉を続けた。
「ふふ、お疲れ様。ところでねぇ澪桜さん。俺の部下に変なこと言うの止めようね? 佐々木さんも、僕のプライベートをフィアンセから聞くのは遠慮して貰えないかな?」
微笑んだままだが目が笑ってない事を察して佐々木が勢いよく頭を下げる。
「もっ申し訳」
「あー、違う違う。佐々木さんは退社しようとしていたのに、わざわざ初対面に近い私に声をかけて熱中症にならないように中に入れてくれたんだよ」
「……え? そうなの?」
「あ……えっと」
「だから感謝しかないよ。で、私の方から聞いたんだ。周さん、普段どんな感じなのかなって」
澪桜がお礼を言うように、事の経緯を説明する。
周の視線が柔らかく、溶けていった。
そのまま佐々木に視線を向けて丁寧に頭を下げる。
「そうだったんだ。佐々木さん、僕のフィアンセに親切にしてくれてどうもありがとう。それから、勘違いしてすみません」
「あっいえ!! 滅相もない」
「じゃあ帰ろうか澪桜さん。あ、そうだ。お礼にもならないけど、佐々木さんももし良かったら車で送るよ?」
「ぇぇえ!? とっとんでもないです! 私は大丈夫なので!!」
「え? そう? ……それならいいけど。佐々木さんも気を付けて、お疲れ様」
「お……お疲れ様です」
せっかくのチャンスを焦りから棒に振ってしまった佐々木は寂しそうに呟いた。
エントランスに向かう二人の後ろ姿を眺めていると、澪桜が振り返る。束ねられた黒髪が規則正しく揺れた。
「佐々木さん」
佐々木は顔を上げる。
「今日は本当にありがとう。すごく楽しかった。もし良かったらまた話をしよう」
中性的な透き通る声と爽やかな微笑み。
女の汚れた部分や計算など何一つ纏わない凛とした姿に、佐々木は声も出せないまま頷いた。
二人のいないロビーで一人、胸を抑えて呟く。
「……どうしよう……推しが増えた……」
***
パチッ
玄関の照明を付けて周が口を開く。
「いやでもびっくりしたよ。澪桜さんに似た人がロビーにいるんだもん。二度見したよ」
「たまには私の方から迎えに行くのもいいかなってねぇ。サプラーイズ!」
「悔しいけどサプライズ成功。迎えに来てくれてありがとう、正直顔がニヤつくくらい嬉しかった」
周の柔らかな視線に、満足げに頷いて、澪桜は靴を脱いだ。
彼女の頭を優しく撫でて甘やかすように囁く。
「……さ、澪桜さん、先にお風呂はいっておいでよ。今日は嬉しかったお返しに俺が得意のパスタをご馳走しよう」
「えぇ〜? いいのかい?! じゃあお言葉に甘えよう!待たせちゃ悪いからいつもより早めに上がってくるよ!」
澪桜は軽い足取りで、そのまま洗面所のほうに向かった。
周は澪桜の靴と自分の靴をシューズラックに収納する。
玄関に置きっぱなしになった澪桜のリクルートバッグ。
「……ったく、仕方ないな」
微笑みながら持ち手を掴もうとしたら、手が滑った。
「あっ」
バササ
そのまま倒れて、漏れ出るカバンの中身。
慌てて戻そうとした時。
ひとつの本が床に落ちる。
拾ってカバンに入れようとした時、
つい、本のタイトルを目で追ってしまった。
ヒュッ
何かに心臓を掴まれるような感覚。
「……そんな……そんな……」
そのタイトルは周の不安を確信にかえるには十分すぎる内容だった。




