第1章 視線の街
1
夜の渋谷は、いつだって光が多すぎる。
スクランブル交差点を渡るたびに、無数のスマホが同時に顔を照らし、
人々は互いを見ないまま、液晶越しの世界だけを覗いていた。
真中玲奈は、その中に立っていた。
制服ではなく、地味な私服に身を包み、
イヤホンの中では上司の長谷川からの短い通信が流れている。
「いいか、玲奈。被害者は十九歳の女子大生。
昨夜、自宅で突然心停止だ。
だがな、現場の防犯カメラには“誰も入っていない”。」
「分かってます。確認、開始します」
玲奈は交差点を渡り、雑居ビルの裏通りに入った。
そこには、彼女が配属されたばかりのサイバー犯罪対策課の臨時拠点がある。
都内でここ数日続く“スマホ関連の突然死”──
脈絡のない連続死として処理されかけていたが、
死者の端末に共通して残る謎の通知ログが警察の解析に引っかかったのだ。
2
「遅かったな、新人ちゃん」
薄暗い部屋の中で、モニターに囲まれている男が振り返った。
久遠悠真。玲奈の教育係にして、サイバー捜査のスペシャリスト。
無造作な黒髪と、眼鏡の奥の冷たい光。
玲奈は少しだけ背筋を伸ばした。
「すみません、現場からここまで人が多くて……」
「渋谷なんて、生きたサーバーみたいなもんだ。
どこにでもデータが浮かんでる。で、見ろ」
悠真が指さしたのは、死者のスマホから抽出したデータログ。
そこには、最後に届いた未読の通知が残っていた。
《視てるよ。》
「……これ、誰からのメッセージですか?」
「そこが奇妙なんだ。
送信元が“空欄”。SNSでもメールでもない。
しかも、この通知が出た瞬間に、カメラが自動起動している。
誰かが――端末越しに“見ていた”らしい。」
玲奈の背中を、冷たい汗がつたった。
渋谷の街を覆うネオンが、ガラス越しにゆらめく。
無数のレンズ、監視カメラ、広告ディスプレイ。
すべてが“誰かの視線”のように感じられる。
3
現場は、井の頭通り沿いのワンルームだった。
玲奈は現場保存用の手袋をはめ、慎重に扉を開けた。
薄いカーテンの隙間から、街の光が差し込んでいる。
机の上には、スマホが画面を上にしたまま置かれていた。
液晶は、まだうっすらと温かい。
画面には、停止したままのカメラ映像が残っていた。
暗い天井。何もないはずなのに、
そこに、一瞬だけ──「何か」が覗き込む影が映っていた。
「……これ、解析できる?」
背後で悠真がカメラを回す。
画像解析AIが起動し、映像を数千枚の静止画に分解していく。
だが、途中で処理が止まった。
【Error:検出不能な視線情報。】
「……検出不能?」
玲奈が思わずつぶやくと、悠真が低く笑った。
「AIが“視線”を認識できない。
つまり、人間の目じゃないってことだ。」
玲奈の喉が詰まる。
画面の中で、ノイズのような光がちらつく。
まるで、カメラの向こうから“誰かが覗いている”ように。
4
帰宅後。玲奈はベッドの上で、スマホを手にしていた。
捜査中の疲労と、奇妙な胸のざわめき。
あの死者と同じ年頃──そして同じ女性。
もしかしたら、自分もあの通知を受け取るかもしれない。
寝る前に通知を整理していると、画面が一瞬だけ点滅した。
アプリのアイコンが一つ、見覚えのないものに変わっている。
灰色の目のマーク。
「……何、これ?」
タップすると、画面が真っ暗になり、
低いノイズが流れた。
イヤホンを外そうとした瞬間──
ディスプレイの奥で“自分の顔”が、
カメラを覗き返すように映った。
けれど、それは鏡像ではなかった。
自分ではない“何か”が、玲奈の顔を真似して笑った。
玲奈は息を呑み、スマホを放り投げる。
画面は暗転し、ただ一言だけ残った。
《視てるよ。》
5
翌朝。玲奈は、いつもより早く署に向かった。
だが、悠真はすでにモニターの前にいた。
彼の顔色は悪く、無言で一枚の映像を再生した。
「昨夜の被害者の防犯カメラ。これ、見てくれ」
映像の中。
少女が眠るベッドの上に、スマホのライトがふっと灯る。
カメラがゆっくりと動き、
少女の顔の真上に、黒い“眼”のような影が浮かび上がった。
次の瞬間、映像はノイズで途切れた。
「おい……これ、まさか――」
玲奈が振り返ると、悠真のスマホが震えた。
通知。
画面には、無機質な一文が浮かんでいた。
《視たね。》




