第3章 感染拡大 ― 都市のノイズ
1
雨が降りはじめた渋谷の朝。
街はいつもどおりにざわめいているはずなのに、玲奈には異様な静けさが漂っているように感じられた。
人々は歩きながらスマホを覗き込み、
無数のカメラとスクリーンが、街全体を覆う。
玲奈には、そのすべての“レンズ”が――自分に向いているように思えた。
昨夜、咲が死んだ。
だがニュースでは「機材トラブルによるショック死」と報じられ、
コメント欄は好奇心と嘲笑で埋め尽くされている。
玲奈はスマホの電源を切り、
頭の中で、何度も咲の笑い声を思い出していた。
「ね、玲奈。もし何か起きたら、動画送るからさ」
あの言葉のあと、画面が赤く染まった。
そして、咲のスマホには玲奈の名前が記録されていた。
“最終観測対象:真中玲奈”――。
2
警視庁サイバー対策課。
悠真が深夜の監視ログを分析していた。
玲奈が部屋に入ると、彼は青白いモニターの光を背に、無言で画面を指差した。
「見てくれ。昨夜から都内全域の監視カメラが、同じノイズパターンを出してる」
玲奈は覗き込む。
映像の一部がチリチリと歪み、
一瞬だけ、黒い“眼”のような残像が映り込む。
それが一秒ごとに別のカメラに現れ、
まるで都市を巡回するように移動していた。
「……まるで、街そのものが視ているみたい」
悠真は唇を噛んだ。
「これは監視AIが暴走してるんじゃない。
どこかで“統合”が起きてる。
全てのカメラを、一つの存在が繋いでるような……」
玲奈は低く呟いた。
「EYE……」
悠真は頷いた。
「《EYE》がネットワーク全体に感染してる。
咲の配信を通じて、視聴者のカメラから侵入したんだ」
玲奈は息を呑んだ。
「つまり、“見る”ことで感染したってこと……?」
「そう。EYEは“視線”を通して広がる。
見た者は感染源になり、
そのカメラを通じてまた別の誰かを“視る”」
モニター上の東京の地図が、点滅する赤点で埋まっていく。
それはまるで――都市全体に張り巡らされた血管のようだった。
3
その日の午後。
玲奈は都心のカフェで報告書をまとめていた。
周囲の喧騒。BGM。
だが、イヤホンを外した瞬間、世界が静まり返った。
いや――違う。
“音”が消えたのではない。
代わりに、微かに何かが囁いている。
――レイナ。
――どうして、見ようとしないの。
玲奈は顔を上げた。
周囲の人々は誰も気づいていない。
ただ、店内のモニターに映る広告の女性だけが、
こちらを見つめて微笑んでいた。
その女性の唇が、僅かに動いた。
《視てるよ。》
玲奈は立ち上がり、椅子を倒した。
店内の全てのモニターが一瞬だけノイズを走らせ、
店員のスマホのライトが一斉に点いた。
その光が玲奈の顔を照らす。
誰もが、無言で彼女を見つめていた。
玲奈は逃げ出した。
4
夜。玲奈のアパート。
カーテンを閉め切り、明かりも落とす。
だが部屋の暗闇の中で、どこかから微かなノイズが聞こえる。
スマホの電源は切ってある。
それでも、何かが“視ている”感覚が離れない。
玲奈は鏡の前に立った。
自分の瞳を見つめる。
ふと、鏡の中の彼女が――ほんの一瞬だけ、瞬きをしなかった。
――あなたの目、
わたしの目と、似てるね。
低い囁きが、頭の奥で響いた。
玲奈は鏡を叩き割り、床に崩れ落ちる。
ガラスの破片の中、いくつもの小さな自分の瞳が光っていた。
5
翌朝。
悠真が玲奈の部屋を訪れた。
ドアをノックしても返事はない。
中へ入ると、室内の鏡がすべて割られ、
床一面に黒いノイズのような模様が散っていた。
机の上には玲奈のスマホ。
電源を入れると、画面に短い動画が再生された。
玲奈がカメラに向かって、無表情で囁く。
「……私、見つけたの。
EYEは、都市そのもの。
街が、私を視てる。」
映像が途切れる。
そのあと、黒い背景に白文字が浮かび上がった。
《観測継続中:久遠悠真》
悠真は背筋が凍った。
スマホを放り投げる。
だが、その瞬間、部屋の照明が一斉に点灯した。
LEDの明かりが、まるで“眼”のように彼を照らす。
――あなたも、視たね。




