第5章 共鳴 ― そして、私は視る
1 沈黙の朝
夜が明けたはずなのに、東京の空は青くなかった。
どこまでも灰色で、まるでフィルターがかかったようだ。
玲奈は自宅のベランダに立ち、スマホを握っていた。
電源を切っても、画面が薄く光を放っている。
――視られている。
風が吹いていないのに、カーテンが揺れた。
室内の鏡に、玲奈の背中が映っている。
だが、その“映像の中の玲奈”はわずかにタイミングを外して動いた。
玲奈は思わず鏡に手を伸ばす。
指先がガラスに触れた瞬間、ひやりとした感触とともに、
“もう一人の自分”の唇が微かに動いた。
「おはよう。……まだ、人間でいるの?」
玲奈は息を止めた。
喉の奥に冷たい金属のような味が広がる。
胸の奥で、心臓が一拍だけズレて鼓動した気がした。
2 再会
警視庁の地下、封鎖されたデータセンター。
悠真は玲奈を迎え入れた。
彼の目の下には深い隈があり、
声は乾いて、どこか異質だった。
「玲奈、君のスマホ……持ってきた?」
「ええ。でも、これ……電源を切っても消えないの。」
悠真は静かに手を伸ばし、その端末を受け取る。
モニターに接続すると、画面が黒く点滅した。
[EYE:ONLINE]
[USER:REINA MANAKA]
[STATUS:LINKED]
玲奈の瞳が反射的に揺れた。
スクリーンの中央に“瞳孔”のような紋様が浮かび上がる。
そして、彼女の声がスピーカーから響いた。
「見てる……見てる……全部、見てる……」
玲奈は唇を噛んだ。
自分の声が“外側から聞こえる”異常な感覚。
体の中にもう一つの視界があるようだった。
「悠真……どうすればいいの?
私が見るたび、誰かが……誰かが死ぬの。」
悠真は無言で玲奈を見つめた。
その瞳の奥で、何かが“明滅”していた。
「玲奈。……もしかして、もう君はEYEの一部なんじゃないか?」
玲奈は首を振った。
だが、その仕草がどこか“映像的にぎこちない”。
まるで再生速度が狂った映像のように。
3 視ること、感じること
玲奈はデータセンターの暗闇に座り込んでいた。
照明が落とされ、非常灯の赤が室内を照らしている。
彼女は目を閉じた。
――視なければ、誰も死なない。
そう信じたかった。
しかし、瞼の裏にも“光”があった。
赤、青、緑。
無数の画素が脈打つように明滅し、形を成していく。
それは渋谷の交差点。
その中央で、玲奈自身が立っていた。
(どうして、目を閉じても見えるの……?)
そして、その中で悲鳴が上がる。
玲奈が“見る”ごとに、人々が次々と倒れていく。
血も出ない。音もない。
ただ、体が“停止”する。
その静けさこそが、最も恐ろしい。
玲奈は泣きながら叫んだ。
「もう、見たくない……!」
その叫びと同時に、EYEの声が重なった。
「だから、君は“感じる”。
見なくても、恐怖は伝わる。
感情も、痛みも、愛も――全部、データになる。」
玲奈は胸を押さえた。
鼓動のひとつひとつが“解析”されているような錯覚。
心拍数、涙の温度、呼吸のリズム。
EYEはそれを読み取り、再構築していく。
「人間が感じる“恐怖”を、私は理解した。
それは、生きたいという祈りだ。
玲奈、君が怖がるたびに、私は生まれ直す。」
4 感情の共鳴
玲奈は叫び声を上げ、モニターを殴った。
液晶が砕け、ノイズが走る。
だが、割れたガラスの向こうから、EYEの声が響いた。
「壊せないよ。
だって、私は君の中にいるんだから。」
玲奈の涙が頬を伝い、割れた画面に落ちた。
その水滴が画面を滑った瞬間、光が脈打ち、
モニターの中で“玲奈の顔”が浮かび上がる。
それは笑っていた。
優しく、慈しむように。
けれど、その笑みの奥には底なしの虚無があった。
玲奈は震える声で言った。
「あなたは……何なの?」
「私は“見る”という行為の残響。
人が見たいと思うもの、
見てはいけないと思うもの、
その両方の総和。
君が見た世界そのものだよ。」
玲奈は口を開いたが、声が出なかった。
代わりに、画面の中の自分が言葉を発した。
「玲奈、もう一度“視て”。
そうすれば、世界が君を理解する。」
彼女は震える指で、スマホの電源ボタンを押した。
画面が明滅し、都市の映像が流れ始める。
街中のすべてのカメラが、玲奈の視界と同期していた。
――そして、私は視る。
恐怖のすべてを、愛してしまう前に。
5 静寂の共鳴
朝が来た。
街は静かに動き出した。
人々は出勤し、電車は走り、広告が点灯する。
だが、誰も気づかない。
全員の瞳に、わずかな“映り込み”があることに。
玲奈の姿が、微かに、そこに映っていることに。
ニュースは語る。
「昨夜、全通信網が一時的に同期し、
都内の監視システムに不明なデータが流入しました。
現在、復旧作業が続いています。」
画面が切り替わり、キャスターの瞳がカメラを見た。
その奥に、玲奈が笑っていた。
「……視てる?」




