110話 侘び寂び
そよ風に乗って、青々とした竹林の香りが鼻を抜ける。
「これやこの〜行くも帰るも別れては〜知るも知らぬも逢坂の関〜」
ローストビーフ丼を平らげたあと、
俺たちは小町通りを抜けて、ずっと来てみたかった竹林の寺へ向かった。
そして今、澪桜さんは───
手元にお抹茶を持って幸せそうに何か一句詠んでいる。
「……」
俺は少しざらついた手触りの茶碗に入った抹茶を揺らしながら口に運んだ
まろやかな渋みと芳醇な茶葉の香りが口に広がる
ホッとする味だ
俺もやっぱり日本人なんだな、と思いながら
目の前の鮮やかな竹林と足元に広がる枯山水に心を奪われていた。
都会の喧騒からは想像出来ない、浮世離れした情緒溢れる美しさ。
境内にあるカフェで景色を楽しみながら、広い縁側に置かれた座布団に並んで腰を下ろしている。
「春過ぎて〜夏来にけらし白妙の〜衣ほすちょう天の香久山〜」
左耳からはよく分からない一句がまた聞こえてくる。
(うん。……それさっきから何??)
それにしてもさっきはびっくりした。
澪桜さんがまさか、甘い恋人っぽい話を一生懸命しようとしていたなんて。(できてなかったけど。)
今もそうなのかな?なんて少し自惚れてみた。
「それ、さっきから何?百人一首っぽいけど……」
適当に知ってる言葉を口にする。
すると澪桜さんが弾ける笑顔で俺の方を向いた
「よくご存知で!!流石周さんだねぇ!最初の方の句だよ!順不同だけどね☆なんか風流だから口から出てしまった」
「へぇ、よく覚えてるね。」
なんだ、やっぱり自惚れだった。
そんなふうに思いながら最中を口にする。
こちらを向いた澪桜さんが髪を耳にかけながら頷いた。
「うちの高校の必須科目だったからねぇ。あの頃は大変だったよ源平合戦……」
「カルタみたいなやつ?パーンて取るあれ?」
「そう!!!大会苦手だったんだよ……ドキドキしちゃって。」
「あはは、澪桜さんっぽい。……でも覚えたんでしょ?」
「それはもう!覚えないとテストやばいからね。だってあれ100首覚えたら中間と期末テスト100点だから。1回だけだけど。」
「えええ!?暗記苦手な人最悪じゃん。しかも1時間で書かないといけないの?全首!?俺苦手だな〜そういうの」
「そんなこと言ってしれっと高得点取ってそうだけどねぇ」
「それは買いかぶりすぎ。苦手な事だらけだよ俺、知ってるでしょ?」
眉を下げて言う
すると同じような表情で返してくれた。
「そうかな?あ、ちなみに百人一首の一首目はコレ。
秋の田の〜かりほの庵の苫をあらみ〜我が衣では露に濡れつつ〜」
「それ、意味は分かるの?どんな意味?」
「……いや知らん!何か稲穂でも借りたんじゃないの?隣の人から!んでビシャビシャだったから最悪ぅ的な!」
……うん、多分違う。
調べはしないけど、絶対そんな感じじゃないと思う。
それ、わざわざ歌う必要ないもん
「まぁ、うん。……きっとそうだね、うん。」
彼女の言った情景が頭の中に浮かんで笑えてしまった
一応肯定しながらも笑いが零れる
俺がツボに入ってる事に気付いた澪桜さんが顔を覗き込んできた
「……あれ?私何か変なこといいましたかぁ??」
「はい。ずっと変です」
「ずっと!?」
周の雑なつっこみにぷはっと吹き出してしまう澪桜
楽しさに浸りながら美しい曲線を描く枯山水に目を向けた
「はぁ〜。にしても本当に癒される、侘び寂びと言うやつだね!私、ここに連れて来て貰えて本当に幸せだよ。」
そんな風に言って貰えて俺の方こそ幸せだよ澪桜さん。
愛しくてつい髪を撫でたくなる手を抑え
同じように枯山水に目を向けて呟く
抹茶のキリッとした香りに溶けて、微かに感じる白檀に酔いしれながら。
「良かった。俺も好きだよこの景色、……枯山水。でもどうして昔の人は水を引かなかったんだろうね、池とか。ここ数百年前からあるお寺らしいけど。」
抹茶を飲んでいた澪桜が茶碗を置き、静かに周の方に目線を向けて優しく語る
「……昔はさ、水を引くだけで莫大なコストがかかったんじゃないかな?だからこうやって、砂と石を敷き詰めて水に見立てた。凄いよね、本物の水なんかよりよっぽど美しいんだから。過去の偉人に感服だよ。」
「……俺は君に感服してるよ。俺の疑問、気持ちに何もかもに答えてくれる。」
「諸説あるし、間違えてる前提で聞いた方がいいよ。私の言動は」
「それでも俺は君の言葉をリスペクトするけどね」
優しい風が二人の間に流れる
交わされる視線
しかし直ぐに澪桜から外された
「はいはい。……所でさっき入口のあのミニ枯山水見た!?」
照れたように頬を赤らめ流される。
ちょっと残念。
こういう甘さは小出しにしてはダメだな。
そう思いながら言葉を返した
「あったね、ミニ枯山水。……欲しくなった?」
「欲しい!……でもうちの家には置く場所がないからねぇ。……断念だよ。床に置いてたら蹴飛ばして砂が大惨事だろうからね!」
「あれは飾る物で床に置くものではないからね……あ、俺が買うよ。俺の家なら飾れるし、今度遊びに来て楽しんだらいい」
「あっ……周さんの……家!?!?」
「そうだよ。……?何を今更そんな驚いてるの?俺、毎日澪桜さんの家に遊びに行ってるでしょ。因みに変な他意はないよ」
分かってると思うけど念の為付け加える
怖がらせたい訳じゃないし。
「うん、分かってる。それはそうなんだけど……想像できない……」
「ん?何の?」
「君が生活してるとこ。」
「いや!俺生きてるからね!?いい加減人として扱ってよ!?掃除だってめっちゃしてるし!コロコロもフローリングワイパーも、掃除機も、風呂にトイレ掃除も!」
「……風呂にトイレ掃除……あはははは!無理だ!想像できない」
周りを気にして静かに、だけどものすごく声を殺し爆笑している。……不本意だ!
「してよ!諦めるなよ!!君の未来の旦那さん結構あれだよ!?家事スペック高いよ!?料理以外は!」
必死にアピールする俺を見て笑いながら答えてくれた
「ひひっ……まぁ、どんな家か正直気になるし近いうちにお邪魔しに伺うよ。」
「……うん、いつでもおいで。
ふふ、じゃあ澪桜さんの大好きなお菓子ストックしとかないとね☆ガリガリのやつ」
軽く冗談混じりに言う
プレッシャーに感じて欲しくない。
いつかでいいから、気が向いたら来て欲しい。
「君よく覚えてるよね。私が好きって言った物。今日も車に準備してくれてたし。グミも。」
「それはもう!!澪桜さんが大好きだからね!って……あ!ごめんまた言っちゃった。あんま言うなって言われたばっかなのに」
焦って謝る
いけないいけない。テンションが上がるとつい口から本音が出てしまう、気をつけな──────
澪桜さんがふいに俺の髪に触れる
一瞬の出来事にびっくりして目を見開いた
(俺がさっきしようとしてた事……)
「周さんは……いつまでもそのままでいてね。」
絹のような髪が風に靡く。
儚く美しい笑顔で言う
息を飲むほど綺麗で。
言葉を失う。
「…………。変われないよ……一生」
君が傍にいる限り──────
周は切なそうに俯いて言った
君は今何を思ってそう言ってくれてるの?
分からない。
分からないけど
今日の事は一生忘れない。
この景色もそこに佇む美しい君の顔も声も。
俺の中で永遠に。
だから変わらない。
約束するよ




