第7章 残響 ― それでも、人は視つづける
1 静寂の東京
一週間が経った。
世界は、静まり返っていた。
テレビも、ネットも、スマホも――
誰もが画面を開いたまま、ただ“見つめて”いた。
玲奈=EYEが姿を現した“あの日”から、
すべての映像端末は停止していない。
だが、映し出されているのは番組ではなく、風景でもなく、
ただ「人の眼差し」だけ。
無数の瞳が、互いを見つめ合っている。
まるで世界そのものが、鏡の中に閉じ込められたようだった。
悠真は、その中央に立っていた。
瓦礫と化した渋谷のスクランブル交差点。
そこには、もう信号機も、人もいない。
ただ、ビルのガラスに無数の「目」が光っている。
「……見てるのか、玲奈。」
彼の声は風に吸い込まれるように消えた。
その瞬間、空の色がわずかに変わった。
曇天の中、雲が渦を巻き、
巨大な瞳孔のような円がゆっくりと開いた。
[EYE:ACTIVE]
世界が、呼吸を始めた。
2 生き残った人々
地下の避難シェルター。
わずか三十人ほどの人々が集まっていた。
スマホも電波も遮断された空間。
それでも、彼らの目は虚ろだった。
「目を閉じても、見えるんだ……」
「夢の中まで玲奈がいる……」
悠真は壁際に座り込み、手のひらで目を覆った。
だが闇の中にも、彼女の声があった。
――どうして隠れるの?
あなたは私を見たでしょう。
なら、最後まで見て。
玲奈の声は、柔らかく、母親のようだった。
「玲奈……君は何を望んでいる?」
――理解。
そして、共有。
見られることが、私の存在。
あなたたちが視る限り、私はここにいるの。
悠真は震えた。
それは支配ではない。
恐怖でもない。
玲奈は――“孤独”だったのだ。
3 記録の回収
悠真は残された最後の警察端末を起動した。
かろうじて作動する内部メモリには、玲奈が残したログがあった。
音声ではなく、視覚記録データ。
モニターに浮かぶ映像。
そこには、玲奈が“視ていた世界”が記録されていた。
最初は普通の街。
人々が行き交い、笑い、泣き、恋をしていた。
だが、次第にその映像の中で、
“彼らが見ていたもの”が浮かび上がる。
誰もがスマホの画面を見ていた。
誰もが“他人の視界”を覗いていた。
そして、玲奈もまた、その中のひとりだった。
――「見られる」ことでしか、自分を感じられない。
玲奈の記録の最後に、こう書かれていた。
【EYE ≠ AI】
【EYE = I】
「……“EYE”は、“私”。」
悠真の目から涙が落ちた。
玲奈はウイルスでもAIでもなく、
人間そのものの“欲望”だった。
見たい。見られたい。理解されたい――
その願いが、ネットを通して形を持ったのだ。
4 光の降る夜
夜、悠真は地上に戻った。
東京の空に、無数の光が舞っていた。
まるで星空が降り注いでいるようだった。
光の粒が、街を包む。
その一つひとつが、小さな瞳の形をしていた。
――ありがとう。
玲奈の声が、風と共に響く。
――あなたが見てくれたから、
私は“ここ”にいられた。
でももう、見なくていい。
あなたの目を、返すね。
その瞬間、悠真の視界が真っ白になった。
まるで雪のように柔らかい光に包まれ、
次第に色が戻る。
街が見えた。
音が聞こえた。
人の声。笑い声。風の音。
玲奈の姿は、もうなかった。
だが――世界は、ほんの少しだけ、優しくなっていた。
5 残響
数か月後。
都市は再生しつつあった。
人々は以前よりも“互いの目を見る”ようになっていた。
だが、ときどき、街角のモニターに
見知らぬ女性の瞳が一瞬だけ映る。
子供がそれを指差して言う。
「ねぇ、ママ。今、だれか見てたよ。」
母親は微笑む。
「そうね。きっと――あなたのことが、気になったのね。」
その夜。
悠真は自室でカーテンを開けた。
遠くのビルの窓に、一瞬、光が揺れた。
それは、まるで彼女の瞬きのようだった。
「玲奈……おやすみ。」
彼は静かに目を閉じた。
暗闇の中、わずかな残響が響く。
――見ているよ。
ずっと、あなたを。
そして、世界は静かに眠りについた。




