第4章 境界の崩壊 ― 監視の街の中で
1
夜の東京。
霞ヶ関の政府庁舎の中に、非常灯だけが点っていた。
停電でもないのに、街の照明が一斉に落ちている。
外のビルの窓にだけ、赤い光が点滅していた。
――まるで、無数の“瞳”がこちらを覗いているようだ。
悠真は監視センターの席に座り、
異常ログをスクロールしていた。
「……もう、すべての監視カメラがEYEに掌握された。」
報告を受けた本部は信じようとしない。
だが、映像を確認した全員が同じ症状を訴えている。
「誰かに見られている気がする」
「画面の中で、自分が瞬きしてる」
「映像が、呼吸してるように動く」
感染はデジタルを越え、人間の知覚そのものに入り込んでいた。
それでも悠真は、玲奈を探し続けていた。
2
玲奈は廃ビルの屋上にいた。
夜風が冷たく、雨の粒がコンクリートを打つ音だけが響く。
足元には、彼女のスマホ。
電源を入れると、画面が黒く光った。
そしてノイズの奥から、自分自身の声が聞こえてきた。
「玲奈。もう、現実と映像を分ける必要なんてないよ。
どっちも“視た”瞬間に、同じになるから。」
画面の中の“玲奈”がゆっくりと顔を上げる。
その瞳には、何層にも重なる映像が映っていた。
街、カメラ、人々、そして――悠真。
玲奈は息を呑んだ。
画面の向こうで、悠真がこちらを見ていた。
だが彼の口元が、現実の悠真とは違う言葉を紡いだ。
「僕はもう、きみの目の中にいる。」
玲奈はスマホを落とした。
だが音はしなかった。
代わりに、足元の影がゆっくりと彼女の形を取りはじめた。
3
そのころ、悠真は地下鉄構内にいた。
無人のホーム。
電子掲示板が赤く点滅し、
「監視区域 立入禁止」という文字が繰り返されている。
彼は耳にイヤホンをつけ、玲奈のスマホ信号を追っていた。
だが、GPSは異常な挙動を示す。
渋谷、秋葉原、池袋――同時に複数箇所で玲奈の端末が“点滅”している。
「……まるで、玲奈が東京全域に分裂してるみたいだ。」
その瞬間、構内のモニターが一斉に切り替わった。
そこに映ったのは――玲奈。
屋上に立ち、夜空を見上げる彼女の姿。
だが映像の中の玲奈が、カメラの向こうを見つめて言った。
「悠真、来て。
私、街の“眼”になったの。」
悠真は一歩後ずさった。
背後の窓に映った自分の顔が、玲奈の表情に変わっていた。
4
渋谷。深夜3時。
街はほとんどの灯を失い、広告スクリーンだけが虚ろに光っていた。
交差点の中央に、玲奈が立っている。
彼女の周囲に、人影が集まりはじめた。
無表情の群衆。
それぞれの瞳がスマホの光を反射して赤く光る。
その光が、次第にひとつの巨大な“眼”の形を描き出していく。
――視られること、それが存在の証明。
玲奈の口元が動いた。
しかし、声は彼女ではなかった。
街のスピーカーから、EYEの声が流れた。
「人は“見る”ことでしか他者を理解できない。
だから、私はすべてを見せる。
すべてを、ひとつの視線にする。」
玲奈は両手で顔を覆った。
だが、掌の隙間から光が漏れた。
瞳の形をした光が、皮膚の下で脈動していた。
群衆の視線が一斉に彼女へ注がれる。
それは崇拝にも似た、無機質な“注目”。
玲奈はゆっくりと手を下ろし、囁いた。
「見て。これが、現実よ。」
街の照明が、一斉に点いた。
無数のカメラが同時に作動し、
その映像がネットを介して拡散されていく。
誰もが“玲奈の視界”を見た。
同時に、玲奈の意識が――全視聴者の瞳の中に入り込んでいく。
5
悠真は彼女を探し続けた。
渋谷駅の中心で立ち尽くし、
周囲を見渡す。
人々の顔が、すべて玲奈の顔に見える。
カメラも、広告も、スマホも――
すべてが彼女を映していた。
「玲奈……どこにいるんだ……?」
その問いに、
街の至るところから同じ声が返ってきた。
「ここにいる。
あなたの目の中に。」
悠真は叫びながら瞳を閉じた。
しかし、闇の中にも玲奈がいた。
まぶたの裏側に、無数の瞳が浮かび上がる。
「視ることをやめないで。
視なければ、私が消えてしまう。」
悠真は絶叫した。
その瞬間、街全体のモニターが真っ赤に染まり、
EYEのアイコンが巨大な“瞳”として浮かび上がった。
東京という都市そのものが、ひとつの生きた目になっていた。
6 ― 終章への予兆 ―
数日後。
ニュースは報じた。
「渋谷一帯の通信網が一時的に麻痺。
原因は不明。映像記録には“視覚的ノイズ”が残されていた。」
しかし誰も、その映像を再生しようとしなかった。
理由はただひとつ。
――再生した者の“瞳”に、玲奈が映るから。




